利水カテゴリ

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記事作成日:2022/3/31
最終編集日:2022/4/23
ここでは、物件を撮影した画像(動画を含む)を区分する利水カテゴリについて記述している。
《 概要 》
利水カテゴリは物件を構成する10の主要カテゴリの一つである。現在のところ利水カテゴリに収録されている主要なセクションは以下の通りである。
ダム、工業用水道、上水道、常盤用水、用水路
常盤用水セクションは元は用水路セクションに含まれていたが、撮影画像枚数が極端に多いことから分離された。
この他に未だ確立されていないセクションとして 堰、自噴水、分水桝 が設置されている。

利水カテゴリは画像分類上では10番目であるが、ホームページのカテゴリではトップに置いている。これは現在のような活動における初期の取り組みではダムや工業用水といった利水関連に限定されていたからである。即ち利水カテゴリに属する各セクションはホームページ制作上でもっとも早い。
【 テーマカラー 】
利水カテゴリのテーマカラーを水色と定めている。この色である。

水のイメージをストレートに表現していること、工業用水道関連の構造物にはしばしばこの色で塗装されているのが理由である。
【 近接するカテゴリとセクション 】
水系カテゴリと近接するものが多い。河川や溜め池の画像は水系カテゴリに含めているが、溜め池から需要地まで水を送る用水路は利水カテゴリに入れている。

田に充てた後の水を流す水路は水系カテゴリの排水路セクションである。しかし下流側の田で再度引き入れている事例もあり、現代の時間軸でみて最寄りの河川へ排出されるのみの水路を排水路とみなしている。
《 主要な物件と観察ポイント 》
すべてのセクションおよび物件に共通して言えるのは、人間の生活にとって必須な水の確保とそれをコントロールしつつ利用していくために必要な機構の構築である。
【 ダム・堰堤 】
市内では厚東川ダムが筆頭格である。


厚東川ダムは現在も宇部市を始めとした地域の主要な水源である。昭和中後期の増え続ける水需要に対応するために、ダムを嵩上げするのではなく別の高度な手法により拡張を行った事例として知られる。歴史的にみても戦中を挟んで建設が停まっており、この点ではしばしば木屋川ダムが類似物件として語られる。

多くを視察するには市内に存在するダムは限定されているため、初期には県内までエリアを拡張して視察されていた。この大きな追い風となったのが海の記念日に開催される「森と湖に親しむ旬間」の見学イベントとダムカード配布である。

利水のみならず溜めた水の高低差を利用した水力発電所が併設されることが多く、これらは電気カテゴリの発電所セクションに分類している。ダム湖および放流された水の流出先は河川カテゴリの該当河川セクションに分類されるので、カテゴリ間に跨がった画像や記事が多い。

ダムの定義に外れるものは堰堤としている。このうち貯水能力が相応に高いものを堰堤として収録し、規模の小さい砂防堰堤や井堰などは河川カテゴリの当該河川に含まれる物件としている。
【 工業用水道 】
工業用水道とは大量の水を必要とする工場群や飲料に適した上水を作るための原水を供給することに特化した用水路で、殆どが貯水ダムに付随して建設される。後述する灌漑用の用水路よりも大規模な水を通していることが殆どなので、危険回避のため上部が密閉されていたり経路の殆どを地下の隧道としているため、一般に目にすることは殆どない。しかし川を水路橋や逆サイフォンで渡るなど部分的に地表へ現れる場所があり、一種独特な景観を呈する。厚東川水路橋が代表的な物件である。

工業用水道という地味で目につきづらいセクションが早くから手掛けられたのは、ダムに付随して厚東川水路橋の存在が大きい。水が一旦低い位置まで降りてそこから元あった高さに近いところまで上昇する逆サイフォンの機構は一般には理解が難しく、興味を持たれることが多い。

厚東川ダムから厚東川水路橋を経て、どういった経路で工業用水が流れているのかを初期に観察したことから、この方面での知見が高まった。成り立ちも古く経路選定や構造物の観察を通して当時の建設思想が垣間見える。

建設時期は確定的な資料に未だ接していないが、厚東川ダム整備に付随して行われたと考えられる。昭和20年代前半には供用開始しているので、既に一世紀近くが経過している。老朽化した設備を全体改築することなく、既存の隧道に摩擦係数の小さな管を挿入する更正工法を採用したことにより、外観は当時のままで現在も使用されている。


【 用水路 】
現在は一般の用水路セクションから分離されている常盤用水路が代表的物件である。

常盤用水路への興味は中学生時代から既に存在し、地理院地図上で異常な経路で描かれている水色の破線が興味深かった。山の尾根を横断するトンネルの記号は理解できても、低い沢地の更に下をくぐるように記載されたトンネルの記号は当時納得がいかなかった。厚東川水路橋と同様の機構をもつ逆サイフォンであったことを知ったのは現地の観察を通してであった。

初期の取り組みでは、常盤用水路は広大な常盤池へ灌漑用水を供給する切り札として建設されたものという理解があった。それは概して正しいが、実のところ東地区へ拡大していった工場地帯への給水問題の解決が根底にあった。殊に昭和初期に建設された窒素工場では、当時市内で消費されていた一般家庭向け給水の1.5倍程度の水需要が新たに生じることが判明しており、これが常盤用水路建設の最大の目的とも考えられる。即ち常盤用水路は灌漑用水路というよりは、常盤池を工業用水の貯留池とみなした工業用水道であったとも言える。

このことより、現在では常盤用水路を用水路セクションから分離して常盤用水路単独のセクションを作成している。常盤池より東部工場群へ給水する管路は、常盤工業用水として工業用水道セクションへ含めている。

一般の用水路としては、厚南の御撫育用水路が筆頭格であろう。往年より減少したとは言っても市内エリアでは厚東川における水利権の個数はもっとも多い。広瀬半島の下をくぐる辰ノ口操貫樋は歴史的に意義深く、後年建設された昭和隧道は完成によって厚南平野の灌漑用水供給が飛躍的に拡大している。

旧宇部村エリアでは常盤池から流下する東幹線と西幹線が代表格と言える。それぞれ常盤用水路と呼ばれることもあるが、先述の厚東川に水源を求めた常盤用水路と紛らわしいので、前述のものは県営常盤用水路、常盤池より供給する水路は先述のように常盤水路の東・西幹線と呼んでいる。

形を変えて流れることができる水も、現在ある場所より高い位置へ連続的に移動させることは不可能である。同じ移動経路体である道路、鉄道はある程度の起伏が可能であっても、用水路は供給点から需要地までは一貫して下り勾配であることが求められる。河川が荒れて流れるに任せる場合があるのに対し、用水路では途中に引っかかった夾雑物を取り除いたり分水桝を据えるなど管理が必要なことから、殆どの用水路には管理道が付随する。先述のように水は高い場所を越えては流れないので、全線が開渠である用水路沿いの道は最も少ない労力で往来できることが多い。
【 上水道 】
上水道セクションでは、飲料水に関する設備群を収録する。初期には工業用水道セクションに含まれていた。上水道は工業用水道に比べて地表に現れる部分が更に少なく、収録されるのは浄水場設備や河を渡る水管橋などに限られる。代わりに沖ノ山上水道や六角堂など初期の水道関連の遺構も含まれる。

代表的な物件は中山浄水場が挙げられる。現役で使われていながら一部に沖ノ山炭鉱時代の給水設備がみられる。将来的な廃止が確定しており、現役稼働しているうちに記録するのみならず多くの方に見学して頂きたい案件である。昔ながらの緩速濾過法を採用している中山浄水場は数が少なく、初期の美味しい水造りの原点である。現在は主流となっている急速濾過法を採用した広瀬浄水場と対比して実地に見学することが勧められる。

なお、事務所である市上下水道局はここではなく建物カテゴリの市有セクションに含めている。下水道は地表に現れる部分が更に少ないこと、下水処理場が見学対象となることが少ないことから同様に建物カテゴリの設備セクションへ分類している。
《 必要な客観資料 》
関連設備について自学自習したり情報収集可能な資料を挙げる。
【 地図 】
所在地を調べるためには利水カテゴリに限らず必須である。特に地理院地図では、地表に現れない工業用水道の経路が水色の破線で記載されており、大まかな位置を把握できる。ただし厚東川ダムから市街部へ送る厚東川1期工業用水道と、小野湖から宇部丸山ダムと相互運用している経路のみ記載されており、2期工業用水道など一定年代から後の経路は記載されていない。1期工業用水道の経路も実際の記載と異なる部分がかなりあるため注意が要る。

常盤用水路や御撫育用水路のような主要な用水路は水色の破線または実線で記載されているが、隧道などは一部省略されている。航空映像モードでは、小野湖と宇部丸山ダム湖で相互運用している鋼管などかなり大規模なものでなければ視認できない。
【 パンフレット 】
厚東川ダムや広瀬浄水場のように公共性の高い主要な設備では、管理事務所に一般公開されている資料があり誰でも入手できる。管理主体は県、県企業局、市によって異なる。厚東川ダムは県管理であり現地のダム管理事務所で入手できるが、そこより送り出される工業用水道に関しては県企業局所管なので、厚南西ヶ丘にある厚東川工業用水道管理事務所に問い合わせることとなる。

市の管理する浄水場関連は、市上下水道局でパンフレットを請求するか関連するホームページを閲覧する。

一般の用水路に関しては専門的な資料が整備されていない。用水路が通過する地区の郷土マップなどで紹介されているのみである。
【 書籍 】
ダムと上水道に関しては宇部の水道に詳細な情報が掲載されている。最初期の沖ノ山上水道時代から時系列に沿ってよくまとめられており、この書籍でなければ得られない情報も多い。写真に関しては、上水道とは直接関係はないものの沖ノ山炭鉱関連の書籍に初期の設備のモノクロ写真がみられる。

用水路に関しては、宇部産業史に写真と概説がある。ただし経路の選定や設計に関する資料は殆ど見当たらない。特に県営常盤用水路の取水口から末信ポンプ場までの暗渠区間は、一部の関連設備周辺に境界杭がみられるだけで管渠上は私有地のままである。このため正確に何処を通っているのかさえも未だ分かっていない。
《 未解明の課題 》
歴史的にみて宇部市街部へダム水や工業用水を送る経路は厚東川東岸側に集中しており、それ故に未解決物件も市道沖ノ旦末信持世寺線沿いの末信地区に集まっている。

灌漑用水向けのコンクリート桝が2つ知られており、相当な長期にわたって使われていない。これらの桝と厚東川1期工業用水道との関連性はまだ分かっていない。位置的に工業用水道より灌漑用水を取り出す設備にも思われるが、工業用水道と接続していることを示す構造物は何も見つかっていない。

同じく末信地区の厚東川工業用水道 No.27 付近にあるコンクリート水槽のような遺構は、戦時に工業用水を確保するために常盤用水と相互運用するための設備と思われるが、当時の写真などは知られていない。建設中に敗戦を迎えたことで途中まで造られた後、運用されることなく廃止されたと推察されている。常盤用水の開渠区間に企業局工業用水道へ分岐する構造物は知られている。
出典および編集追記:

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