FB|友達

記事作成日:2017/5/20
最終編集日:2020/11/4
ここでは、FB(Facebookの略記、以下同様)における友達についての私の考えとそれに基づく振る舞いをまとめています。

現時点での私の考えを確認しつつまとめておくのが目的であり、ここに書いた内容がFB上での標準的な振る舞いと考えているわけではなく、一般向けに推奨する意図もまったくありません。後述する一部の考え方に至っては如何にも冷酷で人間味がないと思われるかも知れません。単純に「当サイトの管理人はこのような考え方と使い方をしている」という認識に留めてください。

人間は生物(なまもの)であり、考え方は変化します。この項目を作成して最終編集日から相当な期日が経っているなら、現在も以下に書かれている通りの考えであることは保証されません。
《 友達として繋がるための要件 》
以下の殆どにおいて「友達」とは、FB上に規定された友達関係となっている利用者を指します。これは実生活でごく普通に表現している友達という概念とはかなり異なります。

例えば実生活であなたが友達と考えている人は、既に何度も会って話をしている筈です。面識がなくともブログやメールを通した友達とみなす人とは、何度もコメントやメッセージを通して会話をしているし、文通なら相当回数にわたって手紙のやり取りを行っていることでしょう。そこには「対話を主体とした相互に友好的なコミュニケーションが取れている二人の関係」という共通点があります。どの程度意思の疎通ができていれば友達と考えるかの温度差はありますが、多くの事例に当てはまる友達の定義として受け入れられるでしょう。相互のコミュニケーションは必須で、これを欠くならば「知り合い」ないしは「知っている人」であり、普通は友達とは呼びません。

しかしFBで規定されている友達関係とは前述とは異なるデジタルな手続きをもって定義付けられます。具体的には二人の利用者 A,B が居て A が B に友達申請というオファーの意となるシグナルを送り、B が A に承諾のシグナルを返した瞬間、A と B はFB上での友達とみなされます。そこには「FB上の」という付帯条件が付いています。実際にはその二人はお互いを熟知していて永年一つ屋根の下に暮らしている関係から、ついさっきタイムラインで見たプロフィール写真が気に入って友達申請し、相手から承諾をもらって成立した繋がりまであり得ます。したがってFBに言う友達という関係は、リアルな友達という関係を包括する概念と言えます。

「リアルでの友達」=「FB上の友達」は、FBを使い始めた初期にはもっとも多いパターンです。利用歴が長くなっても方針を変えず使い続ける利用者は多いですし、後述するようにFBの運営元もリアルでの面識を前提としています。他方、誰とでも繋がれる可能性があるネットという広大な海を前に、もっと広い繋がりを求めて船を漕ぎ出す利用者も沢山います。「FB上ではどのような人と友達として繋がるのが良いのだろうか?」という実際には正答のない疑念が生まれますし、同じ事を考え、時には悩む利用者も少なくないでしょう。
【 FBの運営元の考え 】
友達という明確な意識はないままに、ネットの上だけで友達のように親しく振る舞う関係は、FBのようなSNS時代以前からありました。ブログを渡り歩いているうちに同種の趣味を持っていてコメントが縁となって仲良くなったり、特定のコミュニティーで常連のように振る舞っている人にほのかな恋心や憧れを寄せて接近し仲良くなるという事例もあります。ただしインターネットの黎明期から暫くの間は、自分の実名を明かすことは極めてリスクが高いという共通認識があり、それ故にどのようなコミュニティーでも殆どの利用者はハンドルネームで活動していました。

FBでは、誰もが例外なく実名で登録すべきことが利用規約で要請されています。この他にもガイドラインでは友達申請はどのような人に行うべきかも示されており、即ち実生活で面識を持つ形で関わっている人に限定し、そうでない人には友達申請を送るべきではないと明言されています。面識のない利用者と繋がりを持ちたい場合はフォローすることが推奨されています。[a1]

しかしFB上にも「本音と建前」の部分があります。建前上は前述の通りですが、本音では知っているかも知れない利用者や興味を持った人に対して友達として繋がることを推進する仕様を盛り込んでいます。タイムラインに(別に頼んでもいないのに)「知り合いかも」という繋がりのありそうなユーザーが次々と提示すること、そこに表示されたボタンを押すだけでただちに本人へ友達申請が届いてしまう仕様 [a2]からも明白です。

更には「面識のない相手と繋がりたい場合はフォローが推奨される」とは言っても、FBではアカウントを新規作成した直後は既定でフォロー不可に設定されています。これは利用者が気付いて能動的に変更しない限り不可のままです。多くの人が既定値のままでFBを使っているため、情報を取り込みたい利用者を見つけても「フォローする」のボタンが表示されません。結局、気になる利用者が発信する情報が欲しいなら、面識がなかろうが友達申請する以外に方法がないのが現状です。

この本音の理由は、FB利用頻度の活性化と間接的な利用者増への誘導と考えられます。できるだけ多くの人と繋がりを持つように誘導することで情報ネットワークが拡がり、利用者拡大に貢献できます。FBに限らず今やあらゆるネットサービスは人の流れをできるだけ多く集めたものが上位に立てることが明白だからです。
【 私の考え 】
FBの仕様上の矛盾故に、友達申請のガイドラインは形骸化しています。タイムラインや閲覧ページ、登録グループで見かけた面識のない人に友達申請を送る行為はごく普通に行われています。もっとも「友達になる」ボタン一つ押しただけのものから、友達になりたい由を別途メッセージで送って申請する事例までさまざまです。面識のない利用者へ友達申請を送ることは不作法なことでしょうか?

その是非については利用者の価値観と許容度の問題であり、万人向けの回答はないと思います。ある人は繋がりをどんどん拡げたくて寄せられたすべての友達申請を無条件で承認するどころか自らも気になる人へ友達申請を送るだろうし、別の人は運営元のガイドラインが要請する通りリアルに面識を持ち、お互いFBを利用していることを確認した上で友達申請を送るべきだと考えるでしょう。

個人的には明白なスパムや自分を利用しようという意図が垣間見えるような一個人でない限り、面識の有無にかかわらずすべての友達申請に応じて構わないと考えています。損害を被るかも知れないスパムアカウントの存在は確かにありますが、それらは共通して特徴的な部分[a3]があり、比較的簡単なチェックで回避可能です。ただし殆どすべての友達申請に応じると言っても仮認定の段階です。後述するように、新規に友達となった利用者の振る舞いを一定期間観察し、状況に応じてその関係を随時見直しています。

メッセージが添付されていない友達申請は却下するという利用者は多数派ですし、そもそも面識がない人からの友達申請には一切応じないという利用者もあります。それは確かに安全な利用法ですが、もしかして有用な繋がりになるかも知れない糸口を自ら遮断してしまうリスクもあります。友達申請に一言メッセージを添えるべきと考える利用者は多く、実際私もそうあって欲しいと考えます。しかし遺憾ながらFBの運営元は「友達になる」ボタン一つ押すだけで世界中の誰であろうが即座に申請が届く仕様にしてしまったので、メッセージのない友達依頼を送る利用者を一概に責めることは出来ないと思います。日々キーボードを叩くのが仕事のようになっている身ならまだしも、スマホ片手でキーをピコピコ押してメッセージを作成するのは不慣れな人には大変な作業と想像されるので。

私の事例では、リアルでの面識が一度もないながらFBページなどを通じた友達申請を受けてFB上のみの友達となり、友達の一般的定義に相応しい良好な関係を維持できている方が数多くいらっしゃいます。そのうちの若干名は今後も面識を持つどころか(お互いの居住地があまりにも離れている理由で)おそらく永遠に会うことはないでしょう。FBガイドラインには準拠していませんが、これも有機的な人間関係の一つと思っています。
出典および編集追記:

a1.「FB|デスクトップヘルプ|友達申請は誰に送ればよいですか。
FB|デスクトップヘルプ|ユーザーをフォローすることと、友達を追加することの違いは何ですか。

a2. 実際、過去には全く面識がないものの市内在住者からメッセージ無しの友達申請を送られています。後日、本人からメッセージが届き「手が当たるなどして知らないうちに友達申請を送ってしまったようで申し訳ない」と言って来られたことがありました。このことより「友達になる」ボタンを押下するだけでエコーバックなしに友達申請が送られることが判明しました。

a3. 利用者が男性の場合なら例えばプロフィール画像に美人女優と思しき画像を載せている場合など。素性の知れないリンクが一つでもあればもはや決定的です。
《 寄せられた友達申請の処理 》
ここでは、私に寄せられた友達申請について今まで実際に運用され今後も同様の対応を考えている方針を挙げます。
【 面識のある(あった)個人からの友達申請の対応 】
過去の時間軸において私と面識のあったFB利用者からの友達申請は、以下を除いて承認します。
(1) 相当な長期間が経っていて、プロフィールなどから本人確認がとれない場合。
(2) 有機的な繋がりが期待できず、友達になることを保留したいと考えている場合。
会ったことのある人の実名から発信された友達申請であっても、プロフィールに顔写真や一言記載がなく、タイムラインもまったく不可視で本人である確証が持てない場合は、確認がとれるまで承認を保留します。同姓同名の別人や本人を陥れる目的で知人になりすました申請の可能性があるからです。そのリスクが低いと思われる場合は、こちらから本人確認のダイレクトメッセージを送信する場合もあります。FBでアカウントを作成しプロフィール情報の記載を行うより先に友達申請した利用者によくみられます。

もう一つはFB上で友達関係になることがデメリットしかない相手からの申請です。過去に修復不能な程度の深刻なトラブルを起こした人、目に留まった人間なら誰でも自ら企図するビジネスに引き込んでカネ儲けしたい意図が露骨な人、政治や宗教など価値観の分かれるジャンルに関して偏向的な思想を持った人と繋がりたくないのは私でなくても同じでしょう。このような方々と繋がるのは害悪にしかならないので、友達申請を削除するだけでなくアカウントをブロックします。過去の時系列で害悪を与えた実績のある利用者には予備的ブロックを実施しています。

派生的に、FBには友達の数を増やすことに執心している利用者があり、何かの記事や人を介して接触があったとか、ちょっと顔を合わせただけで即座に友達申請される人があります。単にそれだけなら一旦承認も吝かではないのですが、投稿内容なプロフィールから判断した範囲で有機的な繋がりが期待できそうにない利用者は友達申請を削除します。申請が届いていないのかと勘違いして複数回送ってくる利用者がたまにありますが、メッセージ添付などで判断が変わらない限り何度申請されても削除します。

それ以外の殆どの場合は一旦承認します。ぜひとも友達になって下さいと熱烈に申請されたものの、正直言ってあまり気乗りしないという例もあるでしょう。この温度差は人それぞれ価値観の違い故に避けられないものと思います。それでも友達申請を送る行為は結構ハードルが高いし、人によっては無視されたり断られたというのが心理的にきつい場合があります。放置されるかも知れないと感じつつ申請を送った心境を忖度し殆ど応じています。ただし承認してからの処遇は後述する経過観察に依って対応します。

一般には友達申請に先だってメッセージの添付が歓迎されているようですが、メッセージありの友達申請は丁寧な利用者というポジティヴな印象が上乗せされるだけで承認することに変わりはありません。承認した直後の措置は後述する面識のない個人アカウントの場合に準じます。
【 面識のない利用者からの友達申請の対応 】
直接の面識がない利用者(相当長期にわたって会っていない利用者も含む)からの友達申請でも一旦は承諾します。ただし以下の要件に該当する申請者には当初から応じません。
(1) スパムである可能性が濃厚なアカウント。
(2) プロフィール情報が何も設定されていないアカウント。
(3) 趣味や娯楽、思想や性癖などで重なる部分が皆無なアカウント。
(4) 歓迎されない情報を公開しているアカウント。
(5) 特段の理由なく友達の人数が極端に多いアカウント。
スパム被害が今ほど蔓延している中、疑わしいアカウントからの友達申請を無節操に承諾し、個人情報を明け渡すお人好しも居ないでしょう。
アカウントのスパム判定は主にプロフィール情報に依ります。注意したいのは、スパムかも知れないという疑義のあるアカウントも同様に承認しない点です。申請者のプロフィール写真が未設定で自己紹介の記載も既定の無記入、閲覧可能なタイムライン情報も皆無となれば、どんな利用者が何を理由に友達申請するのか分からないので承認いたしません。

これは面識がない人に友達申請を送るなら、せめて自らの素性を明かし、何故友達になりたいと思ったのかを客観判断できる情報の提示が必要ということです。自らを隠そうという意図がないならば、例えばプロフィール情報は空白のまま放置せず公開可能な範囲である程度埋めてからにすべきです。自分のことは隠し通しつつ相手の詳細を探り出そうとする行為は、FBどころかリアルやネットを問わず非常に嫌われます。何故ならば、それがペテン師やスパム業者の常套手段だからです。FBでは新規アカウントの取得直後はプロフィール欄が空白ですが、そのまま使用したところでリアルで面識のある人以外誰もそのアカウントを信用しません。

しかしプロフィール情報が丁寧に記載されていることは、友達申請の確実な承認を得る十分条件ではありません。野球やサッカーに興味がない人は、タイムラインに試合観戦の写真が流れても殆ど反応しないだろうし、ギャンブルを明白に嫌う人にとってはパチスロの攻略情報など見たくない情報の部類でしょう。そういう人と繋がれば手元に届く情報量は増えますが、始めから必要ないと考える情報を増やしても仕方ありません。更に言えば、たまに流れてくる程度ならまだしも、朝から晩まで愚痴ばかり言っている人の情報がタイムラインに流れてくるとこちらまで気分が滅入ってきます。少なくとも私にとってFBは自分に有用な情報のみを取り込むツールなので、そのような利用者であることが確認できたなら友達申請ははじめから承認しません。

FB上で繋がっている友達の数で判断基準を変えるというのはおかしな話かも知れませんが、これは個人的な考えによるものです。例えば政治家や特定の有用な活動を行っている人は、多くの繋がりを持つこと自体が仕事なので否定はしません。多くの人と会っているうちに自然と友達の数が増えるものです。しかし特別な広域的活動をしている訳でもない利用者が数千人もの友達を抱えるべき理由が私にはまったく理解できません。そういう方と繋がったところで誰もが数千分の一の存在です。発信する情報を見てもらえる可能性は極めて低く、有用な情報の相互交流ができるとは思えません。友達の絶対数に関係なく有機的な交流ができるならまったく問題ありませんが、中にはFB上での友達の多さを自慢し、ステータスシンボルと勘違いしている利用者があります。そういう利用者の人気度に貢献するワン・オヴ・ゼムの関係は容認したくないので、友達申請があっても放置します。

FBの仕様上では、放置された友達申請は後述するフォローと等価となります。フォロー自体はそれが可能な設定になっていれば本人への通知なしに認められる操作なので、フォロアーに限定される範囲の情報が届くことに問題がなければ特に対処しません。承認されなかった友達申請は本人によって取り下げられることが多いのですが、フォローされることも好ましくないと判断されれば随時削除します。
【 友達からの紹介について 】
本人からの友達申請ではなく、既に友達になっている利用者から紹介を受けることがあります。この場合、その利用者をFB上で見つけたときと同じ基準で対応します。即ち私がとる行動はフォローするか放置かのどちらかです。この判断は当該利用者と面識があるか否かとは無関係です。たとえ友達になるよう勧められても私から友達申請を送ることはありません。これは当該利用者が私と友達関係になることを望んでいるかどうか判断できないからです。[c1]

このことから、どのような目的があれ未だ友達関係になっていない利用者を紹介するのは「このような方がFBを利用している」という情報提供の効果しかないこととなります。知り合いがFBを始めたけれども使い方がよく分からず困っているとか、友達が殆ど居らず誰か面白い人を探しているといった状況なら、当該利用者に友達申請を送るよう促す方が効果的と思います。
《 私から友達申請を送るための条件 》
一般に、私の方から友達申請を送ることは殆どありません。個別ページを運営していて友達でなくてもページ経由でコンタクトを取れること、FB上の関係やリアルを問わず友達関係を締結することは容易でも逆は多くの場合非常に困難だからです。特に後者の理由は私のみならずFBを利用している多くの人の共通認識であり、リアルでの面識が頻繁にあってもFB上では友達関係にない方が大多数です。

実際の処遇状況は、一言で言えば「慎重に考えて軽く対応」しています。私のアカウントから一個人へ友達申請を送るのは、以下の条件を満たす場合に限られます。
(1) リアルまたはネット上で対談する機会があったこと。
(2) 友達申請の話が出て双方が承諾したこと。
ここでは面識の有無は問いません。リアルでもネット上のメッセージやり取りでも「友達申請を送っていいですか?」と「いいですよ」の意思表示がなされていることで足ります。現状で面識のない方との友達関係成立は、運営ページの読者から私宛に寄せられた友達申請が全てです。私の方から友達申請を送った事例はありません。

面識を持った場合の友達申請は、むしろ面識のない場合よりも慎重を要します。たとえ何度も会って話をしていようが、話が弾んでFBでアカウントを持っていることが分かっても、それだけで友達申請を送ることはしません。これはあまりにも消極的な態度かも知れませんが、友達の数のみを増やすことに価値を感じていないこと、友達となってもその後有機的な交流がなければ残念な結果に終わってしまうのが明白だからです。特に女性の場合、上記の条件に加えて更に友達申請の提案をしたとき確実な肯定的返答があった場合に限られます。

一般にイベント等で初めて顔を合わせたとか同じ会社で仕事をしている女性に男性から友達申請を送る行為は殊の外嫌がられる傾向があります。リアルで顔を合わせた人からの友達申請は断りづらい事実があるだけに、特に年下女性への友達申請は状況によってはハラスメントと認識されます。[c2]個人的にはFB上で男女が友達となる場合、友達申請の主導権は常に女性側にあるべきと考えています。
出典および編集追記:

c1. 地域SNSでは「トモダチの紹介」機能があり、入会した直後でトモダチが少ない利用者を仲間へ引き込むために活用されていました。これは輪の中へ入って行く勇気がない消極的な利用者にはとても良い機能でしたが、利用者を監督する管理者のないFBという環境にはそぐわないと考えています。

c2. 若い世代がFBを敬遠してLINEやInstagram主体で繋がる一因となっています。
《 友達関係の解除について 》
なべて始まりは楽しいものですが、終わりは辛いものです。FBに限らず、どんな人間関係にも避けられない終わり(逝去)があります。しかし存命の人物と繋がっている手を自ら能動的に離すのは多くの人々にとって尋常ではない事態です。数少ないその一般的事例としては、結んでいた友達関係が残念な形で破綻してしまった場合です。知らない間に浮気され他の異性と結婚してしまった元恋人、修復不能な酷い喧嘩を演じてしまった元友達、立場上断ることができず仕方なく繋がっていた元会社の上司などがそうで、そのまま友達として繋がっていたい人も居ないでしょう。

特に一方的な関係終了を宣言したい場合は、友達解除のみならず自分の足跡を辿らせないためのブロックをしばしば伴います。これはリアルでの「絶交」とほぼ等価です。リアルでは絶交宣言後も街角で顔を合わせてしまうリスクがあるのに対し、ネット上ではその可能性も排除できる分だけより強固とも言えます。[d1]一般には友達関係の解除は例外的なものであり、特段の理由がなければ解除の必要性を感じないと考える利用者が大勢です。トラブルが起きない限り、一旦繋がった友達との手は決して離さないという利用者も少なくありません。

しかし少なくとも私の場合それは成り立ちません。絶交のように残念な形で人間関係が終わってしまった場合は元より、FB上で友達関係を維持する理由がないと判断した場合はある時点で関係解除します。このもっとも典型的な事例は、先述のように面識のない利用者からの友達申請を承認したもののその後有用な情報交流が実現できておらず短期解除に至る場合です。
【 友達申請を仮承認した利用者の短期友達解除 】
面識のない利用者から友達申請があり、問題ないと判断されれば承認されます。その時点でFB上の友達関係が成立するわけですが、承認した直後から実績観測を行います。以下のどれか一つでも該当した利用者は友達関係を解除します。
(1) 概ね2週間、コメントやメッセージなどのレスポンスがない利用者。
(2) 概ね1週間、何のリアクションもない利用者。
(3) 友達の仮承認によって可視状態となったタイムラインなどの情報により承認自体が適切でないと判断された利用者。
この条件で行う実績観測は初回のみです。ここでも解除事由に該当しなければ、FB上では既に以前から友達となっているメンバーと等価になります。この実績観測を行う理由は、仮承認した利用者が私の発信情報に対するオーディエンスに見合っているかを判断するためです。

一般に、友達申請するときメッセージで明言していなければ、何故友達になりたいと思ったのかを窺い知ることは困難です。可能性としては郷土関連のネタで絡みたいのか、日常生活の他愛ない話を聞きたいのか、それとも単純に友達の数を一つ増やしたいのかなどがあります。記事に対するコメントがあればその内容を受諾していると分かるし、イイネ!などのリアクションがあれば少なくとも記事を「読んだ」というシグナルとして返されます。そのいずれもが観測されなければ(いくらその意図がなかったにしても)消去法的に友達の数を増やしたいから友達申請したと解釈されます。

即ち面識のない利用者が友達関係を確立するには、早い段階で発信されるタイムライン情報に対するレスポンスやリアクションが必須ということになります。そこまで求められたくない利用者は、友達ではなくフォローで繋がるべきと考えます。その目的に呼応して、私のFBアカウントは誰でもフォロー可に設定しています。

フォローでは「全体公開」と一部の「友達の友達」レベルに設定された情報までを閲覧できるのに対し、友達の場合は「友達」レベルに設定された情報まで閲覧できます。先の短期解除の条件は、友達限定で配信される情報のプレミアム性を保障する目的も含まれます。換言すれば、友達限定で配信される情報を読むためだけの友達関係の締結は認めないスタンス[d2]です。
【 一般的な友達解除 】
前述のような短期解除以外でも、個人的にはFB上の友達関係は恒久的なものではないと考えています。既に友達関係にある利用者も、友達履歴の長短とは関係なく以下のどれか一つでも該当する場合は原則として友達解除します。
(1) 概ね1年以上、何らのコンタクトもない利用者。
(2) 概ね半年以上、FBの利用経歴がないと推測される利用者。
(3) 概ね3ヶ月以上、何のリアクションも観測されない利用者。
(4) その他友達関係を維持するのが妥当ではないと判断された利用者。
ただしFB上の情報交流が稀なだけでFB外のリアルやネットで繋がっている利用者、病気入院など長期にわたってFBの利用がないことがあらかじめ分かっている利用者などは除きます。
解除の操作は任意のタイミングで実行します。後述するように制裁や不満といったネガティヴな要素は一切ないため、ある程度主観が入るとは言っても必要と考えた時点で着手します。
【 何故繋がっていた手を離すのか? 】
実生活においては友達であった関係がある日突然そうでなくなることは、トラブルによる絶交以外およそ考えられません。もっともありそうなのは引っ越しや配置転換、生活様式の変更に伴って段々と顔を合わせる機会が減り、それに呼応して対話もなくなる自然消滅です。恋人同士だった場合は自然消滅という顛末を嫌う人は多く、関係解消の宣言がしばしば行われます。そうでない友達の場合は解消宣言する人など稀で普通は自然消滅です。もっとも転勤などで物理的距離が離れることは自然消滅に至る十分条件でもなく、年に一回年賀状をやり取りすることで旧交を温めている事例はまったく一般的です。

FBのようなネット上で繋がる関係では物理的距離よりも心理的距離の方がはるかに重要です。他県どころか国外へ転勤してしまってもネット上に物理的距離はないので、殆ど以前と変わらない関係を保つことができます。しかしその多大なネットのメリットがごく稀にマイナスに働いてしまう場面があります。過去には相応な友達関係を築けていたとしても、年月の経過により心理的距離が離れてしまったまま惰性で繋がっている関係(以下「形式的な友達関係」と呼ぶ)です。相互にコミュニケーションがなくなってしまってもFB上の友達関係はどちらかが明示的に解除操作を行わない限り維持されます。

まったくの個人的な考えに依るものですが、FBでは形式的な友達関係をそのまま放置することは殆どなく、時期が至れば解除処理を行っています。これは以下のような理由に依ります。
(1) 既に行き来がないのに友達一覧に表示され続けるのは侘しい。
(2) 行き来がない利用者に情報を自動提供する必要性を感じない。
(3) 当人の友達を介して予期しない情報伝播が起きるリスクがある。
このうち (1) と (2) は心情的な問題ですが、(3) については情報伝播の範囲を管理するために必要と考えています。FBでは公開範囲として「友達の友達」という設定があり、個人的に多用しています。この場合、形式的な友達関係を持つ利用者の友達まで情報が伝播します。元からコメントなどの行き来がないから形式的な友達関係となっているわけであり、その利用者の友達に新たなオーディエンスとなるべき利用者の存在は(類は友を呼ぶのセオリーを前提として)およそ考えられません。情報を求めていそうなオーディエンスの居る場所へ伝播させることは重要でも、その可能性が極めて薄い範囲にまで情報伝播するのは無駄なだけでなくリスクを伴うというのが考えの元となっています。[d3]

実生活とは異なり、FB上で締結された友達の関係は恒久的なものではなく状況に応じて随時見直されます。無秩序に友達関係を拡げ続けるのではなく、意思の疎通が完全に枯れてしまった関係は放置せず友達関係になる以前の状態へ戻すべきと考えています。この考え方はFB以前から持ち合わせていて、殆ど利用することのなくなったYahoo!ブログでもかつて適用していました。詳細は以下を参照してください。
同じ内容のブログ記事をAmebaに移植しています
外部ブログ: Amebaブログ|断捨離と去行【2】
これを理由とした友達関係の解除はブロックとは異なります。整理が必要と判断した結果、繋がっていた手を単に離しただけです。嫌われたわけでも絶交したわけでもないことに注意して下さい。FBの利用頻度、そこに求めるもの、価値観の相違によるものです。過去の事例としては、利用実態がないための友達解除が殆どであり、当該本人は気付くことすらない場合が多いと思われます。しかしFBを日々利用し、中には突然に私の発信する情報が届かなくなり調べたところ友達解除されていたことに気付いた…という事例があるかも知れませんが、私の発信情報に対するオーディエンスに合わなくなったのが理由です。友達解除されたからと言って哀しんだり恨んだりなさらないで下さい。

壮絶な人間関係破綻に及ぶ事件が理由ではない友達解除は絶交ではないので、何かの機会で以前の関係を取り戻すことを拒絶するものではありません。ただし、当該時点において友達関係の惰性的な維持に価値を見いださないという判断あって解除したので、何らの状況変化もなしに元の関係修復を求めることはありません。同種の友達関係の解消はTwitter時代でも行っており、FBに特有というわけではありません。リアルな世界では相互に行き来がなくなって自然消滅という顛末を辿っていたところが、友達解除という可視的な操作を伴って明確に「手を離す」という点が異なります。

当の本人から何の有用な情報発信もレスポンスもなく、タイムラインに何かの情報を提示しても常に何の反応もない程度に往来がなくなっていながらFB上でなお形式的な友達関係となっている状況は、私にとって応接間の暖炉にくべた薪が燃えさしとなったままいつまでも放置されているのと同様に侘しく感じます。一頃は暖炉で赤々と「燃えた」時期もあったのでしょうが、一般に灰になった薪が再び燃え始めた事例は皆無です。他人様を燃えさしに例えるのも不謹慎ですが、灰と化す理由の殆どはFBの利用習慣がなくなったことによるものです。したがって私が片付けたとしても友達解除された当人は恐らくそのことに気付くこともないでしょう。私は暖炉へ新たな薪を並べて火を灯すことができるように、古い燃えさしを片付けます。
出典および編集追記:

d1. ブロックした当人には自分の情報は伝わりませんが、当人と自分に共通して友達となっている人がある場合、その人物を介して当人に情報が筒抜けになる可能性があります。当人には見えないからと言って非難や悪口をタイムラインであげつらうのは止めた方が良い所以です。

d2. 情報取得のみを目的とした類似する問題行為としてYahoo!ブログの「にわかファン登録」があります。Yahoo!ブログではファンになってくれた読者だけが読める記事を書くことができますが、その記事を読むためだけにファン登録を行い、一通りファン限定記事を読み漁った後に登録を解除するというものです。ファン登録と解除はブロガーの承認を要さず読者が一方的に行えるため、ファン限定公開の意味がなく問題視されていました。
現在では友達公開範囲設定が追加されたのでファン公開設定は殆ど使われなくなっている

d3. ただしFBではどのようなアルゴリズムに則って各利用者のタイムラインに情報が列挙されるか明らかにしていないので実際にはこれとは異なる可能性があります。

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