高日山・堂山

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記事作成日:2020/8/23
ここでは、現在の東小羽山町の東側にかつて存在していたとされる高日(たかひ)山について記述する。
写真は高日山があったとされる大まかな場所の撮影。
正面遠方に見える山ではなく現在の採石所付近にあった


地理院地図で大体の場所を示す。


なお、近接して存在していたと言われる堂山についてもここにまとめている。
《 概要 》
地理院地図は宇部協立産業株式会社の採石所をポイントしている。現地は山どころか広大な窪地になっていて水も溜まっている。このことより分かるように現地は宇部協立産業の社有地となっており、高日山・堂山ともに既に存在しない。その所在地も正確に何処であったか分からなくなっている。しかし双方の山にある程度の資料が遺されている。

以下の記録はいずれも[1]による。
【 高日山 】
「奈良で行基が一刀一礼の心を込めて作った仏を仏道の行き渡っていない所に降り立つよう空に放ったところこの高日山に降り立った」と伝えられている。この仏は虚空蔵菩薩であり、現在は宗隣寺の観音堂に安置されている。秘仏として扱われており年に数日など限られた日においてのみ御拝顔できるという。
【 堂山 】
高日山の隣りにあったとされる。方角や高さなどは不明。宗隣寺へ遷される以前は虚空蔵菩薩は堂山に祀られていたという。
《 どんな山だったのか 》
ここまで、現在のところ入手した範囲の郷土資料で分かる部分を記述している。未知の資料をあたることで新たに判明する部分があるかも知れない。

客観資料によると、昭和30年代後半に撮影された航空映像では高日山周辺の採石作業がまだ行われていなかったようで通常の山野のように写っている。手描きされた地図では大正期のものから存在するが、高日山と明らかに分かるピークは描画されていない。

地名からの解析に依っても高日山や堂山と同じか類似する小字名は周囲に見つかっていない。防長風土注進案には川上村エリアを含めた主要な山野が記載されているものの、どちらの山も収録されていない。

どのような形状であったか、標高がどの程度であったかなども未だ分かっていない。ただ、比較的早い時期に採石所となり現在も採石作業が行われていることから、山全体が硬い岩質であったことが窺える。

これらの山が簡素な客観資料を遺すこともなく採石所に転用され形を喪った経緯もよく分かっていない。位置や現地写真など基礎的情報を添えて[2]に投稿してみたが、読者からの情報は得られていない。あるいは宇部協立産業に採石開始前の写真を含めた客観資料が保存されているかも知れない。新たな情報が分かり次第、この総括記事に追記する。
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」p.117, 「小羽山付近の史跡と伝承」p.12

2.「FBページ|2020/8/19の投稿

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