東新川緑地

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現地踏査日:2012/8/20
記事編集日:2014/8/31
東新川緑地は、東新川町にある三角形の空き地で、市公園緑地課の管理する唯一の緑地[1]である。
写真は公園標識のある入口付近。


東新川緑地の中央部分をポイントした地図である。


地図で見えるように、この広場は三方を市道に囲まれて僅かばかり残った緑地となっている。後で述べるように、その形状から「三角広場」と呼ばれてきた。

南に向いて東新川緑地を撮影している。
主要な市道の緑橋芝中線がこの場所で右へ軽く折れ、左は市道名切笹山線となる分岐点である。


公園の標識板は市道緑橋芝中線側の入口に設置されている。
東新川緑地の文字のみで標識板の裏側にも設園年月日などの記載はなかった。


三角形の最も尖った部分から撮影している。
自然の草地を若干残し、両側に樹木が植わっている。


しかし土が残っているのはその部分と緑地の縁にあたる部分だけだ。
内部の殆どはタイルと石畳になっている。


陶器製のスツールは常盤公園の野外彫刻展示場でも見かけたのと同じタイプだ。
そうなれば平成初期に設置されたものだろうか…


「簡易生命保険積立金還元融資施設」という銘のある噴水池に彫刻が設置されていた。
もっとも中に水は溜まっておらず、相当長いことこのままのようだ。


南側の出入口は市道明治町東新川線に面している。
車が乗り入れないように古いバリケードが置かれていた。


南側から全体像を撮影。
三角形とは言っても車が曲がりやすいようにそれぞれの頂点はカットされている。


緑地のもう片側にはベンチ2基と水飲み場が設置されていた。


水飲み場はちゃんと水が出たし、排水も雨水桝へ流れ込むようになっている。
流しっ放しで地面へ吸い込むに任せるという状況ではない。


そもそも、今や東新川緑地には自然の土で覆われた地面が殆どない。通路部分はタイル、それ以外の部分は鉄平石が敷き詰められている。


タイルや鉄平石張りの地面は充分に堅いから、ボール遊びするならよく弾むだろう。雨降りの後でもぬかるむ心配はないし、道路へ土砂が流れて後が困った…ということにならずに済む。恐らくそういう意図もあってタイル貼りにしたのだろう。とりわけ最近造られた公園などなら、市街地にあるこのような仕様は普通だ。
しかし東新川緑地は最初からこうだったわけではない。昭和後期頃までは三角形をした小さな遊び場として機能していた。そのようなことが言えるのは、自分自身が幼少期にこの場所で遊んでいたからだ。

詳しいことはいずれ該当する市道の項目で述べることになるだろう…数十年前に私はこの近くで生まれ育った。幼稚園の二回生までは松山町に居たので、この場所までは自分一人で歩いて行くのも容易な距離だった。
社交的な兄は近所の子どもたちに混じって道路や公園でボール遊び(当時は道路で遊ぶことも日常茶飯事だった)に興じていた。一緒に遊ぶことは稀だったが、近所の子どもたちの誰もがこの場所を「三角広場」と呼ぶのを知っていた。公式に公園としての名前は持っていなかったと思う。
本項目の「東新川緑地」も市のホームページを調べて初めて知ったのである[3]

子どもたちの呼称の通り、当時から既に周辺の道路によって三角形状の空き地ができていた。一部の道路はまだ砂利道だったと思う。
三角広場の地面は真砂土か自然の土のままで、遊具はブランコが一基あった。他に砂場もあったような気がする。水飲み場やベンチは覚えていないが、公園というほどの遊具が備わっている場所ではなく、単に道路ではない空き地があるという程度だった。
それでも交通量の少ない当時から「道路で遊んではいけません」という親からの言い聞かせがあった故に、何もない空き地でも子どもたちには有り難かった。他にも会社保有の駐車場などの空き地もあったが、出入りして怒られる心配のない三角広場は常に子どもたちの活動拠点だった。

もっとも自分と三角広場との繋がりは、恐らく三角形の端の方に設置されていたと思われるブランコだけだった。
それは下の写真では正面のスロープがある辺りにあったと思う。


松山町から恩田へ引っ越した後もこの近くには縁あって何度か来ていた。いつしか松山町も幼少期に過ごした想い出の場所に変わって永い年月が過ぎた。
初めて三角広場が現在の変わり果てた姿になったのを目にしたのは正確にいつかは分からないが、社会人に上がる前だったと思う。大変なショックだったことだけは覚えている。心ならずも当時の自分は激しい嫌悪感を抱いた。
こんなのは公園じゃない。
三角広場近くには幼少期に慣れ親しんだお店やお世話になった方の家があった。それらすべては例外なく失われ当時のものは何一つ遺っていなかった。そして想い出の三角広場が今や土に戯れる子ども向けのものではなく、大人が管理する都合で石材とタイル貼りで自然の土を追い出したという安直な考えが我慢ならなかった。こんな形に変えて遺す位なら、いっそ駐車場にでもすれば良かったのに…と思ったものである。

現在、この東新川緑地で遊んだり休息したりの利用者がどれほど居るかは、離れた場所に居る私にはもちろん分からない。私は今回の記事向け写真撮影以外に数度ここを訪れている。しかし事実として今までこのスツールに腰掛けて休憩する方々や鉄平石のスペースで遊んだりする子どもたちを見たことがない。

水飲み場があり、腰掛けがあり…ただそれだけだ。遊具や砂場がないから母親も子どもを遊ばせることができず、真夏の暑い時期に休憩するには木陰を提供してくれる樹木に乏しい。遺憾ながら確かにここは公園ではない。緑地とは言うものの何かもの悲しくなる空きスペースだ。


少しばかり救いがあった。
スツールの傍のコンクリート部分に米粒を撒いた跡があった。小鳥に餌付けしている方がいらっしゃるのだろう…


三角広場の縁にあたる部分を除いて、今では土が残るのもこの頂点部分だけである。
ここは正規の出入口ではないがタイル貼りのスロープになっているせいか、人の往来で草が部分的に剥げた状態になっていた。


東新川緑地についてこれ以上述べることはない。恐らく今更「かつてブランコがあって…」と唱えても当時を立証するものを何も提示できないので、私にとっては完全に葬り去られた過去も同然だ。
しかし今ある公園を愉しみ、相応な想い出を抱えている人たちも居る。[2]せめて私が知らないだけで、意外にこの東新川緑地を活用なさっている方々がいらっしゃるであろうと想像するばかりである。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市の都市公園一覧」参照。

2.「宇部マニアックス|2013/9/12投稿分

3. 後日、ここを通りがかったとき市道緑橋芝中線側の入口に東新川緑地の標識板が設置されていることに気付いた。本編の標識板の写真はこのときに撮影し追加している。(2014/8/31)

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