化粧田池

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現地踏査日:2014/11/30
記事公開日:2014/12/3
化粧田(けしょうでん)池は、風呂ヶ迫町の市営住宅11棟下の沢地にある小さな溜め池である。
写真は樋門小屋のあるフェンス前からのズーム撮影。


下の地図は、化粧田池の余水吐を中心にポイントしている。


化粧田池の名称は市役所前などに設置されている市街部案内図に記載されている。
溜め池のある場所を小字絵図で調べると大字上宇部字豊後ノ迫となっている。したがって統合前の古い地名か、あるいは後述する別の由来を持つ可能性がある。
派生記事: 化粧田について
溜め池の水は樋門により管理はされているが、堰堤の草刈りなどは近年まったく行われていない模様。
《 アクセス 》
風呂ヶ迫市営住宅11棟の前から堰堤の方へ降りていく荒れ道がある。
市住内の管理道から車で入れないように車止めが設置されロープが張られているが、立入禁止とはなっておらず通行可能である。[1]
以下の2枚とも2013年の撮影で逆方向から撮っている


スロープ部は市営住宅在住者はまったく通らないため酷く荒れている。
道普請もされないので春先から夏場は接近自体が困難。


この藪が酷いスロープを下ったところで踏み跡が二手に分かれている。
化粧田池の堰堤は右側である。
左側の山道を辿ると風呂ヶ迫池の余水吐のところに出てくる


樋門小屋へ至るまでは草刈りされている。


この場所かつては沢地で昔に築かれた堰堤上と思われる。しかし現状は何処から何処までが堰堤なのかも分からない程に藪に包まれている。

通路は樋門小屋に続いている。市営住宅が近く子どもたちの行動範囲に近いせいかフェンス門扉は施錠され立入禁止の掲示が出ている。


何度も訪れる場所とも思えないので、引き続き時系列で記述してみる。
もし新たな情報が増えれば以下の時系列記述分は別ファイルへ移動する

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フェンス門扉は酷く錆び付いていたが掛けられた南京錠は新しい。まったく放置されているわけではなく状況に応じて樋門操作を行っているらしい。
溜め池の周辺は不法投棄が目立つようで告知の立て札が出ていた。


さて溜め池の撮影を…と思ったものの樋門小屋の天井に遮られて池の全容が見渡せない。
左右はみっしりとした雑木林で堰堤上の筈なのに左右の移動もままならなかった。


樋門小屋の屋根を避けてズーム撮影を試みた。
流入量が殆どないからか透明度は低い。


対岸の岸辺は一定角度の斜面になっていて、石積みのようにも見える。
もちろん接近する手段はない。


樋門小屋は建築ブロック積みで、側面は鋼製の扉がついていた。
扉に何やら白ペンキであれこれ書いてあるようだ。


Vイコールで始まる数字がいくつも並んでいるので、放流水量に関するデータだろう。
上に「赤岸に切替」という文字が見える。この赤岸とは化粧田池の上流にある赤岸池のことだろう。


この場所でどう頑張っても溜め池の写真に関しては似たようなものしか撮れない。もう少し分かりやすい写真を撮れる場所がないものか…

踏み跡は堰堤の上を通っているものの上流も下流もまるっきり眺めが効かない。本当に何処からも岸辺へ接近できる場所がなかった。


市営住宅寄りの岸辺からならどうにかなるだろう…しかし市営住宅から見える場所からは自重しようと思った。住民から白い目で見られるのは受忍できることとして、幼児や児童に見られてはならない。

さっきの樋門小屋より少し市住寄りにどうにか接近できそうな場所を見つけた。
かなり朽ちたネットフェンスがあるのだが写真からだと分からないだろう。


殆ど色も失ったネットフェンスが現れた。有刺鉄線はなく、どうしてもとなれば上を跨ぎ越すことはできそうだ。
フェンスの向こう側で何かがこっちをジッと見つめている。


藪ニャン子だ。こいつは廃道などをうろうろしていると必ず出くわす藪の住民だ。
カメラを向けてもまるで置物のネコのように微動だにしない。
しかも…何だよお前さんのそのふてくされた顔は…と野ウサギが言ってみる^^;


次に私が一歩前へ踏み出してニャン子がそそくさと逃げだしたことで漸く生きていると分かるほどにじっとこちらを見ていた。

お行儀悪くフェンスを乗り越える必要はなかった。
市住側へ辿っていくと何の加工もされていないフェンスの端へ到達できたからだ。
斜面の上に見える白いものは市住から降りるスロープのガードレール


ここでフェンスを回避して岸辺に近づく。
雑木の繁茂が著しい。足元の枯れ葉も大量で地面が何処にあるかも分からない位だ。


堰堤に近いせいか岸辺はいきなり斜面になっていたし足元も不安定だった。
踏み抜きの危険があるのでそれ以上接近しなかった。


結局、全体を見渡せるアングルでの撮影はできなかった。
二次踏査は今のところ考えていない。良好な写真が撮れたら一部を差し替えるかも知れない。
《 個人的関わり 》
業務で風呂ヶ迫市営住宅を訪れていた数年前から11棟の裏手沢地に溜め池があることは知っていた。地域内には来客社用の駐車場が少ないため、11棟を訪れるときなどはしばしば11棟角の折れ点(3枚目の写真に少し写っている)のコーナーに車を停めていた。

団地内を通る地元管理道のすぐ下が溜め池であるため、化粧田池は元よりガードレールから外へのゴミの不法投棄が多い。11棟前から溜め池の方へ降りる道があることも知っていたが、入口にロープが張られ廃道状態になっていたため当時は一度も入ったことはない。
初めて訪れたのは、常盤用水路の全線追跡を試みたときである。このときは11棟下の荒れ道を降りて樋門小屋前のフェンスまで接近している。
《 化粧田について 》
手元には制作時期の異なる小字絵図の写しがあるが、そのいずれにもこのため池の所在地付近に化粧田という小字が見つからない。もっとも新しいと思われる絵図では豊後ノ迫となっている。遙か昔の小字でその後統合された地名かも知れない。
かつて化粧田と呼ばれる小字があった可能性の他にもう一つ考えられるのは、福原家時代の側室に因んだ命名である。

化粧田は現在耳にする言葉ではないが、かつて側室用の田を指すものであったという。福原元俊公の側室である妙林院は黒杭様と呼ばれ、五十石の領地を持っていたとされる。[2]
ここに現れる黒杭が下片倉にかつて存在した黒杭村のことかは明らかではないが、距離的にはかなり近い。開墓園を挟んで直線距離で1km以内にある。また、これまで調べられた限り市内で化粧田という小字はもちろん類似する地名すら聞いたことがない。

これらのことから、溜め池の名称はかつて側室の田があった地に由来する仮説を提唱しておく。今のところ溜め池の付近に化粧田を顕示する石碑などの類は見つかっていない。[3]
出典および編集追記:

1. 風呂ヶ迫市営住宅は子育て世帯が多いため時間帯によっては路上などで幼児の姿をよく見かける。
ここからロープを跨いで入るときは周囲に子どもの姿がないことを確認してからにしたい。
子どもが真似して同じ行動をとって事故に遭うのを避けるため

2.「宇部ふるさと歴史散歩」p.81

3.「FB|12月2日のタイムライン」より。(要ログイン)

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