前開作池

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記事作成日:2019/10/20
前開作池とは、厚南原校区の東須恵に存在する3つの溜め池である。
写真は東側にある一つの溜め池の端からの撮影。


写真の撮影位置をポイントした地図を示す。


現地へ行くまでもなく上の地図だけで如何にも特異な溜め池のように映る。溜め池と言うよりは養殖場を想起するかも知れない。通常は汀が不定形の曲線であるべきところが、長方形に近い形をした溜め池が辺の部分で接している。

《 概要 》
名称から推察されるようにこの近辺は開作地か低湿地と考えられるので、本土手部分のみ築堤で仕切るのではなく外周部全体を築いて造ったようである。里山に近い溜め池では、沢地の広がる部分に土手を築いて谷池を造る。平野部では外周部を盛って内側に水を貯める皿池となる。

人工的な外観に反して溜め池自体は戦前から存在していたことが航空映像からも解析されている。初期は田であったものの湿地がちで水が溜まりやすいため逆手に取って溜め池に変えてしまったような印象を受けるが、実際はどうか分からない。ただし水気が多く浅いことからレンコンを植え付けていた時期もあったらしい。[1]

3つ接するうちの南西にある区画の池は3番堤と呼んでいたことから、他の堤も1番、2番と呼んでいた可能性がある。市の防災マップ[2]やうべ情報マップ[3]では前開作池と記載されていること、小字絵図でもこの領域を前開作溜池と記述している版があることから、総括記事もこの名称を採用する。

宇部・美祢高速道路と近年の建設による湾岸道路(県道6号山口宇部線)で分断され、現在は四輪が通れる道はカルバートをくぐるか溜め池に沿う未舗装路のみとなっている。


この道路沿いの堤だけが容易に観察できる位置にあり、他の2つは近づく人が誰も居ないため藪化が酷く観察は難しい。

隣接する堤は細い土手で接しているが、部分的に崩れているせいか水位が高いときは水が相互に行き来する。
土手を補強したような痕跡もみられる。


3番堤には南側にある工場群の進入路奥から伸びるあぜ道を辿ることで接近できる。
写真は台座の上に乗った状態で南を向いて撮影。


溜め池の北側に沿って民家が数軒並び、恐らくは通り抜け可能な里道である。しかしこの里道沿いは背丈の高い笹藪となっていて殆ど水面が観察できない。北側には堰堤に向かうらしい踏み跡を見つけているが、灌漑用溜め池としての管理はされていないらしく進攻不可能なほどの藪となっていた。
《 前開作について 》
前開作とは小字名ではなく、この開作地に与えられた名称である。前開作は弘化4年(1847年)に30町の広さをもって完成している。[4]東に妻崎新開作、西に波多野開作が隣接するが、それらよりも十数年早い。この開作によって字馬渡より水路状に残ることとなったのが現在の馬渡川である。

前述のように小字絵図の版によっては、溜め池の領域を字前開作溜池としている。隣接する東側は字毛所、西側は字湯布田である。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2019/10/19の投稿」の読者コメント。

2.「宇部市|宇部市防災マップ」における原校区のPDFファイルに記載がある。

3.「うべ情報マップ

4.「ふるさと原史跡マップ
《 個人的関わり 》
写真で採用しているように、2015年の2月に訪れたのが初めてである。溜め池を物件の対象としてウォッチし始めた初期からその特異な外観に興味をもっていた。一部の堤で余水吐や栓のついた樋門を確認している。堤が接する土手部分への接近はまだしていない。恐らく通行不能となっており危険なため接近の予定もない。

整形された溜め池がいくつか接している形態のものとして、小野区の道々池奥にある小溜め池群が知られる。山間部にあることから魚類の養殖目的で人為的に造られたものではないかと推察している。

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