市道草江野中線・横話

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《 塚穴橋(仮称)》
市道草江野中線が起点の県道宇部空港線を出発した直後は車一台やっと通る狭い道であり、塚穴川の堤防に沿って進む。そして堤防が切れたところで市道は左に曲がり塚穴川を小さな橋で横切る。


幅と長さが同じくらいで、前後は市道の路面と一体化していて橋と認識しづらい。
橋に入る手前で左へ軽く折れているので、内回りし過ぎた車がガードパイプをこすった痕跡が見られる。

振り返って撮影。
コンクリート床版同然で橋と言えないところだが、よく観るとガードレールの基礎の下敷きに親柱らしきものがわずかに遺っていた。


元からコンクリート製の親柱に銘板をはめ込んだらしい。
アスファルトを被せたせいで半分以上が埋まっていた。


接写してみたが辛うじて昭和という文字が確認できるのみだった。


もしかすると反対側にもあるのでは…と思った。
確かにそれらしきものが枯れた雑草の裏側に隠れている。


足元の枯れ草を押し分けてみたが、やはり下側が路面に埋もれていて「塚穴」の二文字しか確認できない。


三文字目に「橋」か「川」の漢字が隠れているのは確実と思う。願わくば「塚穴橋」であって欲しいのだが、断定はできない。銘板に渡る川の名前そのものを記載することもあるからだ。
橋に付きものな親柱の最も望ましいフル装備状態(?)は、竣工年月・橋の名(漢字)・橋の平かな表記・川の名の4本が設置されている状態である。しかし市道の起点側の2本は既に存在しなかった。

上流側は地区道への出入りを容易にするために袖部分を三角形状に隅切りしているし、下流側は市道の幅を少しでも拡げるために取り除かれたようだ。


上部構造を観る限り、今のコンクリート床版は昭和中期に入ってからのものと思う。それでも半世紀近くが経過している。
幼少期に鍋島へ行くことはあってもこの道を通ったことは一度もない。車に乗るようになった頃もこの区間を走ることは稀で、狭くて離合が大変なのでできれば通りたくない場所だった。しかし当時から今と殆ど変わらない状態の狭くて通りづらい橋だった。

もしこの橋の名前が塚穴橋なら、かつては塚穴川のもっとも海寄りに架かっていた橋だったかも知れない。何処まで時代を遡るかにも依るのだが、かつてはもう少し陸地側まで砂浜だった可能性があるからだ。
奥浜という小字にその痕跡が窺える

完全な名前を含めて何か情報が得られ次第追記するし、場合によっては独立記事としての昇格を予定している。

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