写真は南側の入口。
位置図を示す。
上の地図でポイントされた場所は地下道の屈曲点にあたる。地図では南北に通る道がありながら分断されている。この線形から推測される通り、地下道以前はこの場所に平面交差する踏切があったことが知られる。[1]本編では踏切だった場所についても後述する。なお、総括記事として記述しているので写真は異なる撮影時期のものを適宜援用している。
地下道は2方向から降りられる構造になっていて、二輪を押し歩き可能なスロープを備えた入口と階段のみの入口がある。
入口部分の屋根に尾張田地下道入口の文字が書かれた蛍光灯が設置されている。
尾張田はこの付近の地名ではないかと推察されるだろう。しかし実のところ後述するような複雑な紆余曲折があったことが判明している。この総括記事を作成する現時点において、地下道を管理する市道路課では「尾張田(おわりだ)地下道」と呼んでいる。
(地名の変遷については後述する)
自転車や原付も通行できるが、勾配がきついので中央のスロープ部分を誘導しつつ押し歩きすることになっている。
しかし何処の地下道でもそうであるようにしばしば守られていない。
(現状自転車に乗っての地下道通過はごく一般的になっている)
この地下道がなければ跨線橋にせよ踏切にせよ山陽本線を横断するのにかなり遠回りしなければならないので通行需要は高い。
地下道の端から撮影。
断面は正方形で一般的な地下道からすればかなり狭い。
自転車を押し歩きつつ動画撮影した。
[再生時間: 29秒]
現役の地下道とすればかなり古い部類に入るからか、天井や壁面に傷みが目立つ。
北側の入口。
階段のみのと階段+スロープの組み合わせは同様だが、位置関係が南側とは逆になっている。
尾張田地下道は全体がそのまま市道宇部駅洗川線の経路に組み込まれている。維持管理は市が行っており、地下道に設置されているミラーには宇部市のステッカーが貼られている。これは踏切で通じていたものを地下道に置き換えたためだろう。
踏切だった場所は地下道入口の西側にある。この場所で行き止まりになる別の道(市道西新田線)が伸びている。
この行き止まり地点から線路を横断していたものと思われる。
もちろん私は踏切時代を見たことなどないが、道路線形からして確実にここだ。
踏切そのものは完全に廃止されておりレールの間には何も痕跡が遺っていない。
今や踏切では無いことを告知するために「通行禁止」のタグが掲示されている。
反対側の里の尾側から撮影。こちらはもっと明白だ。
同様にフェンスが設置されているが、この場所だけ門扉の形式になっている。
門扉は施錠されており、駅構内の作業で関係者が出入りできるよう門扉の形式にしたようだ。
里の尾側の道路線形はこの場所で道が直角に曲がっている。かつては車もこの踏切を通っていたのだろう。
踏切から地下道に変わることで歩行者および二輪は随時安全に横切れるようになったが、代わりに四輪は一切通れなくなった。この変更を行った理由は駅構内に近く多くのレールを横切るため、横断に時間がかかるからだろう。電車のみならず貨物列車が通り、あるいは貨物の接続切り離し作業も行われれば、時間帯によっては開かずの踏切状態になっていたのかも知れない。
この場所を車が通れなくなったことの影響はかなり大きいだろう。駅のすぐ北側へ向かうには東側の県道宇部停車場線か西側の県道宇部船木線の跨線橋を経由することになる。いずれも一旦非常に混み合う駅前交差点を通らなければならないし、西側の寺田橋では更に右折して跨線橋から降りる車が本線の流れを乱している。列車の運行本数が昔より減っているなら元の踏切に復活して欲しいという声もあるようだ。[1]
元々踏切だったのだから戻すのは物理的には容易である。地下道を拡げて車も通行可能にするのがベストだろう。この場合、南側は接続する主要な道がないのでスロープを拵えることができるが、里の尾側は二方向からの道があるため、そのすべてを切り下げてスロープに変えなければならず甚だ困難だろう。今のところ踏切に戻すことも地下道拡張の話も耳にしていない。
《 個人的関わり 》
市道路河川管理課で認定市道の名称と経路を調べているうちに線路の下をくぐる地下道を経由している路線であることで早くから知っていた地下道であった。ただし宇部駅での乗り降りをしたことが一度もないため、実際に地下道を通ったのは認定市道の走破レポートを連発していた2010年の9月である。里の尾方面へのネタ採取で自転車を漕いだ回数はまだ数少なく、その場合も県道の寺田橋経由か殆どなため、この地下道を通ったのはまだ2〜3回程度である。
《 地名としての尾張田について 》
この地下道名に現れている尾張田について、読みが記載されたものが存在しない。地下道を管理する市道路河川管理課や日常的に利用する地元在住民が何と読んでいるかは調査を要する。[*]地下道名自体は市道路河川管理課で認定市道の経路を地図で閲覧している最中に気づいていた。地名らしいことは想像がついたが、読み方が分からないばかりか地元在住民でも地下道に名称があったことすら知らなかったという声もあった。
個人的には最初期には尾張という漢字表記を含むことから旧国名を想起して「おわりだ」と読むものと決めつけ、そのことを題材にしたフィクションの恋愛小話を作成している。[1]その後、厚南地区在住者と思われる方から「おばた」という読みをいただいている。[2]しかしその読みは公文書や郷土関連資料には見当たらず、一般的な読みであるとの確証が得られなかった。
2014年1月に市内の小字を主体とする地名を洗いざらい調べる作業に着手し、学びの森くすのきに保管された郷土資料の厚南地区小字絵図を閲覧する過程で、当該地域に小張田と書かれているのを見つけた。

この時点でまだ読み方は確定しなかったが、漢字の「小」と「尾」だけの違いであることから「お」で始まる読みではないかと思われた。
しかし更に閲覧を進めるうちに「こばりでん」という読みが添えられた別の小字絵図が見つかった。

重ね書き絵図にみられる他の小字と位置関係が一致することから、当初の地名が小張田と表記され、読みも「こばりでん」であったことが判明した。
この絵図は先の地図重ね描き絵図よりも古いものと思われる。宇部村相当の小字絵図でも最初期のものは小字の領域と名称のみを白紙に記載しただけのものであり、後年のものは国土地理院の地図に重ね書きしているからであった。ただし2枚の小字絵図とも制作時期や制作者が分かっておらず、更なる裏付け資料が求められた。
最終的には明治期の地名を編纂した「山口県地名明細書」を参照することで、際波村の迫条小村、字平原配下の小名の一つとして小張田(こばりでん)の表記で収録されていることを確認した。[3]
以上の経緯より、地下道の名称の尾張田の出どころは概ね以下のような推移によるものと思われる。
(1) 最初期の開作(際波開作)以降に小張田(こばりでん)の地名が与えられた。
(2) 漢字表記「小張田」の「小」が「お」とも読めることから「おわりだ」などの読みの揺らぎが発生した。
(3) 一文字目の読みが「お」であることから「尾」の字を宛てる表記が生まれた。
(4) 地下道ができたとき、既にある程度広まっていた「尾張田」の表記がそのまま採用された。
地下道の築造は昭和40年代だったことが判明している。この当時は尾張田のみならず周辺の小字も地元在住民にある程度馴染みはあっただろう。それにも関わらず地名発生期からすれば「誤った」形で伝わってしまったのは、小張田・尾張田いずれの表記だったにしても読みが「おばた」として定着していたからかも知れない。由来にかかわらず地名は概ね短く切り詰められる方向に変化する。「こばりでん」→「おわりだ」→「おばた」のようにである。(2) 漢字表記「小張田」の「小」が「お」とも読めることから「おわりだ」などの読みの揺らぎが発生した。
(3) 一文字目の読みが「お」であることから「尾」の字を宛てる表記が生まれた。
(4) 地下道ができたとき、既にある程度広まっていた「尾張田」の表記がそのまま採用された。
地下道以前は踏切であったことが判明しているので、踏切時代からして既に尾張田踏切という名称に変化していて地下道名は踏切名をそのまま移したに過ぎない可能性もある。ただし地下道以前の踏切の名称はまだ調べられていない。
古い地名はもちろん現代に伝わる地名でさえも、何に由来して命名されたのか見当もつかないものが沢山存在し、地名研究家の頭を悩ませている。それらのうちのいくつかは、漢字表記による別の読みの発生とその読みに合わせた別の漢字表記が反復されることによって当初の地名表記や読みから乖離してしまった結果であるという仮説を立てている。尾張田は現在調べられているうちで地名の表記や読みが揺らいでいく過程の典型的な例を示している。
現時点において尾張田と表記してその読みが「おばた」「おわりだ」のいずれであるか明瞭ではないが、少なくとも当初の「こばりでん」の読みは絶対にあり得ない。更に「おばた」と読んだ場合、その変化が早かったなら時代が下れば「小畑」「尾端」などに変わっていたかも知れない。この表記から「こばたけ」や「おばな」の読みに変化したなら、もはや当初の「こばりでん」の読みにも表記にもたどり着けなくなる。地名の発生が古く十分に長い年月を経ていたなら、こういった変化は他の地名でも起こり得るというのが仮説の骨子である。
一連の変化の時系列では小張田(こばりでん)が最初期のものなので、地名の由来を考察するにあたってはこの表記及び読みに基づかなければならない。言うまでもなく旧国名の尾張とはまったく無関係である。その上で小張田が何に由来する田であるのかは更なる資料をあたる必要があるだろう。
出典および編集追記:
* 2018年9月にこの地下道のコラム執筆にあたって、地下道管理元である市道路課に名称を尋ねている。公式に表明されたものではないという前置きはあったものの、管理上は尾張田(おわりだ)地下道と読んでいるという回答があった。
過去には現地在住者から「おばた」という読みを提示されていた。しかしここでは市道路課による呼称を採用している。「おばた」の読みは、厚南地区にある小畑領の影響を受けている可能性もある。(2018/9/10)
1. 地域SNSで尾張田地下道を舞台にした男女の恋愛ショートショート「もう終わりだね…」を公開している。以下に復刻版を作成した。
(レイアウト重視の規定外記事なので階層ボタンがありません…読んだ後はブラウザの「戻る」などでページ移動してください)
(地域SNSで公開された記事があまりに多くすべてを調べきれない)
3.「山口県地名明細書」p.149
* 2018年9月にこの地下道のコラム執筆にあたって、地下道管理元である市道路課に名称を尋ねている。公式に表明されたものではないという前置きはあったものの、管理上は尾張田(おわりだ)地下道と読んでいるという回答があった。
過去には現地在住者から「おばた」という読みを提示されていた。しかしここでは市道路課による呼称を採用している。「おばた」の読みは、厚南地区にある小畑領の影響を受けている可能性もある。(2018/9/10)
1. 地域SNSで尾張田地下道を舞台にした男女の恋愛ショートショート「もう終わりだね…」を公開している。以下に復刻版を作成した。
(レイアウト重視の規定外記事なので階層ボタンがありません…読んだ後はブラウザの「戻る」などでページ移動してください)
移植公開記事: もう、終わりだね…(2010/9/15)
2. 地域SNSの第二作かその後のFacebookで記事公開したときの読者コメントだったような記憶がある。しかしどの記事に寄せられたコメントだったか判明していない。(地域SNSで公開された記事があまりに多くすべてを調べきれない)
3.「山口県地名明細書」p.149