榎谷隧道

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記事作成日:2020/3/29
最終編集日:2022/10/24
ここでは、榎谷(えのきだに)隧道の表題で、国道191号の長門市三隅地区より北上し鎖峠を越える途中にある同名のトンネルについて解説する。

地理院地図で位置を示す。


上記地図では国道の榎谷隧道のみが記載されているが、隣接して存在する初代の隧道についても合わせて記述している。
《 国道191号の榎谷隧道 》
写真は国道191号の榎谷隧道の南側坑口。


この区間は国道191号の旧道区間と認識されており、現在は北側の山陰本線が通過するルートを模倣した萩・三隅道路に主要な往来が移っている。このため旧道の交通量はかなり少なくなっている。

「隧道」という表現は現代では馴染みが薄いため、路側に設置されている標識は「榎谷トンネル」と記載されている。


萩側坑口は通過したのみでまだ写真採取を行っていない。なお、萩側では当トンネルと短い別のトンネルが連続している。(後述の Google sv で閲覧すると分かる)このトンネルは扁額部が崩落防止の金網で覆われているため名称が判読できないが、恐らく鎖板隧道と思われる。
《 榎谷洞道 》
前述の榎谷隧道よりはるか昔に掘削されたトンネルで、南側(宗頭)の榎谷トンネル坑口手前カーブの外側に昔の道が遺っておりその奥に坑口が存在する。
写真は三隅側からの撮影。


この旧トンネルは榎谷洞道(どうどう)と呼ばれている。洞道という名称からは洞穴のような素掘り隧道を想起するが、両側の坑口は石材が巻かれ、ポータルより内部の一定長はレンガ巻きとなっている。ただし中央部は岩盤が安定していると判断されたためか素掘り隧道となっている。[1]

長門市教育委員会が管理しており、三隅側坑口へ向かう道の途中に説明板が設置されている。


立入禁止は明示されてはいないが、坑口前は単管を数本組み立てた柵で塞がれている。常時水が溜まっており照明もなく安全面の問題があるため内部の一般公開は予定されていない。また、萩市側坑口前までの到達が可能かどうかは調べられていない。
《 Googleストリートビュー 》

出典および編集追記:

1. 内部への潜入ができないため観察は困難だがズーム撮影により確認できる。ポータルから一定区間のみ覆工を施し内部が素掘りという構造は宇部市内の御撫育用水路の昭和隧道にもみられる。
《 個人的関わり 》
国道191号の榎谷隧道については子どもの頃親父の運転による山陰方面へのドライブで数回通っている。自分の運転でも一度くらい通ったことがあるかも知れない。当時はまだ萩・三隅バイパスはできておらず鎖峠越えルートしかなかった。このため榎谷隧道という名前だけは覚えていた。

榎谷洞道は存在自体まったく知らず、2019年の「にんげんのGO!」”隧道どうでしょう”シーズンIロケで現地を訪れたことで初めて知った。

2020年4月よりある外部サイト運営者と提携して、登録会員向けの時系列記事を寄稿開始した。関連記事リンクの限定公開記事は、寄稿した最初の記事となった。当該サイトは最終編集日時点では閉鎖されている。
《 地名としての榎谷について 》
地名において用いられる榎は「えのき」または「え」と読まれる。当サイトでたまたま既に記事化されている長門峡発電所の阿武川取水口は榎谷取入口である。全く場所は異なるもののこの地名の読みや由来は同じと思われる。

同じ地名が複数存在することから分かるように、由来はエノキが生えていた谷地そのままと解釈できる。エノキは昔からごく一般的な樹種で、根元近くの樹形が美しいので一里塚に植えられる樹木として採用されていた。

宇部市内の地名ではなく手元に資料がないと思われていたのだが、奇遇なことに「地名明細書」では宇部市善和村と同一ページに三隅地区関連の収録があり、詳細を解析することが可能である。三隅上村の滝坂小村に大利(だいり)という小字(現在は大里と書かれる)があり、配下の小名の一つとして榎ノ木谷(えのきだに)が収録されている。


榎谷隧道より萩側では鎖峠に至る。同じ三隅上村の宗頭小村には鎖板垰(くさりいただお)という小名がみられる。鎖峠の所在地付近であるかは分からない。なお、三隅上村は山間部という地勢から小字や小名には峠や谷に由来した率直な地名が非常に多い。

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