荒来橋【2】

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(「荒来橋【1】」の続き)

さて引き返そうかと振り返りざまに撮影したところ。
このアングルでカメラを構えたときにすぐある物体の存在に気づいた。


橋の近くにある樹の下に石柱のようなものが転がっている。周囲は草地で目立った石などなかったから、これはもしかすると…という感触があった。

やはり、そうだった。
それはどういう訳か根元から引っこ抜かれて横倒し状態になっていた。


表面に荒来橋と刻まれている。
この沈下橋の親柱だ。どうしてこんなところに…


およそ橋であることに違いはないのだから、親柱の存在は当然想定された。しかし荒滝側から渡るときもそれらしきものは何もなかった。欄干が備わらないのだから橋そのものに名称を記録しようがない。
河川に架かる橋の親柱は「橋の名称(漢字・ひらかな)・河川名・架橋年月」の4点セットが標準である。他にもありそうだが、周囲にはこの大きなコンクリート製の親柱しか見つからなかった。

もしかすると裏面に年号などが刻まれているのかも知れない。
これを引き起こすことは可能だろうか…重いのは承知するとして、コンクリートの下からMMZやMKDがゾロゾロと出て来るのを見るのは嫌だなぁなどと情けないことを感じつつも、縁に手を掛けて引っ張ってみた。

かなり重かったが辛うじて自立するまで起こすことができた。
やや深く地面にめり込んでいたので、この状態で放置されて相当期間が経っているらしい。


倒れないように親柱の上部へ左手を添えて体を替えて回り込みカメラを構えた。
何も書かれていない。下部は結構粗雑な基礎らしく栗石がコンクリートへ埋まったままの状態だった。


手を離すと親柱は再び安定状態を取り戻そうとドスンと音をたてて横向きになった。
裏側の基礎がおかしな形をしているので、この親柱は直立ではなく斜めに埋め込まれていたのかも知れない。沈下橋という特性上、この親柱は橋のすぐ袂ではなく水に浸らない場所の地面へ少し埋め込まれていたことは確かだ。

来見地区側からの眺め。
少し木の枝が垂れかかってなかなか良い感じだ。


橋のジョイント部分の近接画像。
昭和41年竣工の割には傷みが少ない感じがする。
ジョイントに挟まれている黒いものは伸縮目地


橋の中央からは先ほど頂上を極めてきた荒滝山が見えていた。


橋だけでなく橋からの厚東川の眺めも撮っておいた。
こちらが上流側だ。


下流側。
水深はそれほどないがさすが県管理の2級河川、川幅一杯を使って流れていた。


荒滝側の橋の接続部。
来見側は自然の護岸だったが、荒滝側は沈下橋と同レベルまでコンクリート護岸となっていた。


元々が沈下橋として設計されたということは、増水したとき橋のすべてが水面下に隠れることがあるのだろう。
それはどの程度起きているのだろうか。沈下するほど水位が上昇したら、橋の取り付けスロープまで水が来る。洗い流されはしないだろうかとも思われた。

川へ降りるスロープ部を真上から眺めている。
流水はこの辺りでは荒滝側へ寄せているらしく、底が見えない程度の水深になっていた。


いつもは河口部付近の厚東川を眺めているので、小野湖より上流にあたる厚東川は別物の河川のようだ。


スロープの側面へ打ち寄せる部分では自然発生する泡が溜まっていた。


橋をローアングルから撮影すると共に、厚東川の流れを感じたいと思いスロープの一番下まで降りてみた。

カメラにしぶきが飛ばない程度に視座を思い切り下げて撮影している。
橋脚の水が当たる部分と共に、渡る部分の側面も三角形状になっているのが分かる。水圧を逃がす工夫だろう。


上のショットを撮影した後、カメラのバッテリーランプが残り2つになった。まずいことにバッテリーの予備を車に置いてきてしまった。橋だけだから長時間撮影することはないと思ってカメラだけポケットに入れていたのだ。

橋の側面が写るように動画撮影を行ってみた。

[再生時間: 15秒]


動画を回している最中にバッテリーランプが点滅を始めたので、手早く切り上げている。途中でバッテリーが切れると撮影中の動画が保存されないことがあるからだ。
まあ、これだけ撮影すればいいだろう。カメラの電源を落とし一旦ポケットに入れて引き返した。[1]

再び電源を入れて少しバッテリーが回復した間にササッと撮影する。
階段は個人商店の対面側にあるのですぐ分かると思う。


階段を登ってそのままコンクリート壁の上を歩いてみた。県道は交通量が少ないので目立つようなことをしていても殆ど気にならない。車を停めたときの交通ジャミングはまったくたまたまのタイミングらしかった。

県道からは見えなかったが、このコンクリート壁の上に立つとどうにか荒来橋が見える位置だった。


コンクリート壁の外側は藪の海である。渡る部分が僅かに見えるだけだ。
こんな状況ならコンクリート壁が施工される以前も僅かしか見えなかっただろう。


荒来橋は郷土マップには紹介されているものの、現地には案内板などは何もない。沈下橋があるだけで、橋名を示す親柱さえも殆ど忘れ去られたような感じだった。
この場所に道路橋が新たに架けられて荒来橋がなくなってしまう心配は…まずないだろう。上流には国道490号に通じる今瀬橋があり、下流には市道の橋があって荒来橋はその中間点にある。道路橋があれば便利かも知れないが、県道とて交通量が少ないなら、車ならどちらかの橋まで迂回するだろう。人が渡れる橋で充分である。

荒来橋は沈下橋だが、造られた昭和中期は現在のようなゲリラ的気象を想定しているとは思えない。上流の豪雨で極端に増水し護岸と共に洗い流されることが起こり得る。現地を見た感じでは、通常水位なら安全に渡れる今の橋をわざわざ撤去することはないにしても、豪雨で著しく破損したら再度の架橋はないかもと思われた。

農村時代と異なり川を挟んだ徒歩での往来需要は確実に減っているし、車という移動手段がある。少々遠回りになっても増水にかかわらず渡れる別の橋を車で迂回できるから、敢えてコストを投じて安全性も担保されない沈下橋を造らないだろう。居住者数や農業従事者の人口、そして移動手段の変化がそれを後押ししている。昭和41年の荒来橋は現役の橋梁にしては新しい部類だが、沈下橋という特異性に加えて平成期もかなり進んだ現在では、そろそろ意識して記録しておくことが必要な構造物と言えるだろう。ざっとではあるが今、ここに記録した。

本日のスケジュールはこれにて終了。
あとはアジト方向へ帰りながら適当にネタを探すだけだ。


時刻は午後4時近くになっていた。もし当初の通りバス停のところに停められていたならそのまま北上して国道490号に出ていたが、車を転回させていたため県道経由で下小野へ出るルートで帰ることとなった。
本件の再訪はおそらくない。しかし橋名のみを刻んだ親柱一基のみ存在するというのはちょっと不自然で、周囲を丹念に探せば関連するものが見つかる可能性があるかも知れない。
出典および編集追記:

1. 一旦電源を落としてカメラを休ませると、次に電源を入れたときもう数枚程度なら撮影できるためである。

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