鳩岡跨線橋(仮称)

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記事公開日:2024/10/27
最終編集日:2024/10/28
情報この記事の物件名は地区名を元に暫定的に与えられています。正式名称が判明次第、修正し本タグを除去します。

鳩岡跨線橋(仮称)は、山口市佐山地区に2つ存在する。一つは県道25号宇部防府線(南部海岸道路)にある跨線橋で、もう一つは県道跨線橋の北側約150mの地点に架かる狭い跨線橋である。

位置図を示す。
が県道の跨線橋、が旧来の跨線橋である。


県道の跨線橋は鳩岡跨線橋が正式名称であるのに対し、旧来の跨線橋は名称が判明していない。建設当初の原形を保っているのは旧来の跨線橋なので、ここでは主にこの跨線橋について記述している。
《 旧来の跨線橋 》
県道の一つ北側を通る山口市道小路遠波線にある。
Google ストリートビューの映像を示す。


市道の東側から撮影。
跨線橋を渡ったすぐ先がクランクになっている。


跨線橋より反対方向を撮影。


跨線橋の両側にコンクリート基礎があり、前後の道路部分よりかなり高い。


橋の前後は民家と畑地であり、特に畑は橋より1.5m程度低い位置にある。それより高い位置に跨線橋があって前後の道路をスロープで擦り付けている。建設当初のままではなく、昭和初期の電化時に架線と碍子の位置を確保するためにかさ上げされているかも知れない。

欄干は下側がやや太い四角柱で、この構造も共通している。
上嘉川跨線橋よりは往来があることを考慮して、後からフェンスを取り付けたようである。


フェンスは既設のコンクリート欄干に金具を取り付けて固定されている。

橋脚部分の構造は上嘉川跨線橋などと同等だが、道路幅を確保するために3本柱で支えている。


横方向からの撮影。


反対側は県道の跨線橋以外に撮影できる場所はない。
《 県道跨線橋 》
周防大橋に向かう途中の立体交差部分にある。
Google ストリートビューの映像を示す。


近年の建造物であり歴史的価値はないためまだ画像採取されていない。アルミポールの欄干の両端にある石材には銘板が取り付けられている。画像採取され次第、写真を追加する。
《 アクセス 》
県道の鳩岡跨線橋は特に見るべきものがないので省略し、旧来の跨線橋について現地アクセスを案内する。

周防佐山駅の駐車場にクルマを停めて市道を南に歩くと佐山踏切に差し掛かる。
この場所の Google ストリートビューの映像を示す。


ここで踏切を渡らずに右側に見えている線路沿いの里道を進むと堀割に跨線橋が見えてくる。


跨線橋の見える場所から山口市道小路遠波線に出る前の間はやや広い砂利の空き地状態になっており、狭い市道を通るリスクを負えるならここにクルマを仮置きして歩いて観に行けば一番近い。このルートは以下の通りである。

県道宇部防府線が鳩岡跨線橋に向かって登り坂となる途中に左へ入る道の案内標識がみえてくる。
ここから入る。


途中から道はかなり狭くなる。T字路に突き当たったら右折する。左側にフェンスで囲まれた空き地が見えてきて先に右折カーブとミラーがある。このミラーのすぐ左側が 砂利の空き地である。里道の一部と思われるので往来の邪魔にならないように端へ寄せれば跨線橋まで歩いて数十メートルである。四輪の往来は殆ど地元在住者しかないようだが、離合できない区間がかなりある。
《 地名としての鳩岡 》
鳩岡(はとおか)は、山口市佐山地区にある地名である。
写真は県道25号宇部防府線(南部海岸道路)と県道212号山口阿知須宇部線の接合点にある鳩岡の地名表示板。


動植物の名を含む地名は、それらが頻繁に見受けられた地を想像する。植物に関しては松をはじめ葦(よし)や茱萸(ぐみ)が佳字や別の漢字に置き換えられたものが多い。動物についてもイヌやタヌキを含む地名が至る所に知られる。

鳥類に関してはそれほど多くなく、特に鳩(はと)を含むものは市内には一つも観測例がない。これに似た音を含む地名も知られていない。しかし鳩岡は鴨生原などと共に江戸期の風土注進案にもその地名がみられる。
画像は阿知須いぐらの館にある一般公開されていた展示物からの接写


市外の地名でもあり資料を持ち合わせておらず鳩岡という地名の由来は分からない。歴史的な何かの出来事に由来するのかも知れないが、一般法則より推測するなら鳩は「果て」の変化かも知れない。即ち「丘の果てる(終わる)場所」だろうか。

地勢的には土路石川・由良川の河川が海に注ぐまでに北側から張り出した地形で屈曲している場所にあたり、これは鳩岡の丘陵部の影響である。北東側からの一続きの半島部とすれば、鳩岡は河川や海に面した陸地の果てる場所となる。新地海岸を挟んで東が藤尾山なら、開作前の地形は海岸がもっと北側にあったと思われる。新地は「新しく拓いた地」であり、北側の渚という地名からも昔の地形がみえてくる。
出典および編集追記:

1.

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