黒岩橋

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現地踏査日:2013/10/20
記事公開日:2013/10/25
情報この記事は市道黒岩線に付随する跨道橋の黒岩橋について記述しています。
下を通る市道黒岩片倉線から眺めた黒岩橋については「下から眺めた黒岩橋」を参照してください。

黒岩(くろいわ)橋は、市道黒岩線に存在する跨道橋である。
写真は黒岩側から向かった場合の橋の様子である。


橋の中央部分をポイントした地図を掲示する。


地図でも示されるように、市道黒岩線は別の対面交通の道(市道黒岩片倉線)の上を跨ぎ越している。それ故に当サイトでは初めて記事化される跨道橋ということになる。

新規に橋を架けるという工事は多くの場合、今まで通れなかった場所の往来を可能にするために行われる。跨ぐものは河川が一番多く、それから道や鉄道となる。
鉄道や川は古くから同じ場所に在るものの、道路はそうではない。まったく人の踏み跡さえなかった場所を切り拓いて道を造る場合がある。このため橋となる道が必ずしも新しいとは言えない場合がある。後で述べるように黒岩橋もそうであった。

黒岩側から進むと、市道は橋に左カーブで取り付き高度を下げている。


この場所から大きく伸び上がって橋の下の撮影を試みた。
藪がきつく明瞭には写らなかったが幅の広い道が下を通っている。


ちょっとフライングして橋を少しばかり渡りかけた場所から下を写している。
かなり深い堀割で対面交通の道が通っている。今いる市道黒岩線よりもずっと幅が広い。


この高規格な道路から想像されるように、元は橋の下の道は存在しなかった。黒岩と片倉を直接連絡する車の通行可能な道は、小さな峠越えとなるこの市道黒岩線だけだった。それも地図で明らかなように山裾を越える狭くて曲がった道だったらしい。
交通需要に応じて常盤北湖畔から片倉に向けて山肌を大きくオープンカットして道を通したのはさほど昔のことではなく、精々今から十年程度前のことであった。
臨空頭脳パークの設立も多分に影響していると思われる

即ち市道黒岩線は黒岩から片倉へ抜ける山越えの道で、この場所は元々は地山だった。恐らく峠を越えて下り始める付近になると思う。堀割になったために跨道橋を架けて峠を越えて通る従来からの通行需要を保証している。したがって黒岩橋として上を通る市道黒岩線の方が歴史的にはずっと古い。[1]

改めて橋そのものを検証しておこう。
起点側の欄干にプレートが埋め込まれている。


漢字表記で黒岩橋。
黒字に金文字だ。見るからに新しい。


この反対側がちょっと奮っていた。
本路線名が記載されていたのである。


河川を跨ぐ橋なら真締川などと表記されるところだろう。しかし道路の場合は今居る位置の路線が重要であるせいか、本市道名の記載である。


一般市民が市道の路線名を目にする機会は稀少である。中域を表示する地図の主要路線や工事看板の路線表記などにみられる程度だ。永続的に表示される橋のプレートとして市道名が明示される例は極めて稀である。
今のところこれ以外の事例を知らない

正面から撮影。
コンクリートの袖壁にネットフェンスが付属している。フェンスが要る理由は先の写真で想像がつくだろう。


橋は終点に向かってかなり下っている。
カメラは水平に構えて撮影している。


両腕を伸ばせばネットフェンスの網目に邪魔されず撮影はできた。しかしここからカメラを落下させては一大事だから、無理せずフェンスの網目にレンズを押し込んだ。
カメラのストラップが綻びていて今にも切れそうなのである

片倉方面を写している。
車線幅そのものが充分に広いし両側に幅広の自歩道が付属する平成時代らしい規格だ。


こちらが黒岩側だ。
黒岩橋は下を通る市道片倉黒岩線の最高地点付近の上を通っているので、どちらを向いて撮影しても下り坂になる。


対岸側のプレートを撮影するために自転車へ跨った。
跨っているだけで勝手に下っていく。そのままだと加速し過ぎてしまうので両ブレーキを握り締める必要がある程だ。

端へ停めて振り返って撮影。
橋本体だけで前後5mくらいの高低差がついているだろうか。


設置されたプレートの上にまで藪が進出し、プレートを覆い隠していた。


左手でつる草を払いのけて右手でシャッターを切っている。
平成14年12月竣工だから、また10年ちょっとしか経っていない。


反対側の袖壁はつる草の侵食も及ばない程度に地山から離れていた。


平かなで「くろいわはし」となっていた。


袖壁の端には隙間があり、下を覗き込むことができた。
あまり近づくのはちょっと怖いのだが…


橋の外側に水色の鋼管が渡されている。水道の本管だろう。
この管は下の道からも見える。


渡り終えた先も暫く同程度の下り坂になっていて、カメラを構えた背中側に民家が数軒ある。したがって下に広い道を通したから上の道はもう要らない…なんてことには出来ないわけだ。


仮に家がなくとも橋の片倉側には開方面へ抜ける地元管理の道がある。そこからの通行需要があるので、いくら峠を越えずに済む堀割の道ができようが道としての相応な役割は残っている。

もし市道黒岩線の沿線に家屋がなく枝道もまったく存在しない道だったら、利用状況を調査した上であるいは黒岩橋を架けずそのまま廃道になっていたのだろうか…と思いを巡らせたのだった。
出典および編集追記:

1. 歴史的には市道黒岩線の方がずっと古いながら、路線に与えられた整理番号はどちらも900番台である。峠越えの元々は地元管理だった道を認定市道に昇格させたか、架橋に合わせて元の道の線形改良や拡幅などを行ったためではないかと推測される。

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