中山橋

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現地踏査日:2013/7/21
記事公開日:2013/8/10
中山(なかやま)橋は中山川の下流に近い場所に架かる地区道の橋である。
写真は県道琴芝際波線の旧道区間である市道内堀線側から撮影している。


地図で橋の位置を示している。


市道に立ち上流側から撮影。


下流側から撮影。


橋からは県道からの分岐路が見透せる。


親柱はなく、ガードレールにブロンズの銘板で「なかやまばし」となっている。


市道の下流側に架橋年のプレート。


昭和61年2月竣功なので橋としての歴史は浅い。


地区道側から撮影。
市道との取り付け部分は曲がりやすいように隅切りされている。


地区道側の上流部に河川名のプレート。


中山川となっていた。


下流側のプレート。


そのまま漢字表記で「中山橋」である。


橋の構造は何処にでもあるコンクリート床版で、欄干部分は普通のガードレールである。遺憾ながら橋そのものには興味を惹かれる要素が何もない。
しかし河川の名前そのままの橋が架かっていることから、もしかすると歴史の古い橋かも…という考えは起きる。

恐らくそれもないだろう。それと言うのもこの先は近年になって整備された住宅地で、進入路自体も地元管理の道だからだ。それほど昔からあった道とは思われない。もう一つの理由は、中山川という名称は県の管理になってからのことで、それ以前は別の名前で呼ばれていた可能性があるからだ。

中山川が県管理となったのは昭和42年度のこと[1]で、それ以前は汐差川とも呼ばれていた。[要出典2]中山橋という名が付いているなら、初代の橋が昭和40年代以降か、あるいは中山川という呼称が県管理以前から定着していたかのどちらかである。

下流側を撮影。ここからは見えないが、中山川が厚東川へ注ぐまでに名前を持つ橋がもう2つある。


上流側を撮影。もしこの橋が中山川を渡る一つの場所としての重要性を持つとすれば、現在見下ろしている用水路にまつわるものではないかとも思う。


現在は干上がっているこの用水路の名前こそ分からないが、現在の岩鼻方面に灌漑用水を回すためのものだったようだ。


最近ざっと読んだ書籍から得た情報なので確定的なことは分からない。遙か昔は中山川を堰いて水位を上げ、現在の岩鼻公園がある場所(以前は大迫池より下にある溜め池だったという)へ用水を導いたらしい。途中は導水隧道もあったとされる。

この水路であることはほぼ疑いない。しかし現在も同じ経路が遺っているかは分からない。


地区道横断部分はボックスカルバートになっている。
水路の普請を行うために現在の県道から中山川を渡る場所が必要だった…ということは一応考えられる。


大迫池より下の溜め池はとうの昔になくなって現在は岩鼻公園の一部になっている。現地の改変が進んで相当な期間が経っているので昔の導水隧道が遺っているとはとても考え難い。もっとも未だ精密に踏査してみたわけではなく、私の知らない場所に当時のものが遺されていた…という可能性はあるだろう。

出典および編集追記:

1.「山口県|河川課|山口県の管理する河川一覧

2.

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