市道内堀線

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現地踏査日:2012/7/21
記事公開日:2012/8/11
小串台を越えて中山観音前に至った県道琴芝際波線は、そこから概ね中山川に沿って下っていく。かつてはそれほど幅もない田舎道だったが、交通量の増加で対面交通仕様に拡幅する過程でカーブを内回りしたり直線的な改良が施された。このため道路敷から外れた余剰地が沿線至るところにみられる。[1]中には道路としての機能を維持したまま残っている区間もあり、市道内堀(うちぼり)線はそれらのうちで最も長い区間である。

この市道の起点部分を示す。


起点としてポイントされた場所から中山川沿いに伸びる道は一本しかない。最も長い区間と言っても精々200mである。

起点の映像。地図でも示されている押しボタン式信号のところに分岐路がある。すぐ先は下中山バス停だ。


現在の県道はほぼ真っ直ぐに進んでいる。
かつての県道は律儀に中山川に沿って進んでいた筈だ。


実のところ県道がこちら側を通っていた頃のことを知らない。昔は車でこの県道を通った経験が殆どなかったのが理由である。県道沿線の風景についても断片的な記憶しか残っていない。車で相応に通るようになったのは高々十年程度前からである。そして当時からここを直線で抜ける今の県道のショートカット路ができあがっていた。[2]

車で通ったことが一度もなく、沿線の写真も今まで数回自転車で通ったときのものだけだ。


短い市道だが先を進んでみよう…
この市道とは直接関係はないが、中山川の一段高い位置にコンクリートの水路が設置されている。
後述する橋の派生記事でも書いている


それほど広くない道だが一方通行ではなく、どちら側からも出入りできる。
県道に向けては一旦停止の標示がでていた。


自転車で行けばペダル数回漕ぐ程度で中山川を渡る小さな橋に出会う。


名前はそのまんま中山橋である。
言及するほどの橋ではないが記事を書いている。
派生記事: 中山橋
橋を渡った先は浜田1の住宅地で、地元管理の道である。自転車で通ったことはあるが、車で先へ抜けられるかどうかは分からない。[3]

この橋が市道のほぼ中間地点になる。
3年前に撮った写真である。


殆ど掲載する意味も価値もないのだが、この橋の接続部から市道全体をパノラマ動画撮影してみた。
あまりにもネタが少ないので^^;

[再生時間: 9秒]


橋に背中を向けると、既にうねった道の先に終点の県道接続部分が見える。


同じく自転車のペダルを二漕ぎ、三漕ぎ…あとは惰力で転がるだけだ。
完全に中山川に沿っているので道路自体の起伏も殆どない。


ハイ、市道の終点到着。


終点側にも県道へ出る部分に一旦停止の標示が出ている。


県道が真っ直ぐショートカットしているものの切り詰められた距離は僅かだ。市道の起点側、押しボタン式信号のところと中山橋でS字カーブになっているので、設計速度50km/hの規格に合うように線形改良した結果だろう。


これ以上、この市道に関して私から述べられる内容はない。しかしたまたま私がこの地域に縁遠いだけであって、この旧道部分にまつわる想い出を抱えていらっしゃる方は沢山あるに違いない…

【路線データ】

名称市道内堀線
路線番号984
起点県道琴芝際波線・押しボタン式信号
終点県道琴芝際波線・合流点
延長約200m
通行制限なし
備考県道琴芝際波の旧道区間。

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
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記載項目が少ないので、派生的内容の記事を追加する。
《 内堀について 》
内堀(うちぼり)という小字は市内にはいくつか存在している。本路線では藤山村の字内堀であるが、宇部村にも島付近に同じ小字が存在していた。認定市道の路線名として現れる内堀はここだけである。

一般的に内堀と言えば、外堀と対比的に用いられ城の外側を囲む複数の堀のうちの内側をさす。しかし近辺に堀を備えた城は存在しなかったし、他にも「〜堀」という地名は単に堀状に水の溜まった地、細長い遊水池などに由来することが殆どである。そのような地に堀の字を含む小字が多く、藤山村の内堀も下流側に中堀、新堀といった小字が隣接している。
両者の内堀に関して共通する地勢と言えば、川の存在である。藤山村の内堀は現存する中山川(汐差川)に隣接し、宇部村の内堀はかつては居能方面へ屈曲して流れる真締川(間占川)が近かった。河川整備よりはるか前の時代、河川の蛇行などによって自然発生した堀があったのかも知れない。

なお、「内〜」という小字に対して「外〜」という小字も近くに存在することが多い。[4]しかし外堀という小字は今のところ知られていない。したがってこの場合の「内」は何か特異な意味を持つ可能性がある。

出典および編集追記:

1. たとえば、白岩公園を車で訪れようとしたとき車の停め場所に使える余剰地として検討した場所は、県道の線形改良の結果取り残された旧道路敷である。

2. 県道のショートカット路が供用された後に旧区間は市道へ払い下げられた。その時期は市道の通番からして今から十数年前のように推測される。

3. 何度目かここを自転車で訪れたとき、中山橋を渡ったこの先が何処へ抜けられるのか確かめたことがある。途中かなりの登り坂があったが自転車で抜けることはできた。
私事だが、この過程でまったく偶然に以前スポーツクラブで活動したメンバーに偶然出会った。自転車に乗って通り抜け路を求めてウロウロしていた中たまたま家仕事で庭に出ていらしたこと、私が表札の名を覚えていたのが決め手となった。私が秘密裏にこのような「今と昔を記録に遺す」活動をしていることはまずご存じないだろう。
またバドミントンで試合したいですね…これは私信です^^;

4. 内唐戸・外唐戸など。

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