田の小野橋【2】

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(「田の小野橋【1】」の続き)

架橋記念碑の前に置いていた自転車に跨がり瓜生野側にやってきた。


先の写真でも見たように土手部分は歩道よりも一段低く、一旦歩道を通り過ぎて折り返すような土手道になっていた。
土手から河原までの斜路は荒れているようなので自転車を留め置いて河原まで歩いた。

道路面から河原までの高低差は8メートル位だろうか。
適度に踏み跡があることから釣りに訪れる人があるのかも知れない。


橋の真下から田の小野側を撮影している。
歩道専用橋も道路橋と似たような構造だ。


先ほど道路橋の幅の狭さを観察した上で「現在の橋は高度経済成長期だったので歩行者や自転車の往来は考えられていなかった」と書いた。しかし下部構造を観察するに道路橋と歩道橋の外観や構造にそれほど大きな差がないことから、もしかするとあまり時期を違えずに設置されたのかも知れない。2代目の橋が架かろうとする頃から交通量が増え始め、当初設計のような自動車しか通れない橋の狭さの危険が指摘されて歩道橋を追加した…というところだろうか。
幼少期から親父の運転する車で何度もここを通っている。今となっては架橋年月よりその頃から橋は更新されていないことになるが、既に歩道橋があったかは思い出せない。[1]
意外に割と近年設置されたものかも知れない

厚東川の流れは田の小野側に偏って流れていた。


水の流れと量がもの凄い。
いくら厚東川ダムで流量調整しているとは言ってもダムより下流で合流する河川がいくつもあるからだ。


お世辞にも清澄な流れとは言えず川底は見通せなかった。しかし流れは充分に速い。自転車並みだろうか。深さも大人の背丈程度はありそうだ。
初代田の小野橋以前は船渡しが行われていた。今となっては両岸の何処で乗り降りしていたか分からない。割と天気の安定した今の時期でこの水量である。ダムのない遙か昔はもしかするとこんな場所へ降りて来られない程の水量があっただろうし、幅100m程度とは言っても人馬や荷物を載せた小舟で往来するなら危険も伴っただろう。

今は緊急放流時以外それほど水位が上がることはないらしく、瓜生野側の河原には常時水に浸っていては育たない草木も進出していた。


さて、例の井戸みたいなやつに接近しようと思ったのだが…近づくのはそれほど容易ではなかった。水位が上昇したのか現に草が生えているところまで水が押し寄せていて何処まで安全に踏み込めるか分からなかったのだ。引き返し際に調べることとして…

厚東川橋りょうの田の小野側接続部付近で善和川が合流している。
合流地点付近は土手道がなく接近することはできない。
このことより厚東川橋りょうの左岸側からの撮影は恐らく不可能


善和川も厚東川と同じ県管理の2級河川である。最初、私は木田橋近くの中島の話を聞くまで、二俣瀬という地名の由来となった瀬はこの近くのことかと勘違いしていた。

どんどん田の小野橋の話題から外れてしまうようではあるが…ついでながらそのまま下流の行けるところまで行ってみた。
厚東川橋りょうに関してはまだ河床から撮影していなかったので。


干上がった河原もそこまでだった。
ここから下流側は橋のところまで川幅すべてを使って水が流れていた。


国道の田の小野橋とは関係がないがついでながらもう一枚。
レンガ橋脚の側面にペイントされているスケールのようなもの。水位標識だろうか…以前から気になっていた。


ここまでを撮影して引き返した。
次は…あの井戸みたいな案件だ。


それは川幅がやや広がる中間地点にあった。
足元が不安だ… 岸辺付近はほいと攻撃しそうな雑草が多いので接近には気を遣った。


日光を背負うアングルの撮影がもっとも鮮明に写ることを頭に入れて、適度な距離と日射でズーム撮影する。
橋の上から眺めたときほど近寄れていないかも知れない。


ズーム撮影の限界。
やはり円筒状をしている上にコンクリート蓋が乗っているような構造だ。蓋と本体の間に穴が空いていた。か細い鉄筋のようなものが露出している。
枯れ枝のようにも見える


あの空隙から見ればどうも井戸のような中空構造をしている感じだ。少なくとも古い橋の橋脚跡ではない。位置的には確かに厚東川のほぼ中央にあるのだが、そもそも現在ある橋からかなり離れている。洪水のとき上流から流されてきたとか投棄されたという見方もできるが、その割には天板部分を水平に保っているように思える。[1]

再び橋の下をくぐるとき対岸に関して詳細に撮っておく必要があるのを思い出した。


道路橋の真下はコンクリートの土台があり、その下は確かに巨岩が見えていた。


垂直に切り立った一枚岩のようである。
すぐ下まで川の水が押し寄せているので接近はまず不可能だ。


総括でも書いたように初代の田の小野橋を架けるとき田の小野側にある巨岩を削り取ることを条件に瓜生野区民の承諾を取り付けたとされる。恐らく架橋前はもっと巨岩の高さがあり、橋を水平に架けようとすると瓜生野側が極端に低くなってしまうからだろう。
巨岩は恐らく完全に取り除かれたわけではなく現在も一部が道路橋の下に見えている。これでも相当に削られた後らしい。破砕機具が充分になかった昭和初期にどのような手段を用いて削ったのか定かではないが、岩を削って高さを下げるのに相当な苦労があった。かなり苦心して取り除いたもののこのとき岩の周辺にあった石積みも一緒に壊れてしまったと伝えられている。
現在ある2代目の橋が架けられる際に改めて削られた可能性もある

瓜生野側の接続部。
こちら側に岩はない。むしろ盛土して側面をコンクリートで補強することで両岸の高さを等しくしている。元々あった土手と高さはあまり変わっていないだろう。


上流部も踏み跡はあったがそこまで行くのは止めておいた。
きりがない…まだ本日のハイブリッド踏査計画は始まったばかりなので。


ここまで撮影して自転車の元へ戻った。
時系列としてはこの後に瓜生野交差点を経てゆるきとうの崖上部の写真を撮り、再び田の小野橋を渡って市道田の小野車地線の起点まで戻っている。

田の小野橋に関して続編が作成されるあては今のところない。さしづめ下流側にある謎の井戸みたいな遺構が気になるところではあるが手元の郷土資料には何もない。それほど古いものでもなさそうなので聞き取りによって判明するかも知れない。
出典および編集追記:

1. 昭和49年度版の航空映像による現地の様子。


道路橋しか写っていない。したがって併設されている歩道橋は2代目の田の小野橋が架かってから少なくとも10年以上後になって追加設置されたことになる。
また、河床部に見えている井戸のような構造物は河原に紛れて判然としない。
2007年度版航空映像では微かにそれらしき構造物が写っている

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