善和橋【2】

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(「善和橋【1】」の続き)

護岸接続部。
上から見ると分からないが、横から見ると親柱は半分程度の根入れがあり、間知石の橋脚に載っている。
欄干の装飾部が見えなくなる位に土砂が積もっている。


下部構造。
中央に橋脚一基を据えることで支えている。このため橋全体は中央部が若干高くなっているようだ。


井堰の操作や清掃を行うために両岸から川面へ降りられるようになっていた。


横から撮影。
川の中に堆積した砂州から木が生え橋の下部を覆っていた。国道から眺めれば廃物件のように見えてしまうかも知れない。


下から撮影するために井堰を伝って川の中へ降りてみることにした。


3年前にここを訪れた後に書いたYahoo!ブログ版の記事では”井堰は現在ではもう使用されていないと思う”と書いているが、とんでもない…現在も農繁期には水位を上げて用水を回すのに使われている。管理された田畑が周囲に広がっていることからも明らかだ。


この井堰も初代のものは善和橋よりずっと古い時代に造られた可能性がある。
広い善和地区にあってこの近辺は井手ヶ原と呼ばれている。井手とは井堰のことであり、この周辺にある主な井手であることは疑いないからだ。


護岸接続部を眺める。
橋の下は天端が揃う布積みで直線を形成し、それ以外の部分は堅牢な谷積みになっていることが分かる。


水の流れていない場所を伝って川の中に降りてみた。

下部構造。
中央の橋脚は3本のコンクリート柱によって両端と中央を支えている。
補強部分のコンクリートは橋本体とは外観に違いが見られる。これは後年による補強と思われる。
琴川橋の下部にも同様の構造が見られる


この小堰堤で善和川は高度を数十センチ下げる。
今は用水の非需要期なので堰かれることなくそのまま流れていた。


井堰が今も使われていると思われる関連構造物があった。
堰いて上昇した用水を導く開渠が下流側護岸にあった。上昇した水はこの溝部分を通って…


一部は下流へ返され、古道の方へ伸びていく暗渠になっていた。


内部を覗き込む。
安定した台形をひっくり返したような断面で、かつては両側が石積みだったようだ。後年コンクリート床版を架けたらしい。


その先は開渠となって鉄道の下をくぐり田畑に伸びていた。
灌漑用水需要期には今も水が回っているはずである。

井堰を伝って国道に復帰した。折しも市営バスが通り過ぎていった。
バス停での昇降客は皆無だった。


かなり古いもののちゃんと屋根のついた建築ブロック積みの停留所である。
古道は前方に見える植樹帯の裏側を通っており、先で現在の国道に吸収される。


バス停の名前はそのまんま善和橋である。
地名よりもそこにある構造物に肖ったバス停名が選択されているのが興味深い。


本サイトで案内されるのはコアで接近が危険なネタが多い中、善和橋は誰でも自由にかつ安全に立ち寄れる案件である。[1]押しボタン式信号と停留所の間から入れば農道の脇に車を停めることができる。

本件のためだけに車を走らせることもないだろうが、古い橋好きな方は国道を走った折にちょっと立ち寄る価値があるだろう。
出典および編集追記:

1. 地元管理道であり誰でも自由に通れるものの、橋の強度確認は充分に行われているとは思えず、下部構造にかなりの傷みがみられる。大型車両はもちろん普通車でも欄干付近へ寄ると橋にダメージを与えるかも知れない。

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