山口県宇部健康福祉センター(県保健所)

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記事作成日:2016/3/6
最終編集日:2024/8/14
山口県宇部健康福祉センターは、常盤町2丁目にかつて存在していた県管理の建物である。
写真は前面道路の市道東本町寿町線からの撮影。


建物が存在していた時期の航空映像を示す。
中央の捻れた建物である。後述するように建物は既に存在しないので、地図ではなく航空映像で示している。
地理院地図の航空映像はデータ更新頻度が遅く最終編集日時点で2012年頃の映像が表示される


正式名は山口県宇部健康福祉センターであるが、かつては多くの地図で「宇部環境保健所」と表記されていた。実際、宇部市民には昔から保健所と呼ばれることが多かった。このため県道琴芝際波線(産業道路)沿いの琴芝町2丁目にある市管理の保健センター(宇部市休日夜間救急診療所)と取り違えられることがあった。以下、この総括記事においても「保健所」と略記する。
《 建物の概要 》
一般市民にあまり馴染みのない保健所を独立記事に作成したのは、建物の配置に興味深い特性がみられること、そのことに関連づけできそうな情報が得られたことによる。すぐに気づくことと思われるが、保健所の建物だけ周囲の区画に沿わず斜めに建っている。

市街地では常盤通りを中心として平行ないしは直交する道で区画が形成されている。そして殆どのビルや住宅は区画に沿って整然と建てられている。唯一、保健所の建物だけが現在の区画に沿わずおかしな向きに建っているのである。保健所の建物は不定形ではなく整った直方体で、土地の効率的な利用からすれば不条理な配置である。実際、上空から見ても建物の周辺が不定形に空いているため敷地内に停まっている車もてんでバラバラな方を向いている。

近くのビル(RestaKushibe)上層階の階段踊り場[2]からの撮影。
保健所だけが周囲とは異なる向きに建っているのがよく分かる。


保健所の建物の向きが他のものと異なる事実は既にお気づきの方もいらっしゃったかも知れない。私自身、以前から気づいてはいたが特に注意を払って観察はしていなかった。個人的にあまり用事のない機関というのも理由にあった。区画が一通り整った後にわざわざこんな建て方をすることは考えられないので、保健所の建物は現在の常盤通りを中心とした街並みが整備される以前からの古いものではと考えた。

宇部の市街地は戦時中の空襲で甚大な被害を受けている。現在の常盤通り[3]は戦後の復興の象徴でもあり、当時としては些か過剰設計とも思える50m道路を実現させた。周辺道路も復興された常盤通りを中心に整備されたと思われるので、保健所の建物は一連の道路整備が進む以前のものかも知れない。かつては建物の外周に沿った道があったのではと思われたのである。

自転車で市街地へ出てきた折りにちょっと建物を撮影してきた。
これは玄関から右側のコーナーである。


外壁はタイル張りで一部は後から貼り替えたのか継ぎ接ぎ状態になっている。


公共施設とは言え一般の来訪者が敷地の裏側まで入り込む用事があり得ないのでかなり憚られた。しかしカメラを構えているので目的は誰何されなくても分かるだろう…

右側の奥のコーナー。
驚いたのは未だ土の地面がありダブルトラックが着いていたことだ。こんな市街地に農道みたいな部分が遺っていたとは…


建物の裏側である。
こちらまで一般来訪者が来ることはないせいか未舗装のままになっていた。停まっている車は職員のものだろう。


背面を撮影している。
敷地の後ろに制限があってワンショットで収めることができなかったので2分割している。


背面側にタイル貼りの装飾はなくコンクリートのままだ。
2階の壁から突き出ているH字型の煙突が時代を感じさせる。


正面に回った。
ここでも敷地の制約からワンショットで全体像を収めることができなかった。


訪れた日は日曜日だったので玄関は閉庁を示す札が下がっている。しかし室内は点灯していて休日出勤している職員があるらしかった。
保健所に用事がある来訪者に向いた側だけは念入りに塗装されているし壁面には一面にタイルが貼られている。天井部がベランダ状に外側へ張り出し、控え柱が異様に目立っている。レンガ柱のようにも見えるが恐らくコンクリート製で外側をレンガ調のタイルにしている。

正面部分は階段で左横にスロープがある。このスロープや入口のアルミ製自動扉は後年の追加設置や改変だろう。
平成初期まではバリアフリーを意図した設計以前に概念自体が定着していなかった


左側にあった保健所の正式名を示す標示板よりも右側のこれの方に興味が向いた。
見るからに古そうである。これは建物が建った当初からのものだろうか。


建物の左側は車が何台も停まっていたので撮影していない。また、内部へ入って撮影するほどでもないし、建物の成立時期や区画に沿わない方向で建っていた理由などの確認はしていない。
《 捻れた配置の理由 》
この総括記事を作成後にいくつかの知見が得られたので、元の記述はそのままに編集追記している。
【 初期の考察 】
外観からして保健所はそれほど古い建物ではない。改修を重ねられていることを仮定しても精々昭和中期以降であろう。その頃には周辺の道路はほぼ確定しているので、現在の区画が整った後にわざわざ新規に今の配置で建てたことは考えがたい。

最初に考えたのは、昔の道筋に沿った建物が存在していたが、取り壊された後に基礎部分のみ流用して現在の保健所を建てたという仮説である。基礎が頑丈に造られていて撤去にコストがかかるなどの理由で、現在の区画に沿わないのを承服の上で新規に建てたのかも知れない。

最近、新川の街並みを記述した[4] の該当項目を読む過程で、以前保健所のあるこの場所に市役所の建物があったことが分かった。大正10年に宇部が村から市へ飛び級昇格した後、元あった上宇部から新川に移す案が提出された。地元上宇部では寂れることで反対の声があったが、役場を移転する代わりに中学校(現在の宇部公立高等学校)を新設することで合意を得たとされる。[4]

最初の市役所を建てたくらいなら、建屋も基礎も相当に堅牢なものだったとも考えられる。もしかすると完全に取り壊した後ではなく一部は当時のものを流用して現在の保健所があるのかも知れない。この辺りの事情について言及した郷土資料は未だ手にしていないが、当該保健所の設立史などに記録されている可能性はあるだろう。詳細が判明したなら編集追記する。
【 後の考察 】
建物が捻れて建っていたのは、建設前の同じ場所にあった建物由来ではない。そのことは保健所の建物ができる前の昭和37年7月25日撮影の航空映像からも分かる。


前身の建物が何であったかまだ調べられていないが、既にできあがっている常盤通りを軸とした碁盤目状の区画に沿っている。したがって保健所の建物を造るとき最初から意図的にあの捻れた配置にしたことが分かる。

現在ではこの捻れは日照を考慮したか、既に存在していた山口大学医学部附属病院の向きを取り入れた仕様ではと推測している。あるいは両方の理由かも知れない。山口大学医学部の前身は山口県立医科大学であり、保健所ができるずっと前から存在していた。どちらも県管理の健康関連の建物であれば、仕様を参考にすると考えるのは道理である。

これは前掲の写真と同時期に撮影された県立医科大の航空映像である。
殆どすべての建物が同じ角度で建設されていることが分かる。


この捻れは冒頭に掲載した保健所の捻れ角度にかなり近いので、県管理の保健所を建設するにあたって県立医科大の建物の仕様を参考にしたのではないだろうか。
《 廃止と取り壊し 》
保健所は建物が老朽化していたことから、琴芝町1丁目にある県合同庁舎に機能移転し廃止されることとなった。
写真は2019年に廃止がアナウンスされたときの掲示物。


ただし建物が閉鎖された後も駐車場が一般開放され利用できた。個人的には土日に旧宇部井筒屋の1階にあった常スマに行くには格好の駐車場であり、ここにクルマを停めて常スマでレンタサイクルを利用して市街部を移動するためによく利用していた。

2020年3月より建物の取り壊し作業が始まった。


同年5月の撮影。


大きな建物であるため解体に時間がかかり更地になったのは5月下旬だった。保健所の敷地は民間に売却され、同月末までに杭打ち機などの重機が搬入され新しい建物の建設が始まった。[5] 現在では西京銀行宇部支店アイザワ証券の建物ができている。


ここに県の保健所があったことを知る人もやがて居なくなるだろう。
出典および編集追記:

1. 「宇部市|山口県宇部健康福祉センター

2. 上部階は市営住宅(常盤町借上)となっている。業務で建物を訪問したときに撮影。保健所が廃止され取り壊される過程も同様に撮影されている。

3. ただし常盤通りそのものは明治期から既に存在していた。設計者や命名の由来共に判明している。

4.「宇部ふるさと歴史散歩」p.45

5.「FBページ|2020/6/12の投稿
《 個人的関わり 》
先述の通り市民には馴染みの薄い機関であり、個人的に訪れたのは記憶する限りで近年の2回のみである。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

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