宇部井筒屋の閉店

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記事作成日:2019/1/2
最終編集日:2019/1/10
ここでは、宇部井筒屋の閉店について閉店アナウンスのあった2018年7月末から同年大晦日におけるお別れセレモニーまでを記述する。
写真は閉店した2018年大晦日の夜の撮影。


基本的に時系列を追って記述するが、この記事を書き始めた現時点では今後について未だ確定的でない部分もある。閉店後の2019年に入ってからの動向については「閉店後の状況」に編集追記する。記述の量が多くなった場合は更に個別記事に分割するかも知れない。
なお、以降の記述においては特段の断りがない限り宇部井筒屋(正式名称:山口井筒屋宇部店)を単に「井筒屋」と表記している。
《 タイムライン 》
公式に発表されたものを抜粋して一覧にしている。詳細は月日に設定されたリンクを参照。最終営業日となった12月31日のみ別項目に記述した。

月日出来事
7/31井筒屋の年内一杯での閉店が公式に発表される。
10/3宇部商工会議所が井筒屋の土地と建物を取得する意向を明らかにする。
11/下旬お別れセールが始まる。
12/1「年表と新聞で見る宇部の歴史 50年を振り返るパネル展」が始まる。
12/31午後6時をもって閉店。その後常盤通りに面した玄関口で代表者の挨拶があり店舗のシャッターと共に歴史の幕を降ろす。

以下に私的なアクションも含めて詳細を記述する。
【 7月31日 】
北九州の2店舗に加えて宇部井筒屋が今年一杯で営業終了することが公式に発表された。いずれの店舗も営業不振と賃料負担にあえいでおり、経営資源の集中のためと説明されている。[1]

このニュースの伝播は(少なくともSNSを利用している市民においては)極めて速かった。その裏では営業が厳しいのではといった想像はある程度されていたにせよ、年内の閉店を予想していた人は皆無であり衝撃度は大きかった。昨今における市民の利用状況はともかく、常盤通りの顔とも言える一つの店舗という認識が強かったからである。賃料負担が重くのしかかっているという報道から分かるように井筒屋の敷地は自社所有ではないため、一般には更地にして所有者に戻す必要がある。過去に一度店舗改装を行っているとは言え老朽化もみられること、そもそも永らく駐車場問題に悩まされていたこともあって別のテナントが入る見通しは薄く、今在る建物は取り壊され更地になると多くの市民が予想した。

近年の小売店舗はディスカウントストアやコンビニなど価格優位性ないしは利便性にシフトしており、井筒屋も1階のベーカリーや地階の食品関連を除けば贈答品や高級ブランド志向のイメージが強かった。このため特に若い世代では日用品の買い物先として訪れることが少なく、店舗の閉鎖で影響を受ける買い物客はそれほど多くないように思われた。むしろ店舗従業員の雇用喪失や核となる店舗が常盤通りから消えることの影響が懸念された。

年内の店舗閉鎖という発表を受けて、現宇部市長は井筒屋の営業継続の再考を求めていたが、公式にアナウンスされたことでもあり実現の可能性は甚だ薄い。穿った見方を許せば「井筒屋ほどの大規模店舗が大通りから消えるのに慰留もしないのか?」といった市民からの非難をかわすためのゼスチャーに過ぎない発言と映った。
【 9月18日 】
私的アクションであるが、映像記録を遺すための第一回目の井筒屋撮影を行った。ただし一般にデパート内でのカメラ撮影は禁止されていることが多いため、盗撮など疑義を差し挟まれやすい買い物客のいる売り場スペースは除外して屋上や立体駐車場などに限定した。また、現在ある建物が喪われると同じ視座からの遠望も撮影できなくなるため、屋上からの常盤通りや市役所方向の撮影も行っている。このときの撮影画像は総括記事や後述するコラムVol.31の背景に使われた。
【 10月3日 】
宇部井筒屋は別のテナントが入ることもなく建物は取り壊され更地になるものと思われていた。その後宇部商工会議所が井筒屋の土地と建物を単独で取得する意向が表明された。[2]殆どの市民が予想だにしていなかったことでもあり、再び驚きの声があがると共に少しばかりの希望を見出す市民も居た。

商工会議所が取得交渉に入った背景には、賑わい創出と新たな街造りを行うにはオール宇部でやって行くべきという考えの元であることが表明された。土地のみならず建物も取得する意向が示されたことで、現況の井筒屋の建物自体の耐震性に問題はないか、現実的なコストで補強可能と考えられる。このことより商工会議所の取得が確定したわけではないにせよ、井筒屋店舗の建物が全部取り壊されてしまうシナリオはやや遠のいた。
【 11月下旬 】
正確な開始日は不明だが、11月下旬より閉店さよならセールが始まった。多くの商品が3割引といった格安価格で売り出されていることとクロージング効果もあって、閉店アナウンス前よりも明らかに来店者数は増加している。他方、セール開始以降は新規の仕入れが抑圧されるせいか、欲しい商品がなかったり取り寄せが不可能で手に入らないといった声も聞かれた。
【 12月1日 】
井筒屋営業の最終月である。この日より閉店イベントの一環として井筒屋と宇部の歴史を時系列で追うパネル展示と、来訪者によるメッセージの受付を開始した。
この写真自体は8日の撮影


メッセージは2階と4階に設置されたコーナーで来訪者が書いたものを投函し、後日店舗関係者がボードへ貼り付けるスタイルとなっている。[3]書かれたメッセージを直接ボードに貼るのではなく一旦投函を求められていることより、すべてのメッセージは掲示前に査読されている。ただし井筒屋に批判的な内容のメッセージも間引かれることなく平等に掲示された。[4]

また、恐らくこの日から閉店までの日数カウントダウンの掲示が始まった。正面玄関横のウィンドウにパネル展示を告知するモノクロ写真のパネルと共に営業終了日までの日数を表示したボードを掲示した。
【 12月8日 】
展示されているパネルの閲覧とメッセージの投函に行った。パネルの中には空港拡張工事で消滅寸前の鍋島の写真など、近年のものながら今まで公開されたことのないものもあった。特に重要で他の資料や書籍などに掲載されていない情報源を与えるパネルはカメラ撮影しておいた。

ボードに掲示されているメッセージを一通り眺めると共に、宇部マニアックスを明記した上でメッセージを書いて投函した。


現物を目にして些か宣伝臭いと感じた方があるかも知れないが、記名したのは宣伝目的ではなく足元の郷土を観察し変化を記録する者として「キチンと注目している」旨を間接的にアピールする意図もあった。
【 12月15日 】
一週間前に投函した自分のメッセージがボードに貼られているか観に行った。一週間前に眺めたときよりもメッセージの数が倍近くに増えていた。あまりに数が多く、最初自分のメッセージを見つけることができなかったほどである。
メッセージの内容は感謝や寂しさを表現したものが目立った。年配者のメッセージには現在殆ど知られていない昔の井筒屋について言及したものもあり、情報源として重要なのでカメラで採取している。
【 12月25日 】
映像記録を遺すための第二回目の井筒屋撮影を行った。閉店まで残すところあと一週間となり、正面玄関横のカウントダウンボードがあと7日を示している。


第一回目に続いて再び屋上をメインに遠望や井筒屋稲荷神社の撮影を行った。また、階段など買い物客の居ないスペースや壁に貼られた掲示物も採取している。この2回の記録活動においても地階は(常時買い物客であふれていたため)撮影されていない。
【 12月26日 】
井筒屋の閉店とは直接関連はないが、本日サンデー宇部に掲載される12月度のコラム(Vol.31)が配信された。コラムタイトルは「景観が大きく変わった場所」で、2018年において相次いだ造成工事や建物の改修・取り壊しを題材にしている。コラムでは井筒屋の井桁マークが掛かった壁面を背景に配置した。


コラム内容では井筒屋の閉店については全く言及されていない。既に井筒屋の年内閉店は市街部に近い在住市民には殆ど周知されていること、景観自体が大きく変わったわけではないことによる。しかし半世紀の永きにわたって常盤通りの構成員として経済面、景観面を支えてきたことに間接的ながら敬意を表してコラム背景に選択した。井筒のトレードマークが上部に偏った状態で撮影されているのは、テキストを配置したとき隠れないようにするためである。

なお、コラムに私企業の写真を掲載したのは(右下にやはり店舗名を言及しないまま写真だけ掲載したインテリア城南の建物と共に)この Vol.31 が初めてである。コラムは当サイトどころではない広域に大量配信されるので、私企業の写真が題材となることについて担当者に確認している。問題ないとの判断で写真掲載に至った。奇しくもVol.31が掲載されることとなったサンデー宇部の内面には井筒屋閉店の全面広告が掲載されている。
《 最終営業日 》
最終営業日となる12月31日は、午後6時で閉店することがアナウンスされていた。特段の案内はなかったが、閉店時のお別れセレモニーが予想されたので閉店30分前に現地を訪れ、最後の瞬間までを見届けてきた。一連の状況は以下の独立記事を参照。
時系列記事: 宇部井筒屋の最終営業日
なお、大晦日にはこの後親元へ戻って年越し蕎麦を食べて再び市街部へ戻り、港町で開催されたカウントダウン花火を自転車で観に行って帰りに再び井筒屋前を通っている。冒頭の「残り0日」のボードは、2019年入りしたときの撮影である。
《 井筒屋閉店の意義と所感 》
客観的な見方のみに限定すれば、2018年7月末にアナウンスされていたように他の2店舗と共に売上げ不振が明白であり、母体会社からすれば赤字拡大という出血を最低限にとどめるための止血措置以上でも以下でもない。しかしそれは上場企業としての井筒屋であって、この地で半世紀にわたって営業してきた宇部井筒屋に対しては、個人的にはかならずしも同じ見方にはならない。

情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

確かに2018年の閉店アナウンスは突然のものであったが、何の変化も起きることなくこのまま営業が続くわけがないことは素人目にもかなり明らかだった。買い物以外で井筒屋に入店することは何度かあったものの、平日はいつ訪れても買い物客の姿がまるでなかった。それでいて各売り場には1〜2人の店員が常駐している状態だった。他のデパートの衣料品売り場などでは一人の店員がある程度の範囲を担当し、買い物客も商品を持ってレジに向かったものの誰も居らず店員を捜し回るということが(それが良い訳でもないのだが)当たり前である。

この点で井筒屋は余計な人件費をかけていたことになるのだが、もしかすると雇用保障の意味合いも兼ねてそうしていたのではという推測が過ぎった。余剰店員をバッサリ切って人員削減すれば、その分だけ確実に人件費は浮く。しかしそれを敢えて行わず(契約上の規定もあったのかも知れないが)閉店のときまで極端な削減を行わなかったことは評価される。井筒屋に勤務するのに凡そ遠方から来る人は少ない筈で、殆どが地元在住者だろう。地元の雇用を一定期間なりとも守ったとも言えるのではないだろうか。

エムラは2009年に店舗営業を停止、後に取り壊された。クシベは同地で改修を行った折に1階のみの店舗営業に縮小し、上層階は市営住宅(常盤町借上)になっている。平成期以前から同じ場所でオーナーも変わらず営業している大規模店舗は皆無となった。時代の流れと消費者の志向変化に転身しつつ追随することは、こういった大規模店舗では極めて困難なことが如実に示された。

これに代わって台頭してきたのがコンビニエンスストアやドラッグストア、ディスカウント系ストアである。中等規模の店舗はまだ大規模店舗寄りスタンスな営業が多いが、コンビニなどは小売業界において日和見営業の最たる存在である。売れない商品、動かない店員、売上げが伸びなかったり不便な店舗が存在を許されることはなく、折を見てバッサリ斬られる。地元雇用や店舗がそこに在ることを当てにした消費者の存在などまるで頓着していない。僅かばかりの告知期間の後で唐突に店を閉め、当てにしていた近隣住民を困惑させる。そしてまた別の場所で新規に店舗開設といった塩梅で、買い物客の動線や街造りを考える上では攪乱要因でしかない。私が個人的に常々コンビニの存在を疎ましく思っている所以である。店舗利用者の利便性と企業利益の最適化を究めることばかりに執心し、地域へ腰を下ろして地道に貢献しようという態度がまるで感じられない。

かつて「十年一昔」と言われた。21世紀も進んできた昨今では、時代の流れやテンポは10年どころではない。その半分以下で回っており、先を読もうとするなら2〜3年後のことですら非常に困難である。そんな中で井筒屋は未だ時間がゆっくり流れていた昭和期を含んでいるとは言え、半世紀にわたって市街地および近隣地域の雇用と消費者需要に応えてきたことは大きく評価される。そこには「東証一部上場企業の井筒屋だから…」といった奢りがなく、淡々とだが地元へ貢献してきた最後の大規模店舗と言えるのではないだろうか。
《 閉店により予想される影響 》
消費者側のスタンスから言えば、一般的な食材や日用品の買い求めについては市街部周辺域に他社スーパーををはじめディスカウントストア、ドラッグストア更にはコンビニが存在する。このため車で移動できる手段を持つ年齢層への影響は限定的である。他方、井筒屋店舗内にある専門店の常連客や、徒歩かバスで買い物に行く高齢者層には影響が大きい。常盤町二丁目バス停は常盤通りのちょうど井筒屋玄関前に位置し、雨天時も傘を差さずそのまま井筒屋に行けるように屋根付きの通路が設けられている。常盤町二丁目バス停での乗り降りを必要とするような主要店舗が他にないため、今後のバスの便の構成にも影響を与えるかも知れない。

サービスを提供する側のパートを含めた従業員からすれば、井筒屋の閉店で多くの人が働き場を失うこととなる。末期では多くの来店者が指摘していたように「どの売り場も客より店員の方が多い」状況であったため、市街部における雇用情勢にボディーブローのように中長期で影を落とすことが懸念される。

核となる店舗を常盤通りから喪ったという負のメンタルな影響は甚大かも知れない。これにはほぼ同時期に中央町エリアからJoyfull中央店、すき家などの3店舗、そしてインテリア城南の建物すべてが取り壊され更地と化した現状も後押ししている。一連の状況に「宇部の街並みは一体どうなってしまうのだろうか?」といった不安は市民の中にも当然ある。

井筒屋直営ではないが、琴芝通りに面して高額当選で一躍有名になった「伝説の宝くじ売り場」がある。


井筒屋の来店者との重複は考え難いにしても、今後は周辺エリアで人の流れが変わるのは確実で、宝くじの売上げにも影響が出る可能性がある。宝くじの購入者が列を成し車も押し寄せるエリアだが、狭い琴芝通りの歩道に車を乗り上げて宝くじを購入する来訪者も目立ち、賑わい創出効果以上に往来が危険な状態になっているため、売り場移転の可能性もある。[5]
《 閉店後の状況 》
公にされていたり個人的に把握できた事象について記述している。
【 宇部商工会議所による取得交渉について 】
取得に関する契約を締結したかについては未だ明らかではないが、2019年の元日に配信された宇部日報に商工会議所のスタンスが対談形式で一面を割いて掲載されている。これほどの分量で掲載されていることから、取得は確実で細かな条件について詰めている段階ではと推察される。

なお、対談で活用法を模索する中に”宇部井筒屋跡地”という表現がみられることから、立体駐車場は元より建物もすべて取り壊し立地のみを利用した再開発を行う可能性もある。個人的にはたとえ建物が耐震補強のみで活用できるにしても、現況の立体駐車場は狭くて如何にも不便であり利用したくない。車でサッと乗り付けて用事を済ませてサッと帰れる環境に慣れた身なら、よほどの魅力が無い限り他の店へ流れてしまうだろう。そうなればせめて駐車を容易にするために近年のコンビニの変化の如く「ただっ広い敷地の7割方を駐車スペースにして残りに小さな店舗を造る」形式になるかも知れない。

この変化に他の老朽化した建物が追随するなら、常盤通りに面した建物は居住者向けのマンションを除いて商用スペースはどれも小ぢんまりとしたものになるだろう。現在の車偏重社会が当分続くと仮定するなら駐車スペース確保は必須だからその変化は避けられない。これは井筒屋跡だけの問題ではなく、根本的には多くの市民が認識している次の一文に集約される:「車がなければ快適に暮らしようがない現在の宇部市街部の構造をもっと早く見直すべきだった」。[6]
【 店舗の状況 】
官庁の仕事始めにあたる4日に市街地へ出たとき常盤通りを通った。ショーウインドウの「残り0日」の掲示は取り払われ永年のご愛顧を感謝する旨のボードのみ残されていた。正面玄関前は相応に広く車の乗り入れが懸念されることから、セフティコーンとコーンバーで仕切られていた。[7]


店内は残務処理があるため点灯していた。店舗内には当然入れないが、この場所での井筒屋としての対応を完全に終えたわけではなく、平成31年3月にゆめタウンいずみにサテライトショップを開設するまでの間は、友の会への新規加入や入金手続きなどは現在の店舗で対応することとなっている。
出典および編集追記:

1.「井筒屋、コレットなど3店閉鎖へ 営業不振、賃料重く|日本経済新聞

2.「閉店後の井筒屋、宇部商工会議所が取得へ|宇部日報社

3.「FBページ|2018/12/8の投稿」および「FB|2018/12/8のタイムライン

4. 店員の応対が拙かったことをなじり、そのような接客では閉店するも仕方ないのではといった批判的なメッセージもみられた。

5. 個人的には井筒屋閉店を契機にこの宝くじ売り場の移転を希望する。「FBタイムライン|2018/12/21の投稿も参照。

6. 具体的に言えば宇部市街部における駐車場の確保問題に尽きる。井筒屋の北側にある琴芝児童公園を各店舗から共用可能な駐車場を兼ねた立体式の公園に改造する案が提示されたことがあったが、商店街を始めとする猛烈な反対の末に頓挫している。このとき一部の反対者の中には「公園がなくなる」「井筒屋の専用駐車場にされてしまう」といった誤解があったらしい話を聞いている。

7. 写真で分かるように正面玄関はシャッターで閉ざされていない。元々備わっていないのか、シャッターはあるものの閉めると圧迫感が強まるために使用していないのかも知れない。最終営業日のお別れセレモニーがここ正面玄関ではなく西側の出入口で行われたのは、閉店の象徴であるシャッター降下が可能だったことに依ると思われる。

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