宇部井筒屋の最終営業日

商業・民間施設インデックスに戻る

記事作成日:2019/1/6
記事公開日:2019/1/10
宇部井筒屋は2018年7月31日に同年末で閉店する公式発表がなされ、後に12月31日の午後6時で営業終了することが案内されていた。ここでは、最終営業日の閉店30分前から最後の時を迎えるまでの様子を時系列でレポートする。

市街部における一大店舗の閉店という状況柄、一般の買い物客を含めて取材メディアや多数の市民が押し寄せた。記録の必要性から宇部祭りなどのイベントと同様、店舗関係者や買い物客の方々が写り込んだ画像を掲載している。本編の内容にまつわる店舗関係者以外は意図して撮影されたものではない。掲載された写真の中で意図せず被写界に含められてしまい除去を希望する方は対処するので個別にお知らせ頂きたい。時系列レポートなので本記事では公開後も誤字・脱字以外に本文の書き換えは行わず、必要に応じて末尾に編集追記する。
《 現地到着まで 》
自分の目で宇部井筒屋の最後の瞬間を見届ける考えは、閉店時間が公表されたときから既にあった。どうかすれば開店時間より現場に貼り付き最終営業日をマル一日追ってみようかとも思っていたが、必要ならば恐らく専属のレポーターが各メディアから派遣されているだろう。そこまでしない代わりに自分なりの記録は残すべきだ。幼少期から社会人なりたてまでお世話になった一大店舗が幕を閉じるというのに、贈る言葉を紙に書いて投函しただけで終わりというお座なりなことはしたくなかったのである。

午後5時過ぎのこと、私は車で市街部へ向かった。大晦日は夕方より親元へ戻って一緒に年越しそばをかっ喰らうのが定番になっている。最後を見届けてそのまま親元へ向かうなら悠長に自転車でというわけにはいかなかった。

大晦日ともなれば行き交う車も倍増だ。井筒屋の立体駐車場は恐らく満車だろうし、午後6時に完全閉店するなら既に駐車場の入場自体できなくなっているかも知れない。そこで始めから市役所の駐車場に向かった。
市役所に着いたところ、いつもだとこの時間なら余裕で停められる筈なのに空きスペースがまるで見当たらなかった。車を停めている人たちのかなりの割合が井筒屋へ向かっているのだろう。最終的に何とか停め場所を見つけたものの、常盤通りを歩き始めた時点で既に5時半を過ぎてしまっていた。

目的地が近づいてきたところでカメラを取りだして試し撮りした。
確かにいつもの常盤通りに比べれば人出が多い。


常盤通りを往来する歩行者の殆どが井筒屋に向かっている感じだった。


正面入口左横のショーウインドウに掲げられたカウントダウンの数字は残り1日を示していた。


入店前から明らかにいつもと違う雰囲気が感じられた。
入口のガラス扉のところにドアマンが常駐していたからだった。


ドアマンは出入りする客が来るたびに重いドアを開けて会釈していた。
「いらっしゃいませ。ありがとうございます。」
井筒屋は常盤通りに面した出入口が2箇所ある。市役所に近い西側からも入れるのだが、そこにはドアマンは立っていなかった。琴芝通りに近い正面玄関口周辺に人が集中していたので、そこに何かあるのだろうと思って私もそこへ向かったのである。
出入りには確か人が前に立てば開閉する自動ドアがあった。寒い時期で、頻繁に人が出入りすれば自動ドアだと開きっ放しの時間が長くなって店内が寒くなるから敢えてドアマン方式にしたのだろうと思った。
《 店内の様子 》
店内に入ってすぐ目についたのが、入口右側に並べられた見覚えのあるボードだった。
4階に展示されていた思い出のメッセージである。


実は上のような写真を撮るのにかなり苦労した。店内はかなりの来客者密度で、どうカメラを構えようが無関係な人々が写り込んでしまうのである。ボードに貼られたメッセージを追う人、その場ですぐにメッセージを書いている人、ビデオカメラで撮影しているメディア関係と思われる方々の姿もあった。

ボードをざっと眺めて最後に自分のメッセージを再度確認した。
閉店後、一連のメッセージはどうなるのだろう…


メディア関係の方はすぐそれと分かる出で立ちである。そもそも持っている撮影機器一式がプロ仕様だし、マイクも風防を備え固定用の三脚まで取り付けられていた。
一般の来店者は買い物するか来たるべき時のために待機しているかで、カメラを持って撮影している人の姿はない。そんな雰囲気の中で私がオモチャの如きデジタルカメラでパシャパシャやるのは場違いな感じはあるし、店舗関係者からしても正直歓迎されない来店者と映るかも知れなかった。しかし今日ばかりはご容赦頂きたい…現に遊び半分で撮っているのではなく、こうして一般公開向けのドキュメントを制作する上で写真は絶対に必要なのだ。

1階売り場の様子。
まるで一般スーパーの食料品売り場みたいな来客者数である。


大都市のデパートなら、この程度の客入りは日常的な光景だろう。換言すれば閉店アナウンスがされる前の井筒屋は本当に客が居なかった。特に平日の昼間だと各コーナーに常駐する店員ばかりで、通路を歩いたり商品を眺めたりしている高齢者の姿が疎らに見える程度だった。私が学童だった頃はこの程度客が押し寄せていたかも知れないが、今となっては遙か昔のことであり記憶にも上って来ない。

時刻は5時50分。もうあと10分もすれば買い物どころか私を含めて店舗関係者以外誰も身を置くことができなくなる。そんな冷厳なる事実がありながら、些かも閉店を感じさせない売り場の活況があった。上層階まで行ってすべてを眺めてくる時間もないので、1階フロアに限定して歩き回った。

特定の被写体を狙うでもなく適当にカメラを構えて撮影している。


1階フロアに入っているベーカリー。私は一度も利用したことがない。
日持ちのしない商品が対象なだけに、既に全てを売り切ってテーブルの上に「50年分のありがとう」がデザインされたクッションのみが残っていた。


エスカレーターがある側の贈答品コーナー。


恰も本日はただの閉店時刻間近で、明日も当たり前に店が開きそうな雰囲気だった。しかし…確かに本日限りを再度思い起こさせる店内放送があった。
「宇部井筒屋は、本日6時をもちまして閉店させて頂きます。長い間のご愛顧ありがとうございました。」
録音機器は持ち合わせていないので、放送が流れる間手持ちのカメラで音声のみ採取しておいた。

もうそろそろ最後の時が来る。このまま店内の最後の客を見送れば終わりというわけがない。何かが始まるのだが、さてそれは何処を舞台に行われるのだろうと周囲を見回した。
入ってきたときの正面玄関付近は人が疎らで、来るとき通り過ごした西側出入口の方に人だかりが出来つつあるのが見えた。早めに行って陣取っておかなければならない。私も足早に移動し、撮影できそうな位置を確保した。

通路に沿って店舗関係者が横に列を作り始めている。
既にカメラマンが前列でスタンバイしていた。


出入口の横に掛かっている時計。
閉店まで残りあと5分だ。


俄に店内が慌ただしくなってきた。
《 来店者の見送り 》
もっとも出入口側に近い場所に背広姿の男性数人が立った。
その出で立ちから、店長ないしは上層部の方であろうことは察しが付いた。


店舗関係者の整列する中、買い物していた客がぞろぞろと退出し始めた。
私は大型の機材を抱えて退出者を追うメディア関係者に混じって両腕を伸ばして撮影した。


井筒屋の出入口はここだけでなく私が入店したときの東側、地階へ直接出入りする広銀横、そして立体駐車場側にもある。それらの出入口がどうなっていたか今となっては分からない。恐らく上層階より店舗内にまだ残っている客がいないか確認しつつ、閉店時刻が近づいていることを告げてこの出入口通路へ誘導していたのだろう。

次々と退出していく買い物客。
整列者は謝意を表しつつ敬礼していた。


退店する客は若い世代から高齢者まで多様だったが、誰もが意外に淡々としているように見えた。お世話になった店舗関係者を見つけて立ち止まり握手したり声掛けする買い物客はごく少数だった。
私が立っている場所は、最後まで見届けたい大勢の人たちの最前列近くで殆ど身動きもままならなかった。退出しようとする最後の買い物客を見送った後、恐らくこの場所でお別れの挨拶がされるのだろうと思っていた。

次第に退出する買い物客が疎らになり始めた頃、出口側に立っていた店舗関係者が案内した。
「閉店時刻になりました。この後お別れセレモニーを行いたいと思います。店舗の外で行いますので、お付き合い頂ける方はよろしくお願いします。」
その案内があった後も私はカメラマンに混じって退店していく人たちをカメラで追っていた。そしてふと気がつくと…報道関係者と私くらいになってしまっていた。報道関係者は店内から最後の瞬間を撮影するために常駐していたのだった。無関係な私が店内に居続けていい訳がなく、慌てて出口に向かった。

退出しつつ振り返って最後に撮った店内の一枚。
私は宇部井筒屋の最終営業日において、最後に退店した数人のうちの一人となっていた。
厳密に言えば私が最後の2人目…正面右側角に最後の一人の客がいる…他はすべて店舗関係者と報道関係者


扉より外に出ると、常盤通りの歩道はもの凄い群集で何処へも移動できない位だった。私はシャッターが降りても閉じ込められてしまわない程度に歩道側へ移動するしかなかった。最後の最後に退店したからだが、お陰で私は後の撮影では至近距離に位置することができた。
《 お別れセレモニー 》
誰もが次に始まるものを待っていた。その間、常盤通りの歩道は完全に群集で塞がった状態だったが、日も暮れて寒い今の時間にここで待機する人々の目的は一つだったせいか往来に混乱はなかった。

来店者を見送っていた店舗関係者の中で、一番出入口寄りに立っていた人が案内した。
「すみません。お別れセレモニーを行いますのでもうちょっと下がって頂けますか?
ここからブロック3枚分くらいまで。」


群集は全体がそろそろと後退し始めた。下手をするといわゆる将棋倒しが起こりかねない程の人の山だ。

法被の背中に見える井筒マーク。
こんな法被があったとは…初めて目にした。


殆ど一番最後に退店したが故に、私は見送り客たちの中で最前列に居た。すぐ右横には報道関係者が機材を構えていた。前に居る人たちが立ったままでは後ろの人は見えないのではという声が上がり、最前列に位置していた人々は私を含めて中腰になるか背中を丸めて背を低くした。

準備が整ったところで店舗関係者が玄関前まで出てきた。
店長と言うのか代表者と言うのか分からないが、多分あの人だろうという想像はついた。


やはりあの人がそうだった…と思われる代表者が閉店の挨拶を話し始めた。最初のうちは上のように個別写真を撮影していたが、途中から動画で音声採取を始めた。一個人でそこまで採取している人は殆どないだろうと思ったからである。

お別れセレモニーでの謝辞。言うまでもなく他メディアからの借り物ではなく自前のカメラで採取された音声付き動画である。最後の方で停止ボタンが巧く動作せず画像が乱れて見苦しいが、どうぞ視聴して頂きたい。

[再生時間: 2分9秒]


動画の撮影中にバッテリー残量サインが点灯して心配したが、何とか最後まで切れずに収録できた。

何を話すかは前もって決めていらしたのだろう。最初の謝辞では殆ど淀みなく経営者らしい話しぶりであったが、次の言葉に詰まったとき…恐らくそのとき走馬燈のように今までの数十年が過ぎったのだろう。店長である以前に、この街で起きた歴史的瞬間を見送り客たちと共有する一人の人間なのだった。

凜とした謝辞の後で関係者すべてが頭を下げ、私たち群集からはねぎらいの言葉、感謝の拍手が沸き起こった。
タイル3枚隔てて立つ私たちにも距離を感じさせない謝辞だった。


花束贈呈。
雨あられのように降るフラッシュ。このワンショットだけ明るさに影響が出る程だった。


拍手が鳴り止み、前列に整列していた店舗関係者は上体を起こすと、スッと店舗の内側へ退いた。
玄関前まで歩み出て眺めている来店者の姿が印象的だった。


「一同、礼ッ!」


やがて重厚な金属音の軋みが始まり、それはゆっくりと降下した。
店舗関係者は一様に敬礼したままだった。


ギギッ…ギギギッ…
「お疲れ様!」「今までありがとう!」
多くの見送り客の声は降りていくシャッターの動作音をかき消した。

見送る群集の中から女性の悲壮な声が飛んだ。
「閉めないで!」


一枚の金属板が私たちと店舗関係者を隔てていく。
私は中腰だった姿勢から更に腰を落としてカメラを構え続けた。


さようなら…今までありがとう…


終わった…

ざわついていた人々の間に一瞬の静寂があった。


シャッターが降りた後もなお去りがたき来店者。その様子を克明に記録する報道関係者。
セレモニーを一緒に観ていた幼い子どもたちには実感としてつかめていないからか、カメラを向けられて無邪気に受け答えする姿もあった。


もっとも私たちとて何が起きたかは理解しているにせよ、年の瀬に臨んで明くる年が一体どうなるのかを深刻に考えるべきなのか、それとも子どもたちと同様そう深く考えず無邪気で居られる結果に留まるのかは分からない。それほど先行きは不透明なのだが、いずれにせよ何事も始まるのは愉しいのに物事が終わりを告げるのはなべて哀しい。出会いはいつも心躍るのに、別れはどうしてかくも辛いものだろうかと思われる次第だ。

錆び付いたシャッター。
これが再び開き、宇部井筒屋として賑やかなBGMと明るい店内で客が迎え入れられる時はもう二度と来ない。それが店舗の閉店という冷厳なる事実なのだ。


それでも殆どの人々にとって井筒屋の閉店は、いつまでも脳内に染み着き続ける事象ではないだろう。
現にシャッターが降りた後、歩道を埋め尽くしていた見送り客は一人また一人と立ち去り次第に疎らになっていった。そして私も…


なべて人は過去を忘れて暮らす。だからこそ辛い出来事があっても時間の経過と共に気持ちを希釈させ生き続けることができる。さもなければ人生の長い道のりを歩み続けるにはあまりにも厳しい。

私が井筒屋の最後を見届けると共に写真を撮り記事を書いたのは、年が明けたというのに再び人々へ悲しみをもたらし蒸し返すためではない。市民の口に膾炙している「宇部井筒屋、大晦日で閉店」という短いキーワードやダイジェストで伝えられるニュース記事以上のものを記録し伝えたかったからだ。記述に主観が入り込むのは避けられないかも知れないが、少なくとも映像は嘘を吐かない。記録し公開すれば、お別れセレモニーに立ち会わなかった大多数の人々にも多くを伝えることができるだろう。私にとって井筒屋の閉店はそこまで時間を割いて記事化するに値する歴史的出来事と考えたが故に、この時系列レポートを書いた。

常盤通りの歩道は、少しずついつもの夜と同じ静寂を取り戻し始めていた。
私は記録を採取したカメラをショルダーバッグの中へ仕舞うと、去りゆく人々に混じって市役所の方へ歩いた。
出典および編集追記:

1.「宇部井筒屋50年の歴史に幕|宇部日報社

ホームに戻る