宇部井筒屋

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記事公開日:2014/3/27
最終編集日:2019/1/9
宇部井筒屋は、常盤町2丁目にて営業していた総合デパートである。
写真は常盤通りからの撮影。


常盤通りに面した出入口の場所をポイントした地図を示す。


宇部井筒屋に関する総括的な記述は[1]に詳しい。正式名称は「山口井筒屋宇部店」であるが、地元では井筒屋または宇部井筒屋という呼び方が定着している。過去の複雑な経歴により一定年齢から上の年配者から「ちまきや」と呼ばれることもあったが、近年では殆ど聞かれない。本編では当店舗を指して井筒屋と記述している。

後述するように井筒屋は2018年の大晦日をもって閉店し、常盤町を根拠地とした半世紀にわたっての営業に幕を下ろした。詳細は以下の記事を参照されたい。
派生記事: 宇部井筒屋の閉店
当初、閉店が判明した時点でこの記事を部分的に編集追記していたが、内容が多くなったので別途派生記事を作成すると共に、閉店が判明するまでに書いていた過去の記述を当初のものに差し戻した。この総括記事で以下に書かれている「現在」とは閉店アナウンスがされるまでの直近のこと、「かつて…」や「過去に…」とはそれよりも前の時期についてのことと読み替えて頂きたい。
《 成り立ち 》
井筒屋と言えば東証一部上場企業であるが、宇部井筒屋においては些か大手上場企業のチェーン店とは異なった背景があり、むしろ大和丸信などのように大規模店舗ながら地元に密着したデパートといった捉え方をされていた。

井筒屋の最初期に相当する店舗は、現在の常盤通りが整備される以前にまで遡れる。位置としては昔の常盤通り琴芝通りの交点となる現在地で、当時の所在地は常盤通り一丁目であった。ここへ緑屋百貨店としてスタートしている。

昭和44年10月22日に株式会社井筒屋ちまきやを創立[9]、このときのブランドとなるロゴは現在の井筒マークではなく粽(ちまき)の旁部分を象ったものだったと思われる。しばしば山口市のちまきやと比較され、宇部では後にちまきやの部分を外した現在の宇部井筒屋という呼称となったものの、山口市は平成期までちまきやで営業していた。これを受けて今でも年配の市民では「ちまきや」と言えば現在の井筒屋の前身を想起する。
《 現在の状況 》
一般に、不特定多数の客が出入りするスーパー店舗内での撮影は禁止されている。ただし後述するように2018年内において閉店することが確定し、記録の必要性からできるだけ客が写り込まないよう配慮した上で店内の撮影も若干行っている。以下の写真の多くはそのときに撮影されたものを援用している。
【 入口 】
店舗への入口は常盤通りに面して3箇所ある。東側から順に琴芝通りとの交点、常盤町2丁目バス停正面、広島銀行宇部支店横である。
琴芝通りとの交点にある入口は交差点の視認性を保つために若干内側へ凹んだ造りになっている。同様の構造はかつてのエムラにも見られた。常盤通りに面したここの入口が井筒屋の正面入口と考えられる。琴芝通りに面した側にもかつて出入りに供されていた扉があったが、後年は閉鎖されていた。入口のすぐ左側にショーウインドウがあり、期間限定で開催されているイベントなどの案内が告知されていた。

バス停側の入口は常盤町二丁目バス停に直結しており、店舗まで屋根がついているため雨天時もバスを降りて傘を差さずに直接店舗へ入場できる。点字ブロックも店舗へ誘導する方向に埋設されている。ここから入ってすぐ左に地階の食料品売り場へ降りるエスカレータ乗り口があるため、バスを利用して買い物に訪れる高齢者の利用が多い。

広銀側の入口はやや狭く目立たないが地階の食料品売り場へ直結しているため利用している人は多いと思われる。


立体駐車場への乗り入れ口には1階からもアクセス可能なエレベーターと階段があるが、駐車場に出入りする車と交錯する危険があるためここを通る人は殆ど居ない。
【 店内 】
地階と4階の構成である。地階は食品関連、1階は玄関口付近に婦人向けの小物やファッション関連を中心に、ベーカリーや贈答品の専門店があった。2階はインテリア類、3階は紳士物、4階に婦人物があった。
写真はエレベーター内に掲示されていたフロアガイド。


各階の移動は東西に階段があり、階段のすぐ横にエレベーターがある。階段は中間の踊り場が広く取ってあり、座って休める長椅子が数脚置かれている。階段の存在自体がバリアフリーとは縁遠いもののこれらの長椅子は歩き疲れた高齢者に優しい存在であった。店内で買ったパンなどをここに座って食べる客もあった。

エスカレーターは各階の北側に上り・下り専用のものが設けられている。どこの階もショーウィンドウや専門店などの影になっている上に上りと下りの乗り口がかなり離れているため場所が分かりづらい。また、エスカレーター付近は以前から潤滑油のような特異な臭いがしていた。気になる来店者もあったと思われる。個人的には今となってはそれも井筒屋に象徴的な存在であったとも言える。

トイレはエスカレーターで上がったすぐ先にある。後年洋式の便器が追加設置されているが、ウォシュレットは付属していない。車椅子での来店者対応の広いトイレも備わっていない。
【 立体駐車場 】
店舗の背面に立体駐車場をもつ。出入口は店舗裏側の市道常盤通り小路3号線のみにある。常盤通り側には商品搬入用のトラック出入口であり一般の利用はできない。

入口のゲートを経て立体駐車場内部を自走して駐車する方式である。建物と同じ階層があってエレベータを使う場合は任意の階へ行くことができる。特に4階には店内から立体駐車場を連絡する分かりやすい通路があるため、4階の駐車場へ停める客が多い。

立体駐車場の駐車スペースは半階毎に設けられており、更に屋上部分が広いため停める場所が皆無といったことは殆どない。しかし通路と中層階の駐車スペースが狭いこと、建物の1階相当分を上昇するのに立体駐車場をまるまる一周しなければならず時間がかかるため歓迎されていない。駐車しようとする来店者はスロープを登り、退出する車はスロープを下るのだが、スロープ以外の駐車場内部を進む通路は共用している。このため上の階からスロープを降りる車と下の階から登ってくる車の出会い頭の衝突の危険性が高い。


特にこの場所には相互の車の動向が分かりやすいようにミラーが設置され、上り下りのスロープに車が入ると注意喚起のブザーが鳴動し、天井に取り付けられた黄色の回転灯が点滅していた。

以前は駐車場に入るとき入庫時刻を記録したチケットが発行され、退出時に駐車料金を払うか買い物をしたレシートを係員に提示する必要があった。買い物金額の総額が1,000円以上であれば駐車料金は無料となっていた。その後駐車場が無料化され、係員が常駐するブースも閉鎖されて退出路のバーが取り除かれている。入庫時の誘導も駐車料金無料化後はなくなっていたが、2018年末の閉店を控えて来客者数が増えると誘導員がつくようになった。
【 屋上 】
立体駐車場を介して屋上に出ることができる。途中階は殆ど車で詰まっているが、屋上駐車場は比較的空いている。屋上からはエレベータと4階へ降りる専用の出入口がある。


屋上駐車場の一角に井筒屋稲荷神社が設けられている。設置場所は常盤通りからIZUTSUYAの文字が見える塔の真下である。
常盤通りからは直接見えない


いつ頃設置されたものかは分からず、従業員が参拝しているのかも知れない。この場所は屋上の駐車場に繋がっているので誰でも立ち寄ることができる。一般には殆ど知られていない。
井筒屋は毎週水曜日が定休日であり、昭和期から変わっていないので今でも市民には周知されている。このため水曜日には常盤通りの井筒屋付近には歩行者がかなり減る。人の流れが減ることを見越して同様に水曜日を定休日としている店舗がある。[3]
《 かつて存在したサービス 》
ここでは、現在は存在しない設備やコーナー、内容を変えたサービスなどについて古いものから掲載している。
【 井筒屋饅頭 】
1階で専用の機械を用いて饅頭を製造販売していたことはよく知られる。初期は「ちまきや饅頭」と呼ばれていたようで、後に井筒屋饅頭となった。
饅頭は直径8cm程度の円筒形で、中身は白漉しあん(黒あんもあったかも知れない)だった。製造は半自動化されており、専属員がコーナーに常駐し、売れ行きに応じて生地を型に流し込んでいた。移動する鋳型がオーブンの中に入り、半面焼き上がった後にあんを入れて残り半面に生地を流し込み、反転させて焼く自動機械があった。焼き上がった最後にきつね色となった饅頭の片面に井筒屋のトレードマークである井桁の焼き印が押された。

製造コーナーは衛生上周囲を透明な衝立で仕切られていたので、製造過程を衝立越しに観ることができた。また、上部は開放されていたので製造を始めると周囲に香ばしい匂いが漂い購買意欲を誘った。焼きたてを買い求めて階段の踊り場にあるベンチに座って食べる来店者もあった。
知人の家を訪問するとき井筒屋に寄って饅頭を買い求め、訪問先で開封しお茶受けとして一緒に食べた市民も多い。利休さん程のサイズではないが一口で食べられる大きさなので、専ら箱入りで売られていた。最小の箱でも6個程度入っていて個数指定で買うことは出来なかったかも知れない。ショーウィンドウにはろうで造られた井筒屋饅頭が箱に入ったサンプルが展示されていた。
【 屋上遊園地 】
かつて屋上が遊戯場になっていた時期があり、硬貨を投入すると前後にゆさゆさ動く鹿の乗り物などがあった。また、屋上の外周をぐるっと回る子ども向け列車(モノレール?)が運行されていた。この列車が走っている様子は常盤通りを通る車からも見えていた。[4]
なくなった時期は不明だが、屋上すべてを駐車スペースにしたときに廃止された可能性が強い。車が一家に一台が常識的な車社会の趨勢期に入った頃と推察される。駐車場化は昔から車を停める場所がない宇部市街部の弱みを克服する止むにやまれない手段であったが、井筒屋に限らずデパート屋上が子どもの遊び場でなくなる主因となった。
【 エレベーターガール 】
井筒屋として開業した当初からエレベーターが存在していたが、初期のものは容量が小さく一度に4〜5人しか乗れなかった。まだエレベーターが都会的存在で馴染みが薄かったこと、閉鎖された空間になることからエレベーターガールと呼ばれる店員が常駐していた。当時は来店者が多く不規則にエレベーターを途中階で停めて客を乗降させる必要があった。乗り合わせた客に行き先階を尋ねたり各階の停止などの操作を行っていた。このエレベーターは平成初期に店舗の大改修を行ったとき容量の大きなものに拡張され、エレベーターガールもなくなった。
【 切手・コイン売り場 】
かつて4階は玩具売り場であり、子どもが喜びそうなおもちゃと共に切手・コインを扱うコーナーがあった。昭和40年代後半〜50年代初頭は子どもたちの切手収集ブーム期であり、切手を扱う店舗は市内ではここと琴芝通りに面する個人店一軒しかなかったこともあり子どもたちがよく集まっていた。
日本切手では魚・花・鳥といった有名どころのシリーズがウィンドウケースに展示され、一枚ずつに値札が付けられていた。コインも同様に一枚ずつ厚紙2枚に挟む形でショーウィンドウーに展示されていた。この売り場は切手ブームが下火になりつつある昭和50年代初頭にはなくなっている。玩具の取り扱いは昭和50年半ばまでは行われていた。
【 井筒屋商品券 】
昔から井筒屋は一定のブランド力を有しており、高級感を醸し出す井筒屋で買い物することは一つのステータスシンボルともなっていた。詳細は調査を要するが、昭和中後期に市内の核を形成していた小売店舗において商品券を発行していた唯一のデパートである。割と早い時期に独自の商品券を発行していて、贈答や謝礼を行うとき現金では露骨な場面ではしばしば井筒屋の商品券が贈られた。かさばらないお中元やお歳暮の代表例として井筒屋の商品券かビール券を選択した市民は多い。

現在ではいくつかのデパートが贈答用の商品券を発行している。しかしそれらの殆どは商品券で買い物をしたときお釣りをもらうことが出来ず、足りない分を現金追加する使い方しかできない。井筒屋の商品券は全額の換金はできない代わりにお釣りを現金で受け取ることが可能だった。このため商品券での買い物金額を巧く調整すれば、贈られた側も現金にかなり近い使い方をすることができた。

商品券は当初1階のサービスカウンターで取り扱っていたが、後期にはあまり利用者がなくなったのか最上階に移動されている。平成期のはじめ頃まで独自の商品券を発行していたものの、その後発行を取り止めて汎用の商品券に移行している。
【 井筒屋友の会 】
固定客取り込みの一環として、井筒屋友の会の存在があった。一定額を積み立てることによって10%程度のプレミアムがついた商品券が交付されるものだったように思う。このサービスは平成期までは存続していたし、当時既に金利が大幅に低下していたので商品券の利便性とも相俟って、井筒屋で頻繁に買い物する客にとっては金利10%の積立貯蓄同然でありよく利用されていた。

前述のように井筒屋独自の商品券発行を廃止したため同一内容のサービスも無くなったが、井筒屋友の会そのものは百貨店友の会と名称を変えて現在も続いている。


なお、南京納に「宇部友の会」という建物があるが、こちらは学童をサポートする団体であり井筒屋友の会とは関係がない。名称が似ているせいか関連性を間違われることが稀にある。
《 その他の情報 》
以上のどの項目にも含まれない内容を書き留めている。
【 アドバルーンの掲揚と横断幕 】
年末年始などの特売期間や特別なイベントが開催されるときには、遠くから視認できるように屋上からアドバルーンを揚げていた。上部に浮かせるためのヘリウムガスを充填した球を取り付け、その下に宣伝文句を縦書きにしたものが掲示された。また、常盤通りに面した壁面を利用してイベントや特売を告知する横断幕(縦に下げるものもあった)を出していた。このような営業宣伝戦略は井筒屋に限らず平成中期に入るまでに殆どすべてのデパートで姿を消した。

屋上の外周部分内側の壁には、横断幕の紐を通して固定するためと思われる埋め込み金具が確認されている。
【 トレードマークの変更 】
井筒屋と言えば「井」の字もしくは#を45度傾けたトレードマークを想起するが、現在では井筒屋のシンボルとしては殆ど使われていない。買い物をしたときのレシートや商品を入れてくれる紙袋に顕著である。井筒屋での買い物は衣料品が多いため大抵は紙袋に入れてくれるが、側面にあるデザインは濃水色と朱色を基調とし、アルファベットの i をデザインしたものとなっている。[要写真]

確証はないが、この変更は恐らく平成期に店舗をリニューアルしたときと同時期と思う。シンボルの変更は私が関知する限り、あまり歓迎されなかった。i は izutsuya の冒頭の文字に依るものである。しかし紙袋に大きく描かれた手書き風の i を見て「ミミズが這ったようなデザイン」と酷評する向きもあった。
《 開催されたことのあるイベント 》
個人的に把握できているイベントについて記述する。
【 お化け屋敷 】
昭和50年代までだったと思われるが、4階の一角を仕切り改造してお化け屋敷が造られたことがある。入場が有料だったかどうかは記憶がない。時期的には間違いなく夏休み頃である。

真っ暗な中を突き進んでいく内容で、途中に床がスポンジ状になっていて踏み込むと急に足元がグニャッと萎むような仕掛けがあった。怪我をする心配はなかったものの予想しない足元の不安定さにびっくりした。かつてのお化け屋敷には定番だったコンニャクを糸で吊り下げて入場者の頬へペタッとくっつけるような演出の報告もある。
【 サイン会 】
子ども向けにテレビで登場するヒーローや悪役がやってきて握手したりサインをもらったり出来るイベントがあったかも知れない。渡辺翁記念会館では開催されており、同種のものが井筒屋でも開催された可能性がある。記憶は曖昧で確証がない。この他、新車の販売促進で展示を行っていたという情報がある。
【 物産展 】
4階に特設会場を設置してしばしば物産展が開催されていた。とりわけ北海道関連に強く、昔から「美味いもの展」として知名度は高い。現在では冷凍と輸送技術の発達から遠方の特産品でも一般の商品と同程度に入手可能だが、かつては鮭をふんだんに使った弁当やイクラなどは下関大丸や小倉まで行かなければ買い求められなかった。その他には世界のナッツを扱ったり、呉服の展示即売も行われていた模様。
【 ぱん穀博覧会 】
2016年2月に宇部井筒屋の4階にて市内外のベーカリー専門店が集結し自慢のパンを即売する「ぱん穀博覧会」が開催された。[5]ネーミングは明らかにパンを主体としたイベントに万国博覧会をもじったものである。前評判がかなり高く、開催当日は大変な来訪者で賑わった。午前中で殆どの店でパンが売り切れ続出になる状況だった。
個人的にはどんな様子なのか観に行こうと午後から訪れたのだが、既に殆どのパンが売り切れ状態であったため写真を撮っていない。宇部井筒屋の定番イベントと言えば北海道物産展が名高い。それを上回る人出が予測されていたが、実際それ以上であったと体感された。翌年以降、同種の催しが真締川のミズベリング関連イベントとして新天町アーケード街を舞台に開催されている。
宇部井筒屋の閉店
情報この項目は分量が多くなったので単一記事に分割されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

閉店アナウンス後は記録を残す必要上から何度も訪れている。
2018年12月31日午後6時の閉店30分前より現地に赴き採取された画像と動画を元に作成された時系列レポート。お別れセレモニーで店長の謝辞が動画で掲載されている。
時系列記事: 宇部井筒屋の最終営業日
出典および編集追記:

1. 「Wikipedia - 山口井筒屋

2.「続・宇部市民手帳」(ウベニチ新聞社)p.139

3. 井筒屋から琴芝通りを挟んだ反対側にかつて末広書店があり、同様に水曜日が定休日だった。また、琴芝通りそのものに面している宝石店なども同様の定休日である。

4. 一回10〜20円で乗れていたという読者からの指摘がある。「FBページの読者コメント」を参照。

5.「宇部で「ぱん穀博覧会」 人気パン店など48店舗集結、ジャムや紅茶販売も|山口宇部掲載新聞

6.「井筒屋、コレットなど3店閉鎖へ 営業不振、賃料重く|日本経済新聞

7.「閉店後の井筒屋、宇部商工会議所が取得へ|宇部日報社

8.「FBページ|2018/12/8の投稿」および「FB|2018/12/8のタイムライン

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