文通

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記事作成日:2017/10/2
最終編集日:2020/3/25
文通(ぶんつう)とは、遠く離れた場所に暮らす面識のない人物と日常生活などを綴った文章を手紙によってやり取りすることを指す。近年ではメールやチャットなどインターネットを介するやり取りも含まれる。文通の一般的事項については[1]を参照。

ここではネット時代以前の郵便方式によるものに限定して個人的関わりを中心的に記述する。ネット時代以降の同種のコミュニケーションについてはメール友達およびチャットを参照。
《 初期の文通 》
文通とは何をするのかについては、小学生時代に知っていた可能性がある。しかし遠い昔の話であり実行した記憶がない上に記録も遺っていないので今となっては分からない。明確な記録が遺っているのは中学生時代の文通である。

文通を始めたいと思った理由は、紛れもなく女の子とコミュニケーションを持ちたいからであった。小学生時代は5年生くらいまで男女の別なく一緒に遊んでいたものだが、6年生になると男子も女の子も明確に双方を意識するようになった。クラスで男女が一対一で(喧嘩や言い合いではなく普通に)話しているだけで「あの2人は(仲が)できている」とみなされ冷やかしの対象にされた。この風潮は何か用事があるとき以外男女が気軽に話をする環境を決定的に破壊した。

それは中学生に入ってからも続き、更に他の小学校からの学童も混じるため疎遠さはより加速した。特定の異性を好きになり意識しやすい年齢であるだけに、何とも思っていない女の子と好きな女の子とで話しぶりや態度が変わるのを知られたくない気持ちがあった。結局のところ女の子と話す機会が激減し、女の子が何を考えどういう気持ちでいるか何もわからなかった。
【 文通欄との出会い 】
中学生になると学校以外の場で同世代の子どもの交流と文化に触れる機会を与えるものとして、定期発刊される雑誌があった。具体的には旺文社による中学時代、学研による中学コースである。両者は拮抗していて内容的にも書籍の外観も似通っていた。我が家では兄貴のときに倣って中学時代を購読していた。

この書籍には購読者の交流コーナーがあり、当時流行のアーティストのポスターを探していますとか誰彼のレコードを譲ってくださいなどの投稿に並んで文通相手募集の欄があった。そこには趣味の話をしましょうとかあなたの街についていろいろ教えてくださいといった相手に求めるものと簡単な自己紹介が載せられ、住所氏名が掲載されていて誰でも自由に手紙を出せる状態になっていた。

初めて文通してみようと思って行動を起こしたのは中学1年生になって早い時期と思われる。初めて出したハガキでは応募者が多くて断られたと思う。毎月掲載される文通希望者はスペースの都合で十数名なので、応募者がとても多かった。
【 初めて文通した人 】
初めて文通することとなったのは中学1年生の6月以降と思われる。当時既に書いていた日記には関連する記述はみられない(日記には文通のことは書いていない)が、状況が特異だったのでよく覚えている。

当時の郵便事情だと関西関東あたりになれば片道でも2〜3日かかるのが当たり前だった。自分はペースの速い文通をしたかったので、あまり離れていない場所に住む女の子を探した。コラムに載っている文通希望者は誰もが異性を希望しているのではなく、同性に限定する女の子が多かった。特定のアイドルのファン募集とか趣味について語り合いたい人もあり、希望に沿う相手を探すのが困難だった。

ある号で岡山県在住で比較的当たり障りのない自己紹介を書いていた女の子を見つけたので、すぐに応募した。募集欄に載った人には応募が殺到して返信する負担が大きいので、応募者は往復葉書で書くこととなっていた。発刊直後のかなり早い時期に差し出したので目に留めてもらえたが、このとき返信葉書で戻ってきた内容はとても奇妙なものだった。
この初回返信のハガキは現在行方不明になっている

表の私の名前はたどたどしい文字で書かれ、差出人の名前は何故か私が文通欄で見たのとは違った名前だった。そして返信葉書の裏に状況が書かれていた。予想していた通り文通希望の手紙が山ほど押し寄せたらしく、私よりも先に差し出した別の人と文通することとなったという断りが書かれていた。しかし本人には高校生の姉が居て、どうやら私の葉書が目に留まり興味を持たれたようだった。それで本人の代わりに私と文通して頂けないでしょうかという返事だったのである。

当時の自分は女の子と話をしたいのが大前提だったので、同年代でなければというこだわりはなかった。自分より3つも年上の女子高校生で話が合うだろうかという気持ちはあったと思うが、こういう奇妙な経緯により初めての文通が始まった。[3]
【 影響 】
往復葉書の返信が届いた後、私はすぐに自己紹介の手紙を書いた。手持ちの便せんと言っても親が使っていた山口銀行のレターパッドしかなく、それに書いて普通の白封筒で送ったと思う。これに対して女の子は派手なキャラクターデザインの封筒と便せんで返事を書き、当時の自分にカルチャーショックを与えた。

キャラクターは漫画をあまり好まない当時の私も好んでテレビを視ていたお馴染みのトム&ジェリーだった。それが如何にも物珍しく、自分も同じもので送りたいと思って当時の丸信恩田店でトムとジェリーのレターセットを見つけて買っている。
写真は初めて購入して使っていたトム&ジェリーの便せん。
封筒は全部使ってしまい一枚も残っていない


その高校生の女の子は毎回違った便せんで返事を書いてきた。いくつかのセットを持っているのだろうと思った。自分はとてもお小遣いが続かなかったが、後にレターセットを収集するきっかけとなった。

手紙の内容は他愛ない日常生活が殆どだった。相手が高校生なので、中学生の自分にはよく分からない言葉があった。例えば「午後は恐怖の校内モシなのら…」とあったときのモシ(模試、模擬試験のこと)が分からなかった。逆に相手は私の手紙の中で漢字が多いのにびっくりしていると書いている場面がある。それでも当たり障りのない日常的な話題を書き、良い感じで続いた。

半年くらい経ったときに相互に写真を送っている。それから中学2年生になったときバレンタインの板チョコを封筒で送ってもらっている。私がお返しをしたかどうかは分からない。手紙は私が中学3年生になった頃を境に途切れている。何かのトラブルがあったわけではなく自然消滅する形だった。これには当時夢中になっていたクラスの女の子が影響している可能性がある。しかし一年半にわたる文通で手紙の書き方ややり取りを確立したし、恐らくは後年の年上女性に対する性向にも影響を与えている。

中学2年生になって親しくなった友達が、私の始めるよりも早い時期から文通をしていたことが分かった。小学生のとき同級だった山口市在住の彼の友達と一緒に他県の女の子グループと文通を始めていて、電話で話もしている。このときの彼は家の電話にピックアップという機器を取り付け、女の子との会話をカセットテープに録音していた。このグループから文通希望の女の子を紹介してもらい実際に手紙をやり取りしている。彼が2度目の電話をしたとき私も電話口に出て文通相手の女の子と直接話をした。友達と一緒に実際に会いに行ったという。

しかし高校受験を控えた中学3年生の時期はさすがに文通どころではなくなり自然消滅している。
《 中後期の文通 》
高校生になると、中学生のときに続いて旺文社の高校時代を購読していた。高校時代にも文通希望者の掲載欄があり、数回文通相手応募の手紙を出している。文通のペースとたまさか仲が良くなったとき会いに行ける程度の距離に住む女の子を選んだ。しかし高校初期に手掛けた文通は殆どが巧くいかなかった。

実際に手紙をやり取りした女の子は数人居る。県内では徳山が最も近く、他に津和野、岐阜、小倉在住者などがあった。しかしいずれも殆ど続かなかった。その原因の多くが単純な話題の不一致であった。相互に自己紹介を一度きり書いただけで返事がないまま自然消滅した例があり、これは長々と書かれた私の自己紹介に辟易した可能性がある。他方、自分としても話題についていけない女の子もあった。バンドを組んでいて私はギター担当なんだけどメンバーの音が合わない云々といったことを書かれ、この方面に何の予備知識も持たないため返事の書きようがなく放置した例があった。

初回からあまり気乗りしないけれども取りあえず始めてみますなどと書いてきた女の子があった。手紙が2度往復した後になってやっぱり止めますと言われた事例もあった。この女の子は断りの返事の中で文通相手を紹介してくれるところを見つけたので連絡しましたと書き、私の代わりに良い相手を見つけて下さいと結んでいた。その直後に後述する仲介業者からの手紙があった。
よほど頭にきていたのだろうかこの女の子とやり取りした手紙は手元に一つも存在しない
【 文通相手の仲介業者 】
ここで高校生の頃から目につき始めた文通相手を斡旋する業者の存在について書かなければならない。それは(実態がどうであったかは不明にしろ)個人的には遺憾ながら文通相手を求める純真な少年少女の気持ちに付け込みカネ儲けを目論む悪徳業者と映った。

雑誌の文通欄に掲載された人には、多くの読者が文通希望の手紙を送る。その中で実際に文通することとなるのは大抵が一名だけであり、他の人は諦めてもらう以外なかった。文通欄には毎月十数名が掲載されたが、条件が合う相手を見つけるのは困難だった。男性はほぼ間違いなく女の子限定で文通相手を求めるのに対し、女の子が男性限定で文通希望を載せることは皆無だった。恋愛絡みを抜きにした同性との文通を希望する女の子が多く、中には明白に「男性お断り」を書いている女の子もあった。

掲載スペースの制約もあって、文通相手募集を載せる人と実際に応募する人のバランスが著しく崩れていた。そこで文通相手に選んでもらえなかった人たちを対象に、他の文通希望者を斡旋する業者が現れた。想像だが、文通欄に載せた人のところへ業者が直接「文通できなかった人の住所氏名を教えて欲しい」などの手紙を送ることで文通希望者の個人情報を取得していたようである。

中学1年生になって初めて文通欄に載っていた女の子に文通希望を出したとき、既に他の人に決まったのでごめんなさいという断りの返信葉書が戻ってきた。それから程なくして聞いたこともない業者から封書が送られてきた。封書は茶封筒で、裏側には2つ重なったハートマークの中央に友と書かれたロゴがスタンプされていて、差出人は会社名ではなく個人名だった。封書の中身はこんな内容だったと思う。
私は文通相手を斡旋している××という者です。相手の方は応募者が多くて希望に添えずごめんなさいと詫びておられました。
登録料を払って会員になって頂ければ、私が文通相手を斡旋いたします。うちでは同年代をはじめ多くの年齢の方が登録していらっしゃるので、条件に合った文通相手を確実に見つけることができます。
当時の自分は何のことか分からなかった。そもそもこの業者が私の住所氏名を把握できたのは、文通できないと断ってきた女の子が業者に教えたからではと疑った。いずれにしろ登録料を払って文通相手を得なくても中学時代の文通欄は毎月掲載されるのでこのときは無視した。

時代は下り、高校時代に気乗りしないまま文通して最後には止めたいと言ってきた女の子があった。このときも最後の手紙が届いてから程なくして文通相手を斡旋しますの封書が届いた。差出人は会社名だったと思うが、中学生のとき文通を断られた直後に届いたのとまったく同じ住所から発信されていたし、封筒の裏には見覚えのあるハートが2つ重なった中に友の文字が書かれたロゴがあった。

この女の子の場合、最初そもそも気乗りしないまま文通を始めた経緯があった。それを暫く続けた後やっぱり止めますと一方的に断ってきた挙げ句に(恐らくは善意と思いたいが)私の住所氏名を文通相手の斡旋業者へ横流しした。私は業者にお金を払ってまで文通相手を探してもらう気持ちなど一切なかったため、お節介でまったく不愉快な話だった。

次にこの斡旋業者がキチンとした紹介をしていたかどうかとは無関係に、事実として「お金で友達を買うという行為」とそれを商売にするこの業者に激しい嫌悪感を覚えた。その後も文通欄を通じて応募したが断られた直後にまた同じ業者から文通相手斡旋の封書が届いたとき、この差出人は私の中で完全な悪徳業者になった。差し出し元は千葉県か埼玉県だった。これ以降、雑誌の文通欄に応募するのをやめて友達から文通希望者を紹介してもらう後述のようなやり方に変えた。

今から思えば、このような封書が届いた裏には、文通を断った人が(善意から自発的に)業者へ私の住所氏名を教えたのではなく、文通欄に載った時点で「文通して下さいと応募してきた方の住所氏名を教えて下さい」のような封書を無差別に送りつけていた可能性がある。あるいは文通欄の掲載元となる出版社側が斡旋業者に文通欄掲載者の住所氏名を横流ししていたことも考えられる。現在なら完全な個人情報保護法違反で摘発されるレベルだが、当時は該当する法律がないばかりか、個人の住所氏名や電話番号を採取して関連する商品やサービスを売りつけるのは成功率の高い有用な営業手法とみなされていた。
うちの親父も電話番号が掲載された卒業アルバムを元に営業されて土木全集を買わされている

当時は業者が個人の住所氏名を入手し、登録料の支払いを前提に文通相手を斡旋する営業行為はまったく合法であり、希望通りの文通相手を見つけることができる有用なサービスだった可能性はある。ただし文通欄に投稿し断られた直後に同種の封書が送りつけられる現象は高校生時代に文通相手を紹介してくれた友達も経験しており、彼は「『こういうのはインチキが多いから相手にしてはいけない』と親が言っていた」と話していた。
【 文通スタイルの変化 】
中学校時代の同級生は、高校に入ってからも当時とは別の女の子と安泰に文通を続けていた。月刊誌の文通欄に載る相手へ文通希望を出して何度も断られた挙げ句に鬱陶しい斡旋業者の手紙が送りつけられるのに辟易し、同級生に頼んで文通したがっている女の子が居ないか探してもらっている。この過程で同級生の文通相手と同じ高校に通っている中津の女の子との文通が始まった。

既に知っている文通仲間からの紹介で信頼が担保されたこともあり、手紙のやり取りは初回からかなり巧く行っていた。当時私が熱心にやっていた郵便局の局名についてリストを送ってもらったり、女の子の家から近い最寄りの特定郵便局での記念証印も引き受けてくれている。同級生は自分たちの大学受験が始まるまでに中津へ行って4人で街中を歩くことを提案した。このとき彼は奇遇なことに宇部新川駅から女の子たちが暮らす街の近くまで直通の列車が出ていると言った。[2]文通は私が高校2年生になってからも続き、同い年の女の子としては一番長続きした。

しかし私が高校3年生になるまでに手紙のやり取りは自然消滅している。かなり良い感じで続いていたのに何故停まってしまったのか不可解だったが、最近調べたところ女の子が最後に寄せた手紙の中で彼氏が出来た喜びを語っている場面があり、恐らくそれが原因と思われる。彼氏が出来たのなら自分はもう要らないやと考えて返事を出さなかったか、素っ気ない手紙を書いたのかも知れない。そしてこの女の子とのやり取りが最後の文通事例となった。
【 恋愛感情について 】
文通を始めようとした中学1年生のときから一貫して女の子との文通だけを希望していて、同性と文通したいと思ったことは一度もない。同性ならクラスの中に大方の趣味の一致する友達がいくらでも居たからである。初期は女の子と手紙のやり取りをしたいだけだったが、高校生になってからは仲良くなったら会って話をしてみたいという気持ちが出てきた。

当時の一般的な流れでは、最初に自己紹介をして話が合いそうなら2度目の手紙のやり取りがあり、徐々に自分のプライベートを明かすといったスタイルだった。相手にも依るが、写真を交換するまで4〜5回のやり取りが必要だった。私の場合はすべて女性の方から先に写真くれませんかと言われ、自分の写真を送るときに相手の写真も求めるという流れだった。

どんな女の子が手紙を書いているかは、実際に写真を見るまでは興味の対象や文章から想像する以外なかった。写真を送った途端にやり取りが途絶えてしまったという露骨なケースはなかった代わりに、写真の女の子がまさに自分のズバリ好みで恋愛感情が募った事例もなかった。ただし写真交換した後で何となく文通ペースが鈍って自然消滅したという例は何人かあった。

高校時代に始めた文通相手で、文字が非常に綺麗で優しい言葉が多いことから古典の世界の如く想像上で恋愛感情を抱いた事例があった。他県在住者だったが、交通機関を利用すれば日帰り可能な程度の距離であり、大切に文通を続けて出来れば逢ってみたいと思っていた。しかしこの女の子は元々やり取り自体がスローペースであった上に便せん一枚程度の軽い内容で、最後は返事が来ないまま自然消滅してしまっている。半年くらい経過した後に未練がましく年賀状を書いた記憶があるが、返事は来なかった。

綴られた文字や言葉遣いから人となりを想像し、自分に向けられた優しい言葉からまだ見ぬ相手に恋愛感情が募り、実際に逢ってみたところ相互に気持ちが加速してそのまま結婚に至った例が多い。しかし個人的には影響を与えられた事例はいくつかあっても、気が合う文通友達以上に仲良くなった事例はなかった。この記事を作成する現在で文通相手は一人もなく、過去に文通したことがある誰とも既に繋がりが途絶えている。
《 文通がもたらした文化 》
当初から女の子とコミュニケーションしたいのが最大の目的であり、この意味での願望は文通によって充分に達成された。殊に中学生時代は話が上手で面白い男子生徒に人気が集中し、内気で話し下手な男子は女子からまるで相手にされない冷厳な事実があった。自分のことを「モテない男は文通の世界で女の子と話す以外ない」と些か自嘲気味に友達に話している。

しかし手紙でコミュニケーションを取ることはできても「女の子の気持ちを知りたい」については何の成果もなかった。これには文通相手の女の子以外誰も傍耳を立てていないのが明らかでも、およそ当たり障りのないことを書いていたからである。紙に書かれたことはいつまでも残り読み返されるから、相手を困惑させることを書いてせっかく築き上げた関係が壊れるのを避けたかったからであった。

近年のメル友から始まる出会いは得てして男女の色恋沙汰や不適切な交際に関連づけられがちであるが、恋人相手にすることを前提に文通したことは一度もなかった。精々、手紙をやり取りしてお互いの興味や気持ちが同じことが分かったとき、会うことができる程度の場所に住んでいる女の子を選ぶ程度である。近隣地域に住んでいる女の子の文通希望者が居たら迷わず応募していただろうが、文通欄を見る限りではそのようなチャンスは一度もなかった。

女の子との交流の他に、文通を経て間接的に女の子から教えられた文化は少なくない。以下に文通がきっかけとなって得られた事例を挙げる。
【 キャラクター商品 】
当時、学校で使うノートや鉛筆は購買部で売られているごく事務的なものを買って使っていた。他方、封筒や便せんにはキャラクター商品が出回っており、学用品との境目となる消しゴムや鉛筆にも一部が存在した。

もっともそれらに関心があるのは女の子だけで、男子は殆ど見向きもしなかった。誰もが質素な文房具を使う中、キャラクタをあしらった商品を使うのは幼稚とみなされていたからである。中学生ともなれば子ども扱いされたくない年頃であるが故に顕著だった。

ところが女の子と文通を始めてから状況は一変した。第一通目から封筒と便せんお揃いのレターセットで受け取った。それまで手紙というものは白紙で縦書きでなければという固定観念があった。
応接間の書棚にあった「冠婚葬祭入門」を読んでいた影響もあった

そこで自分も同じようにすることを考え、今まで全く縁がなかったレターセットを買ってきて返信している。女の子は殆ど毎回異なるレターセットを使用したので、何となく対抗意識もあって次々と別のレターセットを買い漁った。

この傾向は高校生になって別の女の子と文通するときも続いた。実際、素っ気ない白紙の縦書き便せんに白封筒で差し出した女の子は誰一人も居なかった。できるだけ多くの種類のレターセットをストックして使い分ける必要があり、市内いろいろなお店でレターセットを探すようになった。

高校を卒業する頃には文通自体しなくなったが、洒落たレターセットやノート類に関心を持つようになり、実際に使うのではなく収集目的で買うようになった。既に製造中止となっている昭和50〜60年代頃に購入された商品が今も段ボール箱に保存されている。
【 「様」の飾り字など 】
一般に男の子と女の子は手書きの字が違う。手紙に限らず誰が書いたか分からなくても女の子が書いた字は概ねすぐに分かった。特にある種の文字は女の子特有の形や装飾がされていて、恰も約束事かのように思われるものがあった。

その中でも顕著なのが相手の敬称として書かれる「様」という漢字の装飾である。
写真は典型例を接写した画像。


当初、最後の画の払い部分に添えられた2本線の意味が分からなかった。しかし不思議なことにどの女の子もパターンは異なれど同様な装飾を施していた。

この飾り字は人によってバリエーションがあった。もっとも一般的なのは最後の払いの画に2本線を書き入れたものだが、♥や★を串刺しにしたような個性的なものもあった。


一体誰がいつ頃始めたのか、何故2本線の装飾なのかについては今もって何も分からない。それは恰も伝染病のように流行り、女の子が手書きした「様」はほぼ例外なく同じようになった。他方で男子はまずそのような書き方をしなかった。それから毎年うちの親が受け取る年賀状にみられる様も2本線がついているものはなかった。

封筒に手紙を入れて封をするとき、フラップを糊付けした後で大抵はそこに×印を書く。これはバツではなく正確には〆(しめ)であるのだが、深く考えず×印を書いていた。

女の子との文通では封緘部分にシールが貼られていることが多かった。また、当時の自分にはどういう意図か分からない文字が書かれていることもあった。


それらの文字などの中には女の子の気持ちが暗に折り込まれており、自分には理解できなかったために看過されてしまったと思われるものがいくつか知られている。
【 凝った便せんの折り方 】
文通によってもたらされたのは、馴染みのキャラクターが採用されたレターセットだけではなかった。封筒とお揃いの便せんは、今まで見たこともないような折り方で封入されていた。それは別にシールが貼られていたわけでもないのに折り畳まれた状態で安定していた。後にそれはかなり多くの女の子の間で広まっている作法と知った。
写真はA4コピー用紙で再現された同じ折り方


今回総括記事を作成するにあたって、過去に受け取ったすべての文通相手からの手紙を調べてみた。一連の折り方を知らず(あるいは知ってはいたが実際に折るようなことはせず)普通に三つ折りにされたものもあったが、過半数の女の子が何通りかで表現されるどれかの「凝った」折り方をしていた。当人の性格や親密度にも影響しているようで、友達からの紹介で文通を始めた女の子では最初の手紙からこの折り方になっている便せんもあった。詳細は以下を参照。
時系列記事: 端が留まる便せんの折り方
普通に折られたものよりも簡単には開けにくいことから、学校でも友達の間でメモをやり取りするときに使われた。
《 現代社会からみた文通考 》
自分で手紙を書いて郵送し、相手がそれを読んで返事を書いたものを送ることの反復なので、どんなに熱心で筆まめな文通者でも一サイクル回るのに一週間以上はかかる。現在は昭和後期よりも郵便事情は良くなっているとは言っても概ね2週間〜半月程度が標準的サイクルだった。

情報伝達は光速で、物品の送達も宅配便で敏速に…という今の時代では情報のみのやり取りを主な目的で行うには甚だ不向きで、より頻度の高いやり取りを求める人々はメール友達という形態で活動の場を変えている。そうではあっても手紙スタイルの文通にもなお魅力がある。それは紙媒体で情報が本人の手元へ届くことに本質がある。

学校から帰ってきてそろそろ来てるかな…と思って郵便受けを覗く。空っぽだったり電気使用量の通知書や特売の案内ハガキだけだとがっかりする。しかし…見るからに派手でちょっと厚めな封筒が入っていることですぐに分かる。心躍る瞬間である。「来た来た!」
親に見られたくないのでポストからサッと取り出して自分の部屋へ駆け上がり封を切って便せんを取り出す…郵送方式の文通でなければ味わえないスリリングな喜びである。

文通でやり取りするのは主にその人の手によって作成された文章の並びだが、決してその情報だけではない。どんな封筒や便せんで送って来たか、万年筆やボールペンなどどんな筆記具で書いたか、更にはどんな表現や文字の形状がみられるか…そのすべては書いた本人すら意識しないまま送られてくるその人の個性である。このような派生的な情報はデジタルなフォントに置き換えられてしまうネットでは伝わらない。

送る側からすればリスクもある。言葉として発せられたものとは異なり、紙に書かれたものは永く残る。メール以上に既に送達したものを「書いていない」ことにはできない。それ故に何を認めるにしても紙に書いて送るときには後に残っても良いようなものにすべきということは学童期にも親から言われ続けていた。これは文通に限らずプライベートな年賀状から手書きのアンケート等にも共通することであり、デジタル時代の今でも公の目に触れるコラム執筆からネット上へ提出する記事まで念頭に置いている点である。

私の手元には現在も想い出深い文通相手の女の子が書いた手紙が保存されている。昭和期に発刊された一般的なマナー関連の書籍では、結婚にあたって配偶者以外の女性から受け取った手紙や想い出の品々はすべて処分すべきと説かれていた。想い出に縋って手元に残せば浮気を疑われるなどトラブルの元になりかねないからだった。デリケートな内容が書かれた手紙は確かにそうだが、現在ではそこまで厳格にすることはない。仮に配偶者の目に留まることがあったとしても説明可能であれば足り、何も自らの意に反して過去の時系列を切り捨てるようなことをする必要はないと考えている。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 文通

2. 宇部新川駅から柳ヶ浦行きという列車が出ていた。この便は今は恐らくもう存在しない。

3.「FBタイムライン(2016/10/3)|文通四方山話」でデイリーポータルの「遠恋中に書いていた手紙の中身」の記事を元にシェア記述している。

4.「FBタイムライン(2020/3/7)|文通

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