開立

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記事作成日:2025/7/13
最終編集日:2025/7/17
開立(かいだて)とは、小串村およびその近接地域に存在していた地名である。その指し示すものは時代によって異なるが、現在では殆どが小串にある小字名を指す。ここでは歴史的にみて最初期にあたる小村時代の開立は概説するにとどめ、主に小字名としての開立について記述している。
《 小村としての開立 》
小村とは、江戸末期から明治期において各村内に存在していた集落の単位である。旧宇部村エリアには沖宇部、中宇部、上宇部、小串、川上の5ヶ村が存在していた。開立小村は、小串村に存在していた6つの小村のうちの一つである。開立小村以外の5つは小串、下条、島村、小松原、浜村である。

開立小村はいくつかの小字と、その配下にある小名で構成される。以下の記述は小字を先頭に、当該小字配下に含まれる小名をカッコ書きで示している。例えば黒岩は字大場山配下に属する小名ということになる。
大場山(黒岩)
二反田
西条
滑坂(和田・養子ノ下・■田・岩河原・焼石)※ ■はさんずいに卷
西山
土井
小串村エリアに限定すれば、小字・小名の中に開立は含まれていない。この分類の時代は、開立は各小字・小名を総称する地域名であったと言える。代わりに隣接する沖ノ旦村の中山小村には、字金山配下に笹山と開立の2つの小名が属している。近接する他の村や小村に開立はみられないことから、最初期は主に小串村にあって一部が中山にも及んでいた地域名だったことが分かる。恐らくこの領域が後年の小字に反映されている。
《 小字名としての開立 》
小字絵図によれば、概ね以下の領域である。


概ね桃山配水池のある周辺である。西側に赤根峠と書いているのは確定ではなく検証を要する字名で、防長風土注進案には藤山村の地勢を説明する中で「赤根ガ頭」の表記がみられる。今も居住者があるかどうか分からない場所の郵便ポストに、当該住所として赤根峠と書かれているものが確認されている。

この領域は、宇部市水道局の桃山配水池が含まれる。当該施設の所在地は市のホームページなどでは宇部市西桃山とだけ書かれているが、登記簿上の所在地には字開立という表記が現れる。桃山配水池の旧1号配水池監視廊入口は登録有形文化財であり、休日は地元の方が常駐して見学可能である。この記事を作成している現在から5年程度前に見学に行ったとき、地元在住者から開立という地名について尋ねたところ「聞いたことはあるが今は全然使っていない」との返答だった。
【 藤山村エリアの貝立 】
上記の絵図における赤の太線は、大字または村境である。上の画像に表記はないが、藤山村エリア側には字貝立が存在する。読みは同じで漢字表記のみ異なるので、これは先述の小村としての「かいだて」に相当すると考えられる。即ち藤山村・小串村の村境が確定する前から両方の村に跨がって存在していたと推測される。村境や後年の市境は行政レベルで決定されたものなので、それ以前からの小字・小名が跨がって存在している例は無数にある。藤山村の貝立は、区別するために異なる漢字を当てたのだろう。このような事例もかなり多く存在する。
《 由来 》
厚狭郡風土記の冒頭で中山村について記述している部分に「中山村は明王山の霊場開立ありし事など…」という記述がみえる。これは一般名詞としての使用であろうが、村の東西の広さを記述する部分に「東は宇部之内小串村開立山岸尾より…」と書かれている。その後の山川之形勢をあらわす部分にも地名としての開立が2度も現れる。集落か山の名前として認識されていたことは明らかだが、山としては御立山にも合壁山にも記述はみられない。

現在では開立は「かいりゅう」と読まれ、ある数の立方根を求める操作を指す。これとは別に、霊場を新規に創立することを「開立」と呼んでいたのかも知れない。少なくとも現代ではこのような語法は存在しない。
開立問題
小串村にある字開立には、宇部の街の基礎を造った渡邊祐策翁が取得した土地(1ha程度)が存在する。宇部鐵道の線路敷など目的をもって自費で買い上げた土地の他に、金策の工面の担保として差し出された土地なども含まれる。このため小串村に限らず沖宇部村や中宇部村にも存在し、それらは場所と面積が明確に分かるように小字名と領域を記した台帳としてまとめられている。

このうち小串村字開立にある土地の所在地が分からなくなっていながら、固定資産税のみが毎年賦課され続けている状況を開立問題と勝手呼称している。字開立は桃山配水池のある領域であり、水道用地か関連する施設建設用地として取得されたのかも知れない。台帳に記されている資料からも桃山配水池に近接する場所であることが示唆されている。

本件に関して、渡邊ゼミ時代に市民税課と桃山配水池を管理する水道局との3者で資料を添付して協議したことがあった。結局、所在地の完全な特定はできず、市民税課は資料がなく所在地が不明ながらも賦課金額が最低水準であることを理由に如何ともし難いという回答だった。このため該当する土地が現存するのか、それとも第三者の土地に併合されてしまっているのかは分からなかった。

台帳にある地番が桃山配水池の所在地番に近接していることから、初期は3号配水池などの設備拡張を行う工事の際に水道局用地に取り込まれてしまったのではという見方がされた。近年の再分析により、この土地は誰の土地も分からないままに手つかずで現存している可能性が高いと考えられている。候補地は早くから推定されていたものの、台帳にある面積ほどの広さがないとみられていた。現地を実況見分したところ、およそ台帳にある程度の広さは持っていると思われた。

確定的資料がないため断定は避けるが、当該土地はほぼ完全に藪化している。かつて畑だったようで、浅い雛壇状の加工がみられる。飛来したり野生動物が持ち込んだりしたゴミ以外の人工物は殆どみられない。元畑由来の段差があるため、そのままでは接道条件は満たしていない。月極駐車場にしても契約者の見込めそうな場所ではなく、単純に畑に戻すとしても生い茂った樹木の伐採が必要である。

塾長より台帳にある土地を特定し開立問題を解決すれば、当該土地は解決者に寄贈するとメンバーに提案されている。真に推定されている土地が渡邊祐策翁の土地ならば、新川歴史研究会名義にして秘密のアジトを造るのも一興だろう。
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」(黒木甫)p.117 で川上にあった高日山と堂山を説明する項目の中で「一山(いっさん)、寺の前、開立など、宗教に関係する地名がこのあたりに多いのも理由がありそうだ」という記述がみられる。

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