清水崎

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記事作成日:2017/7/16
ここでは、宇部市内に存在する地名としての清水崎について記述している。
《 呼称と表記 》
市内では小字レベルで清水崎という地名がいくつか観測される。現在の読みではそのまま素直に「しみずざき」と読まれるところである[1]が、郷土資料などではしばしば「しみざき」の読みを与えたものがみられる。現在のところ郷土史でも頻出する著名な清水崎は後述する2ヶ所があり、いずれも書籍では(明瞭な読みが与えられているものでは)「しみざき」として紹介されている。

清水崎という地名が現れる構造物などは一つも知られておらず、登記上の地番表記で稀に見られる程度であるため正則の読みは確定できない。特に後述する2ヶ所それぞれの清水崎が在住者にどのように読まれていたかは調査を要する。

清水崎という地名の由来は、それが何処にあるものでも同一と考えている。即ち湧水が流れ出る傾斜地である。この場合の清水は「染み出る」の義が含まれているかも知れないことは読みからも推察される。崎は一般には海に面した突端部分の義であるが、河川やあるいは平坦地に突き出た地形に対しても流用される。
【 沖宇部村の清水崎 】
東梶返4丁目辺りに存在した地名で、現在の中央高校と神原中学校の間を通る道が正面にぶつかる丘陵部の東寄りが清水崎である。地名明細書では沖宇部村梶返小村の小字に清水崎(しみざき)として収録されている。また、防長風土注進案には梶返村の小名表記で「■水崎(シミツサキ)」という振り仮名つき表記がみられる。
■は清の旧字体

郷土資料では清水崎という地名はかなり頻繁に見られるものの、小字絵図では早期に消滅している。最初期のものには掲載されているが、後年造られたものでは字東梶返となっていて清水崎の範囲が分からなくなっている。村才山崎などが字西梶返となったように、後年統合されたものと思われる。清水崎の東側、現在の恩田に向かう道と常盤台へ向かう道の交差する辺りの清水川がバス停と共に相応な知名度を持つのに対し、清水崎という地名は現在では殆ど認識されていない。

早くに字東梶返となっているので清水崎が正確にどの辺りか分からないが、後述する高台から眺めたと思われる近辺の写真である。市道清水川梶返線より南を向いて撮影している。


清水崎は江戸期に常盤池が造られたとき、池の底へ沈むこととなった常盤原に住んでいた人々が移された代替地の一つとして知られる。常盤池からはかなり離れていてこの地が選定された理由は不詳だが、梶返天満宮から近いのは一つの要素だったのかも知れない。

また、郷土史話において現在の松山通り常盤通りを構成する元となった緑ヶ浜の形成を観測した地としても登場する。概ね以下のように語り継がれている。
あるとき風も吹かないのに沖の方の海がゴウゴウと二日二晩鳴り続けた…三日目の朝のこと清水崎の高台から沖の方を見ると白いものが横たわっていた…それは砂の丘であった…
郷土史話に清水崎の地名が明確に表記されているかまだ確認はしていないが、清水崎だった可能性は高い。梶返地区古くから人々が棲み着き、海に面した相応な高台で沖の方までの観測は充分に可能だった。沖ノ山どころか岬八王子の方まで見えていたことは、かつて岬浜沖を通る船舶の往来の難所だった亀ヶ瀬で難破船が観測されたときは琴柴村の者が救援に向かっていたと伝えられていることからも分かる。[2]

現在は建物が建ち並び海の方はまったく見えない。現地に清水崎の名前を遺す構造物などは今のところ何も知られておらず、認定市道の路線名(市道清水崎線、市道清水崎恩田線)にみられるのみである。
出典および編集追記:

1. 市道清水崎恩田線など清水崎を含む路線名は、市道路河川管理課のリストでは「シミズザキ」という振り仮名が表記されている。

2.「FB|2017/7/15のタイムライン(要ログイン)
【 西岐波村の清水崎 】
西岐波村の下片倉にある清水崎は、現在の片倉温泉辺りの県道を挟んだ両側になる。写真は片倉温泉付近に設置されていた開発行為許可済標識にみられる清水崎。


地名明細書では西岐波村片倉小村の小字に清水崎(しみざき)として収録されている。現在は住居表示に小字表記を用いることは原則ないが、登記簿や上記のような正規の地番表記には現れるので、現行の地名とも言える。ただし現在では自治会を中心とした住居表示が用いられているため、清水崎という地名が現地でどれほど認知されているかは分からない。

下片倉自治会館がある側の丘陵部は清水崎古戦場として知られ、厚東氏と大内氏による激戦地であった。この地で多くの戦士が斃れて葬られた小山は千人塚と呼ばれている。現在は自由が丘ニュータウンの中の地元管理公園が隣接している。現地に案内板などは存在しない。

沖宇部村の清水崎と異なり、やや海から離れた内陸部に存在する。ここでの崎は沢波川の削り取った川に面した突端という意味であろう。
【 その他の清水崎 】
まだ充分に調べられていないが、市内の他地区に清水崎という小字名が数ヶ所観測されている。

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