宇部興産窒素線・No.90鉄塔【3】

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現地踏査日:2013/12/25
記事公開日:2014/1/7
(「宇部興産窒素線・No.90鉄塔【2】」の続き)

暮れも押し迫ったクリスマスの25日、好天に誘われて自転車で浜田方面に向かっていた。

浜田や平原方面に行くときは車なら浜バイパスが第一選択経路だが、自転車なら細い道も苦にはならない。やたら信号の多いバイパスを嫌って大抵一つ裏の路地(市道下条浜通り線)を通っている。
この道はNo.90鉄塔のすぐ下を通る。既に充分な写真を採取してあったので、頓着せずそのまま通り過ぎた。このとき鉄塔の方から金属音がやたら聞こえていたので、何の気なしに振り返った。

鉄塔の解体作業が進んでいた。
一部画像を加工しています


既に上部構造はない。鉄塔に作業員がよじ登って部材の解体を行っていた。


遂に来るべきものが来たか…と感じた。
窒素線は既に運用停止されたのだから、関連する設備を長々と遺しておく理由がない。No.90鉄塔も他のものより撤去が遅れていた方だった。現状復旧について地権者と話がついたのだろうか…

撤去作業に興味はあるものの現地へ行けば作業の邪魔になるだけである。窒素線について話を伺うなんて暇もないだろうし、専門の業者が行っているのだから詳しい話も聞かされていないだろう。帰りに覚えていれば立ち寄ることとして、遠巻きにこの写真を撮った。


同じ日の夕方、アジトへ帰る途中に再び同じ道を通った。
既に鉄塔は完全に姿を消していた。


鉄塔のあった方向からは人の声も作業音もしていなかった。どこまで現状復旧されたのか観に行くことにした。

No.90鉄塔を含めて向山へ上がる道にもなっている通路は作業員が何度も通った形跡があった。
既に作業を終了して撤収しているらしかった。


索道は分解された部材を搬出するのに作業員が幾度となく往来したせいか足元の草がなぎ倒されていた。
鉄塔と付属するワイヤや碍子、周囲のフェンスが除去されていた。


元入口の右側には、何故かディスコン棒置き場のアルミ製梯子が近くの木へ立てかけられたままになっていた。
何故搬出されなかったのか分からない


もはや危険なものが何もないせいか立入禁止の札さえも存在しない。
しかし基礎部分と周囲の建築ブロック、スパイラル管を覆っていたU字コンクリートはそのままだった。


ネットフェンスは基礎に近い部分で溶断されていた。


初めてフェンスの内側へ立ち入って基礎部分を観察することになる。
すべての鉄骨が基礎コンクリートに近い根元部分で切断されている。


基礎の背面にあった地中化の開始部分はモルタルで埋められていた。


考えようによってはこれは奇妙である。既に不要な設備でこれから撤去するものをモルタルで補修していることになる。何かに再利用するのだろうかとも思われた。


コンクリート部分が全て遺されているのは、鉄塔の撤去に係る工事範囲の発注の問題ではないかと感じた。
鉄塔は解体された後の鉄骨は資材になり得るが、コンクリートは殆どが産廃処理される。高所作業を含むので別業者に発注されたか、基礎部分の撤去は別の時期に行うのだろう。

モルタル補修されているのは、コンクリート撤去までまだ時間があって雨水が地中化経路部分に侵入するのを防ぐためではないかと思う。あるいはコンクリート基礎を壊さず何か他のものに転用する予定があるのかも知れない。

残すと言えばもう一つ奇妙な変化があった。
窒素線に関連あるかどうか分からなかったあの太いコンクリート柱である。


コンクリート柱自体は撤去されているのに台座部分は遺されていた。
それも単に残すだけではなく柱が乗っていた部分を丁寧にモルタルでねぶり付けている。


これもちょっと意味が分からない。結局、窒素線関連のものだったことが明らかになったが、建てられていたのはコンクリート柱だった。
柱は撤去しているのに基礎は遺すどころか同様に表面をモルタルで補修するとは…


鉄塔の撤去工事に併せて施工されたようで、モルタルの表面はまだ固まっていなかった。


外囲いの建築ブロックもそのままである。
コンクリート柱を撤去しておきながら容易に撤去できると思われる建築ブロックはそのまま放置されている。
トラッククレーンも入れないこの場所でどうやってあの高いコンクリート柱を撤去したのだろう…


もしかして本当にこの基礎部分は遺したままで何か別のものに転用する用意があるのだろうか…

しかし今や窒素線の鉄塔もない状態では踏査モチベーションに薄い。恐らく現時点で既にすべての窒素線関連のものは完全に撤去されたか別の用途として姿を変えている[1]だろう。
また一つ、昭和の産業遺産が姿を消した。
窒素線の全線トレースを計画しておきながら遂に成らなかった。それどころか充分な記録もとれなかったことが返す返すも残念な物件であった。
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この場所が何に転用されるのかという小さな興味は確かに残る。
暫く時期を置き、たまさか覚えていてここを訪れるようなことがあれば、そして何か明白な変化が生じていたなら情報を追加することにしよう。

出典および編集追記:

1. No.1鉄塔は上部を中電への売電向けに仕様変更されたまま現在も利用されている。

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