西本町の市制十週年の石碑

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記事作成日:2018/12/22
最終編集日:2018/12/25
市道西本町線を西へ進み、西本町郵便局よりクランク部分を過ぎた先の直線路部分に一対の石碑が知られている。


石碑の位置図を示す。ポイントされている場所は、一対ある石碑のうち市制十週年の文言が刻まれている方である。


石碑は一般的な御影石の石柱で、幟を添えて建てるときの固定穴もある一般的なタイプである。


東側の面に「市制十週年記念」と刻まれている。


些か蛇足だが、現在では節目の年を表現するときは「〜年」の表記の方が一般的である。しかし石碑では明らかに「十年」となっている。重要な石碑の文字を刻み間違えるなどおよそ考え難いので、当時はその表記も一般的に用いられていたのだろう。

反対側の面には「第百二十一区」とある。


これは石碑を設置した当時の自治会区に相当するものだろう。市役所西側の真締川公園には紀元二千六百一年の石碑があり、そこには第九十ノ二区一同という文字がみられる。

道路を渡って反対側にある石碑の東側には、設置時期を示す昭和六年十一月一日の文字が見えた。
当然ながら宇部市制が施行されて正確に10年後の日付である。


そして裏側には、石碑の寄贈者の名前が刻まれていた。


半世紀以上が経過しており、まして有用な記録を現代に伝えているわけであるから個人情報にかかずらうことなく明記して問題ないだろうが、寄贈者である粟屋勇という名称については私の調べた限り今のところ手元に情報がない。

この道は現在の国道190号ができる以前からあったもっとも海寄りの道であり、最初期からあった上町通りに次ぐ主要な道路であったと考えられる。そこへ一個人が市制記念の石碑を据えるとなれば、相応な有力者であったのではとも思われる。この場所から最も近い寺社となれば松濤神社がある。境内にある手水舎など個人名が刻まれている石碑を撮影した手元にあるデータの限りでは、同じ名称は見つからなかった。

読者による情報提供のうちには、宇部を代表する銘菓の利休饅頭の創始者が確か粟屋姓であったことを指摘する意見があった。[1]粟屋姓は市内において少数派に入るため、由来が判明する可能性はある。

古くからの道とは言っても当初からセンターラインを有する幅があったとは考え難いので、道幅を拡げて歩道を造る折に少なくとも片方の石碑は移動されている。石碑の保存状態は良好で、文字に墨入れはされていないものの明瞭に読み取れる。車が当てて擦ったり一部小さく欠けたような部分が見られるが、据え付けられてから大きなダメージを受けた形跡はない。

この石碑の存在自体については校区の郷土マップなどでは言及されていない。寺院仏閣などの境内や墓地にある石碑群は相応な扱いを受けるため状態が良いものが普通だが、それ以外の市街部において車の往来が相応にある道路沿いでの石碑は、現在では存在自体がかなり稀である。
この総括記事を作成した2018年は維新150年の節目となる年であった。そして2021年11月1日、宇部市は市制施工100周年という極めて大きな節目を迎える。これを受けての動きは2017年に開催された宇部市制施行100周年市民委員会に始まる。個人的にも2021年を大きな目標としての活動は既にスタートしている。

ここでは市制十週年を記念して建てられた石碑を取り上げたが、誕生の年からそれぞれの節目の年まで市内には市制周年関連の石碑や節目の年を記念して造られた構造物が無数に存在する。思い付く場所だけでも中津瀬神社境内には市制施行にあたって寄贈されたモニュメントがあり、現在の宇部高校の校門手前にはコンクリート製の市制施行記念碑がみられる。すべての市制記念碑を漏れなく調べ尽くすことは非常に困難と思われる。
《 個人的関わり 》
この石碑の存在は2013年秋口に自転車で助田方面へ向かうときに見つけていた。


このときに両方の石碑について撮影を行っている。
《 記事公開後の変化 》
この題材をFBページに投下したところ、実家が近くにあるため昔から知っていたという情報が得られている。[1]
出典および編集追記:

1.「FBページ|2018/12/17の投稿

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