写真は南方からの撮影。
地理院地図で位置を示す。
鍋倉山は公的な呼称ではなく国土地理院の地図を含めて一般の地図には記載されていない。しかし地元在住民をはじめ宇部市民にも概ねこの山と理解される程度の知名度を持つ。
《 概要 》
鍋倉山はほぼその全体が鍋倉公園として市公園緑地課の管理となっている。頂上付近には宮地嶽神社があり、この他にも宇部市となる以前の藤山村時代村の発展に多大な貢献があった秋富兄弟の立像、栄川の埋め立て記念碑などの史跡がみられる。
現在は市道北琴芝鍋倉町線(山大病院通り)により分断される形になっているが、かつては北側にある向山と半島状に繋がっていた。昭和中期までは向山と鍋倉山の間は低い峠となっていた。昭和40年代後半の浜バイパス築造時に自衛隊の爆破隊により堀割として分断された。浜バイパスの切り通し西側には開鑿作業を記念する石碑が設置されている。
派生記事: 開鑿碑
この開鑿工事以前はかつての藤曲中心部の集落へ抜ける低い峠があったようで、宇部市街図にも記載されている。これは現在の市道藤曲線と市道浜助田線に相当する。【 地勢 】
鍋倉山は恐らく全体が蛇紋岩である。向山はかなり風化が進んだ土壌が多く畑地に転用されているのに対し、鍋倉山は中腹部や西側の裾野に僅かに拡がる程度である。殊に山頂付近は風化していない露岩が多い。鍋倉山という名称はこの岩がちな地勢に由来すると思われる。かつては山全体を桜木が覆い、春先は花見の名所であった。現在は樹木数がやや減っている。【 利用 】
南へ大きく張り出した岩山ということで昔から格好のランドマークであった。戦時中は海洋や空からの敵機を察知するために監視所が設けられていた。宮地嶽神社より若干高い露岩に現在もコンクリート製の小屋のような建物が遺っている。向山に近い側は鍋倉山墓地となっている。向山の切り通しに近い場所にも墓園があるので、浜バイパスで分断される以前は一続きだったかも知れない。
平成初期辺りまで山の中腹に数軒の民家があったようで、参道沿いとやや離れたところに廃屋状態で遺っている。鳥居のある参道先の民家は2020年現在も居住者がある。
《 アクセス 》
鍋倉山の標高は精々30m程度であり、どのルートでも歩いて数分で山頂へ到達できる。山裾にある道は舗装されているが概して狭く、軽四でもぎりぎり通れる幅の道が多い。付近に駐車可能なスペースがないことからモータリゼーション黎明期以降は他の多くの公園と同様、訪れる人が減っている。自転車かあるいは徒歩での来訪となる。登り口は数ヶ所あり、市道助田鍋倉線の分岐路からと市道東汐土手線途中の参道が著名である。いずれも参道入口に鳥居が設置されている。この他に東側からは市道浜助田線の分岐から上がる経路がある。北側の市道藤曲居能線には鍋倉山墓地の入口があるが、現在は墓地から先の経路が廃道状態になっている。この他、鍋倉山の裾野に位置する民家から個別に登れる非公式の小道が存在する。それらは明白な形で頂上まで繋がってはいないため、山を降りるときに誤って民家の敷地へ迷い込んでしまう危険は少ない。
《 個人的関わり 》
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出典および編集追記:
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