市道北琴芝鍋倉町線・横話【2】

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《 開鑿碑 》
現地踏査日:2013/7/21
記事編集日:2015/3/5
市道藤曲線の起点付近から市道浜線の入口までの間は山の斜面を片切掘削したような経路になっている。
切り通しの高さは電柱を超えるほどあるので15m位だろうか。[2013/2/27]


この切り通しの市道藤曲線側に「開鑿」という文字の彫られた大きな石碑が据えられている。


石碑はコンクリート擁壁の上にひっそりと据えられていた。
車道からではまず気付かないし、自歩道を歩いていても注意していなければまず見過ごされるだろう。


手の届く範囲で枯れ草を払いのけて撮影。
昭和48年8月4日 第13師団長 栗栖弘臣と読み取れる。


第13師団長…などという表記は如何にも仰々しく思えるが、この切り通しは土木業者による施工ではなく、自衛隊の擁する爆破隊によって開鑿された。石碑は難工事の竣工を記念するものである。[1]

浜バイパスは、厚東川大橋から東へ真っ直ぐ延長した先に位置する。昭和40年に入るとモータリゼーションが進み、市内の交通も増えてきた。そこで産業道路の北側に恩田までの新しい道路を造ることが画策されていた。
この場所は向山からの尾根が次第に低まり、鍋倉山まで伸びる場所である。昭和初期の市街図を参照すると、どうやら昔からこの辺りを越えていく小道があったらしい。[2]鍋倉山は昔から南西へ岬状に張り出しているために、車を通すためには岩盤の破砕が必要だった。

鍋倉山近辺の岩質は蛇紋岩で、それほど硬い岩ではない。現在なら多くの土木業者が岩をはつる重機械を持っているし、なければリースできる。自衛隊の協力を得て開鑿された経緯はよく分からないが、重機ではつる程度で間に合う量ではなかったこと、大規模な爆薬を安全に取り扱うことが困難だったこと、民家が近いために十分な安全確保が求められたなどの要因が考えられる。
大きなビルの基礎部分に「礎(いしずえ)」のような石碑が壁に塗り込められている事例をよく見る。切り通し区間に開鑿碑が設置されていることは、如何に大規模な作業だったかを今に伝えている。

夏場に撮った写真。
このように草木が生い茂る季節になると石碑の前が覆い隠され分かりにくくなる。[2013/7/21]


現代は夥しい車がこの区間をものの数秒で通過していく。バイパスとしては未成でありながらここは市内でも有数の交通量を誇る区間で、石碑で讃えられるだけの重役を務めている。
この記事を書く現時点で浜バイパスはなお全通していない。しかし残りの区間を施工するにも恐らくこの区間ほど大規模な破砕作業が要る部分はない。実施工としては最も困難と思われる部分が初期に遂行されながら、昭和40年代初頭からのバイパス計画が平成期も相当進んだ今もなお未完というのは皮肉な話である。
出典および編集追記:

1.「なつかしい藤山」P.59
開鑿に先行して厚東川新橋が昭和41年に完成している。

2. 宇部市街図 昭和12年度版による。この道は浜バイパスより南側は現在の市道浜助田線、北側は市道藤曲線ではないかと思われる。

3.「FBページ|2015/3/5の投稿(要ログイン)
《 路面にできた奇妙な傷 》
現地踏査日:2011/1/16
記事公開日:2013/7/24
同じ場所だが、この切り通し区間の北琴芝行き車線には現在も路面に奇妙な傷が残っている。


追い越し車線側をよく見ると、アスファルトを正方形にくり抜いたような痕跡が連続していることに気付く。


大きさは目測で1m角程度。それも一つや二つではなく連続している。


追い越し車線側だけに延々と傷が残っている。
後からその部分だけアスファルトを充填したらしい。


よくそんなところに気が付くものだ…と呆れられるかも知れない。道路に縦や横の筋が入っている場所は普通に有り得る。実際、走行車線と追い越し車線の中間には長い直線状の筋がついている。このような直線状に入った筋は説明が容易で、下水管などを縦横断に埋設した痕跡と言える。その部分にそってカッター切断し掘削して管を布設し埋め戻せば、舗装復旧しても掘削した通りに筋状の跡が残る。
しかしそうなればこの正方形状の痕跡は如何にも奇妙だ。そのようにカッター切断することを要する施工を思い付かない。

この部分に気付いたのは数年前に私が今のアジトへ生活拠点を移してすぐのことだった。藤曲交差点からアジトへ向かって車を走らせるとき常に浜バイパスの追い越し車線側を通っているからだ。
ここを車で走ると路面の奇妙な痕跡が嫌でも目に入る。夜間で路面を目視していなくとも細かな正方形状の裁断が災いして、車体がパタパタと小刻みに上下振動するのである。如何にも乗り心地が悪い。
最近はその部分を踏まないように跨いで走っている


ところどころ雪が残っていることから分かるように、撮影自体は一昨年の冬だった。市道鍋倉居能線の交差点が赤で車が停まっているタイミングで撮影している。
正方形状の傷跡のサイズは1m角くらいである。本当に正確にくり抜いたようなカッティングだ。


実はこの写真を撮影して地域SNSに記事を掲載した直後、関連すると思われる情報が読者から寄せられた。
土留め工事を行ったときの仮設材の設置跡らしい。
この切り通し区間の北側で一部崩落があり、防護壁を設置する作業が進められたようだ。路面の傷は、そのときにH鋼を建てたときの痕跡という。[1]

写真を撮影したのも問題が解決したのも一昨年のことだが、この痕跡自体は記事を作成している現在もそのままである。別に通行の危険が脅かされるわけではないが、通るたびに路面の痕跡が気になるしタイヤがパタパタと音を立てることで記憶してしまっている。
この場所は斜面を最小限に削った切土部分なので、路面が陥没するなど傷みようがない。補修工事が行われるあてもなく、まだ当分の間この状態が見られるだろう。
出典および編集追記:

1. 地域SNS記事「浜バイパスに見られる路面の奇妙な補修跡」の読者コメントを参照。なお、地域SNSは2014年1月末で閉鎖されるので遺憾ながら出典記事は消滅している。
《 藤山交差点 》
本路線の終点、国道190号のバイパスの端点は藤山交差点と呼ばれ、県下一の交通量がある交差点として知られる。


地名標示板の表記とは異なり、この交差点は宇部市民からはしばしば藤曲交差点とも呼ばれる。実際、藤曲地区に接しているのでイメージとしては藤曲交差点の方が近いかも知れない。
現在では藤山と藤曲はしばしば同一視されるが、藤曲とは藤曲村に由来する旧村名で、藤山は藤曲村と中山村の合併により誕生した藤山村に由来する。殆ど意識されないものの藤山は合成地名である。

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