宮大路南街区公園

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現地撮影日:2012/6/9
記事作成日:2015/5/25
宮大路南(みやおおじみなみ)街区公園は市公園緑地課の管理する都市公園の一つで、松山町一丁目交差点の南側ブロック、錦町1に存在する。[1]
写真は市道参宮通り線に面した入口。


公園名の石版があるこの場所の入口をポイントした位置図を示す。


この公園より松山通りを挟んだ北側、青少年会館のある領域には宮大路公園がある。宮大路公園は近隣公園という区分になっている。宮大路南街区公園は区分上の正式名で、一般には標識板にもあるように宮大路南児童公園と呼ばれている。

公園の名称を記する表示板。


昭和27年度の竣功で、市内に現存する公園としては古い部類である。その文字も掠れて読みづらいほどだ。


児童公園の名に相応しく、園内は相当広いし定番の遊具は一通り揃っている。お手洗いは国道側に備わっており、市道参宮通り線の所定の区画に車を停めおける利便性もあって、いつ行っても大抵は親子連れに活用されている明るい公園だ。

天気が良いせいか公園で遊んでいる子どもが目立つ。なるべく姿が写り込まないように撮影アングルとタイミングをはかるのが難しかったくらいだ。


裏側の路地から撮影している。
門柱をはじめ周囲を取り囲む塀というか境界が古めかしい。


自然石を適宜組み合わせてセメントで繋いでいる。まるで「おこし」のイメージだ。


宮大路児童公園だけではなく、市街部にある他のいくつかの公園にも同様の外囲いが見られる。同じ時期に造られたのかも知れない。素っ気ない建築ブロック積みよりはずっと味がある。

公園の一番奥から撮影。
実際には右側の国道寄りにブランコとシーソーがあり、その近辺に数家族が集っていた。


水飲み場は公園南側のトイレの横にあり、公園の入口は三方に設けられている。
出典および編集追記:

1.「宇部市|宇部市の都市公園一覧
《 個人的関わり 》
今となっては殆ど記憶がないのだが、まだ常盤町に住んでいた幼稚園2回生時までは母親に連れられてこの公園で遊んでいる筈である。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

この標示板は公園が造られたときから私の滑稽な踊りの後ろ姿を眺めつつ、歴史を刻んできた筈だ。今もこれからも変わらず憩いの場であり続けることを願いたい。
《 近年の変化 》
現地撮影日:2017/5/25
項目作成日:2017/5/26
公園自体の大きな変化はない。市道参宮通り線と松山通りに面した角地に第18回国体に関する行啓記念のプレートが見つかった。

園内から松山町一丁目交差点を撮影している。
角地に古い外灯があり、そのコンクリート基礎部分にプレートがはめ込まれていた。


プレートの拡大図。
外観や色調からブロンズプレートのように思われる。


彫りが浅くて読みづらいが、以下のように刻まれている。
十八回国体
皇太子同妃殿下 神原文教委員協議会
行啓記念
昭和卅八年九月
漢字「卅」は現在では御神籤の番号など限られた場面でしか用いられないが、これ一つで三十(さんじゅう)と読む。昭和30年代後期まではこの表記も使われていたようだ。
刻まれた文字全体のバランスはあまり良くない。最初に十八回国体のみを刻み、次の列では下の「委員協議会」の部分はプレートの中へ無理やり押し込めたようである。これは「皇太子同妃殿下」の部分を「十八回国体」の下へ配置するなど畏れ多いと考えたためのレイアウトと言えるだろう。

前述のように宮大路南児童公園の竣功は昭和27年なので、後から設置されたものである。プレートの存在は公園がある新川校区の郷土マップには掲載がない。他の書籍などにも見当たらず、昭和中期のものはまだ新しいと考えられているせいか特に注意して記録されていない。

私事ではあるが、この日は携帯電話の機種変更に来ていた。移行手続きに暫く時間がかかるということで自転車を店に置いて近場を散歩しつつ公園の写真を撮り直している過程で偶然見つかっている。[1]なお、国体に関する記念碑の例としては、同じく第十八回国体による記念樹のための石碑が中央運動公園に知られている。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2017/5/25の投稿(要ログイン)
《 宮大路について 》
以下の記述は暫定的なものであり、将来的に各項目を整理して該当カテゴリの記事へ移動される予定である。

宮大路(みやおおじ)とはこの公園と北側の青少年会館あたりを指す古い地名である。現在は町名としては用いられていないが、公園の名称や市道の路線名が知られる。また、青少年会館の出来る前には同じ区画に市民手作りによる県内随一の事例となる宮大路動物園の存在が著名である。昭和30年代末まで存在していた動物園であるため、現在でも50歳代より上の世代では実地に訪れたという市民は多い。ここで飼育されていた動物たちは常盤公園へ遷され、後の常盤公園の動物園の原型となった。

昭和12年制作の宇部市街図には宮大路という通り名や町名などの記載は何処にも見当たらない。ここに言う宮とは紛れもなく琴崎八幡宮を指し、したがって宮大路とは琴崎八幡宮というお宮へ至る大きな道、即ち後年の参宮通りを指す語であったと思われる。現在こそ松山町一丁目交差点はやや捻れた形での十字路という形態をとっているが、これは戦後の復興により道路整備を一から行った結果による。松山通りを挟んで南北に宮大路の名称をもつ公園が分かれているのはこのためである。元々は現在の松山町一丁目交差点付近は宇部劇場を中心とした三角形エリアを挟む道だった。

したがって宮大路とは固定した地名と言うよりは戦後の道路整備前から存在していた市街地より琴崎八幡宮へ参拝する道の出発点として慣用的に用いられていた地域名と思われる。後年町名として存在したかどうかはまだ調べていない。

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