白岩公園・法篋印塔

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記事作成日:2014/9/21

各物件の位置は全体マップから確認してください

白岩公園における法篋(ほうきょう)印塔 は、園内西側区域のピークに近い場所に設置されている塔である。


法篋印塔それ自体は珍しいものではなく全国に散在する。市内でも一部の寺社に存在している。白岩公園にあるものはその大きさと意匠の緻密さにおいて歴史的遺構の価値が極めて高い。
法篋印塔についての一般的項目は[1]を参照されたい。

正面からの撮影。
塔は広場より一段高い平場に設置され、側面は1m程度の石積みになっている。すぐ右側に隣接して子安弘法大師の遺構がある。
右端の樹木の根元に子安弘法大師の石碑が見えている


塔の正面下には手水石が設置されている。
この手水石は東区域にある藤山八十八箇所の第6番倒壊御堂にあるもの、西区域の祠跡に設置されているものと同等である。


塔の左側は2段に分かれた間知石平積みで、上の段は一部が谷積みとなっている。
石積みの間が空いている理由は不明だが、通路ではなさそうだ。
土砂を取り除けば石段が現れるかも知れない


塔の近接撮影。
高さは4〜5m程度、一番下の台座部分は一辺1.5m程度ある。


塔身の上の隅飾が大きく外へ張り出しているのが特徴的だ。
塔身と基礎の下部へ二重に蓮華座があしらわれており、一般的な宝篋印塔としては大変に手の込んだ部類とされる。


正面の基礎には法經塔と刻まれている。宝篋印塔と同義と思われる。
文字の接写画像はこちら


同じ面の塔身に刻まれている梵字。
種子(しゅじ)と呼ばれるもので、密教にまつわる御本尊を想起させる象徴とされている。[2]


正面より右回り、即ち西側の面を撮影している。
願主として笠井良介氏の名が刻まれている。
願主部分の接写画像はこちら


同面の塔身にある種子。


更に90度左回転し、広場に対して裏側の面になる。


聖妙三百三菩提という文字が見えている。
接写画像はこちら


この記事を書く過程で「聖妙三百三菩提」菩提で検索したところ、最も近い情報源として[3]を提示しておく。即ち一般によく「菩提」と称されるものので、すべての真理を正しく知る頂点の悟りとされるもののようである。

更に90度移動し東側の面。
設置年が記録されていた。表記は昭和十季立春となっている。
接写画像はこちら


同じ面の種子。


広場の裏側、北側の面の台座部分に小さな開口部がある。


開口部の左側に石工 徳山町 伊ヶ崎良一と小さく刻まれている。
名称部分の接写画像はこちら


この開口部および石工の記録は初回踏査時から分かっていた。
法篋印塔の存在意義が分からなかった初回踏査時からその精密な造りより名うての石工ではないかと想像されていた。その想像通り、法篋印塔のような高度な塔に携わった石工によるその他の作品は追跡に値する。[4]

塔の内部をフラッシュ撮影している。
何も格納されていない。加工した石を建てて下部をコンクリートで固めて基礎部としている。
転がっている煉瓦の前にみえる丸いものは…


[1]にも記述されているように法篋印塔という名称は、元々は宝篋印陀羅尼を格納したことによるとされている。

ここまで記述した通り、密教に関する深遠な遺構でありこの方面の知見をまったく持ち合わせない私如きが云々できる状況ではない。以上の記述も検索などで取得される情報をもとに素人が書き連ねているのみである。元々、密教とは「秘え」であり、単一記事で容易に提示できる種のものでないところに本質があるのだろう。

なお、相輪部分は隅飾に遮られていて詳細には観察できていない。況や塔に登るなど畏れ多いことで、視座を高く確保する手段が得られない限り撮影の予定もない。
塔に関して新たな情報があれば追記する。

《 個人的関わり 》
正確な所在位置について何の予備知識も持たないまま書籍[5]を元に白岩公園探索へ乗り出したとき、現地で現在地が間違いなく白岩公園であると確信を持つに至った最初の遺構であった。

白岩公園の初回踏査時に初めて法篋印塔に接したときの状況報告。
周囲の雑木がまったく刈り払われていない初期の状況を見ることができる。
白岩公園・初回踏査【5】

出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 法篋印塔

2.「Wikipedia - 種子(密教)
なお、塔身に刻まれた梵字から何を記したものか調べることができる。ただし分析は難解で、ここでは記載しない。

3.「阿耨多羅三藐三菩提とは」Weblio辞書

4. 牛岩神社に設置された鳥居に同石工の名前を見つけることができる。

5.「宇部ふるさと歴史散歩」p.130
白岩公園の正確な位置は記述されていなかったが、法篋印塔のモノクロ写真が同ページに掲載されていた。

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