白岩公園・初回踏査【5】

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(「白岩公園・初回踏査【4】」の続き)
藪の繁茂が酷い上に日がやや陰ってきたためにここから先は光量不足で不明瞭な写真が多い…特に藪の先を写したものではピントが自動調整されず見苦しい写真が目立つがご了承頂きたい
3連続の石段を登った先はかなり広く、その真っ正面に件の塔が聳え立っていた。
この景観に接して初めて私はここが探していた白岩公園であることを確信できた。


この場所の荒廃ぶりも相当なものだった。高さ1m程度の石積みで仕切られていたのだが、場所によってはその石積みさえ半分以上覆い隠すほどの木の葉が積もっていた。平成初期出版の書物でも藪に包まれた写真が掲載されていたのだから無理もないだろう。

改めて今まで辿ってきたのが白岩公園に向かう道だったことを思い返せば、道中は確かに酷く荒れていた。枝道のような経路は痕跡さえも淡くなっている場所が目立った。しかし幅広の道は踏み跡が充分分かる程度に遺っていたし、人か獣が通って柔らかな地面が掘り起こされたような跡も見えた。木の枝にテープを結びつけた場所も散見されたことから、何十年もの間まったく誰も訪れなかった…という程の場所でもないらしい。

塔に近づく。そしてカメラを構えるも藪の薄暗さと手前の木々がピント照準の障害になっているらしかった。
肉眼では確かに見えているのに写真ではぼんやりとしか表現されていない。


書物では法篋(ほうきょう)印塔と紹介されていた石の塔である。
高さは目視で3m以上。台座部分はともかく上部の構造が極めて特殊だ。


寺院仏閣関連は知見がまったくないので、そもそも法篋印塔が何を意図しているのか理解はできない。それでも私の如き門外漢でも感嘆するのは、その特殊な造りだった。
別々の石材を組み合わせているのかも知れないが、とりわけ最上段の四方に広がる羽根部分が独特だ。これと同じような塔は他の何処にも見たことがなかった。加工が容易でもない石材をあのような折り取れやすい形状に細工する労苦は容易に想像がつく。

周囲を藪に覆われているだけで、法篋印塔そのものはまったく無傷だった。ざっと見渡す限り石材に些かの欠けも見られず、稜線はきっちり整って傾きもなく凛と聳えていた。


側面に「法經塔」の文字が見える。例の書物では法篋印塔と紹介されていた。篋の字は画数が多く陰刻で表現するのが困難だったので簡略化された字を充てたのだろうか…
別の側面には願主の名が刻まれていた。


願主という文言がある以上、何かを願って設置された石塔と思われた。この辺りの詳細は映像と共に持ち帰って調べなければなるまい…[1]

塔の向かって左側は石積みが雛壇状態に設置されていた。特に手前側の石積みは布積みに笠石が載っており、装飾性を意識した造りになっている。しかし雛壇が何を意味し、何が存在していたかはまったく想像もつかない。


塔の真下には手水らしき石が据えられていた。
土砂混じりの木の葉が厚く堆積していて上の段との高低差が低くなっていた。ここから上がっていいだろうか…


法篋印塔の背面にも何かの文字が刻まれている筈なので、それを確かめたいと思った。そのためには雛壇部分に登る必要があった。

現役の寺社なら畏れ多い行為になるのだろうが、傍目には既に歴史的遺構である。ここへ訪れたからには映像に収めて持ち帰り、現状を伝えるという大義名分がついた。ただし過去に学校の遠足地となるなど多くの市民が集った場所とは言え、白岩公園は一個人の私有地とされている。入らせて頂いているに等しい状況なので、現況を改変するような事はしてはなるまいと思った。

手水の石の横から雛壇部分に登り、横から撮影している。
法篋印塔に隣接して正面右側に別の石碑があった。


細長い石に建設者の銘が刻まれていた。
このときは側面から眺めることしかしていなかった


法篋印塔の背面に回り込む。
昭和10年の設置を思わせる文言がある。もっとも「昭和十季立春」という表現になっている。


更に隣接して、こればかりは正体が理解し難い遺構があった。
2本足の鉄骨で建つコンクリート塊である。


これは元あった姿を失い壊れてしまったものと判断せざるを得ない。
上部がテーブル状になっていて、鉄骨で支えられる部分は不定形である。


法篋印塔との位置関係。


真後ろから法篋印塔をフラッシュあり・なしの2枚載せている。
実際の見え方はこの中間くらいと思っていい。


この写真を撮る前から基礎部分の下部に見える空隙が気になっていた。
そこを観察していて、たまたまその横に石工の名前が刻まれていることに気付いた。


裏側の目立たない場所につましく小さな文字で陰刻されていた。
完成品を納めるとき一体どんな心持ちで名前を遺したのだろうか…


この開口部にカメラのレンズを押し込みフラッシュ撮影してみた。
内部は空だった。
この空間が照らし出されたのは戦後初めてではないだろうか…


法篋印塔があるこの雛壇上には他に何も見あたらなかった。もっとも背面は既に原生林状態であり何かが眠っている可能性はあるだろうか…

雛壇の背面にはもう少し高い場所があり、そこは周囲に比べてかなり日が射し込んでいる。もしかするとこの奥に道があるようにも思われた。


この位置に見える道らしき存在に私は以前辿った白岩公園コースを重ね合わせていた。あの時は相当周囲に目を凝らして歩いたのに、法篋印塔を含めて一連の遺構らしきものはまったく視野に入らなかった。

白岩公園コースは面河内池に向かう分岐を過ぎてすぐに小さなピークを越える。その場所が前方に見えている小高い部分ではないかという想いがあった。もしかすると実はすぐ近くを通っていて、単に藪で隔てられて見えなかっただけでは…と思われたのである。
それで状況を確かめるためにかなりの困難を承知で、何某かの道へ到達できるものか藪を漕ぎ始めたのだが…
ダメだ…全く歯が立たない。


山頂付近が開けているように見えながら、実際はまるで道の痕跡さえも分からなかった。むしろ小さなピークは日当たりが良いだけに草木が無秩序に繁茂しており、足元の地面すら分からない。
この藪一漕ぎした先に白岩公園コースがありそうな予感を払拭できないまま、この方面への進攻は断念して[2]再び塔のところまで戻った。

(「白岩公園・初回踏査【6】」へ続く)

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1.法篋印塔についての詳細項目がWikipediaに存在する。
「Wikipedia - 法篋印塔」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E7%AF%8B%E5%8D%B0%E5%A1%94

2.藪が酷く進攻不可能なのは幸運なことであった。それと言うのも地図ではかなり明らかだが白岩公園コースはその方向ではなくむしろ90度右を通っているからである。無謀に突撃していたなら白岩公園コースと並行に辿ることとなる…いつまで藪を漕いでもコースに出会うことなく徒に山中を彷徨うことになっていただろう。

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