善和児童公園【1】

インデックスに戻る

現地踏査日:2012/3/10
記事公開日:2012/3/22
児童公園を物件として記事化するのは初めてである。
もっとも 現時点でうちのサイトでは公園カテゴリを設定していない。これは近隣地域にあるダムや溜め池を一物件として踏査し記事に仕立てる感じで公園をレポートすることは考えていないからだ。したがって児童公園が記事になるとすれば、よほどの特殊な要因がある。
その後公園カテゴリを作成し市内の公園の記事収録を開始するに至っている

どういう要因かは本記事の収録されているカテゴリからすぐ分かるので勿体ぶらずに公表すると、
廃児童公園である。
この公園は現在全く利用されておらず完全に廃の領域に入っている。いや、利用どころか恐らくその存在自体殆ど誰にも認識されていない。

この公園を中心にポイントした地図を示しておく。


航空映像に切り替えても中心点には草むらが映し出されるだけで目立ったものは何もない。約10年前の過去に遡れる航空映像も今と殆ど変わらない状態を提供している。それもその筈で、私の知る限りこの公園が廃の領域へ押し込められてから少なくとも30年以上が経過している。

地図で示される通り、この児童公園は善和交差点を過ぎて進行方向左手の山際に存在する。国道から100mも離れていないのでかつては道路からも見えていた。何十年も前から頻繁にこの国道を通っている注意深い方なら公園の存在を知っている読者があるかも知れない。

私は今や近隣住民ではないが、この公園の一部始終を知っている。より分かりやすく言えば、幼少期にお世話になった。詳細は後で詳しく述べるとして、そういう経緯があるが故に記事タイトルは「善和児童公園」としておいた。外観は誰が観ても廃物なのだが、廃児童公園という烙印を押して記事を書きネット界に送り出すことに逡巡を覚えるからだ。

公園が顧みられず荒れ放題になっていることは、自分自身大人になって遊びに行かなくなってから知ってはいた。人間誰しも成長し子どもとしての遊びを卒業すれば、児童公園には行かなくなる。したがって次第に荒れ行くことを感づいていても頓着することはなかったのである。

更に私は大人になり、今まで歩んできた自分の足跡や経験を振り返るようになった。その過程で失われるかも知れない過去や今を記録することに価値を感じ始めた。何もしなければ誰からも顧みられることなく土に還ってしまう前に、かつてそこに在り、想い出を紡いでくれた証を遺す必要性を感じたのである。こうして私が行動開始したのはつい最近のことだった。

現地へ赴くには2つの困難があった。

子どもの頃慣れ親しんでいながら、今は変わり果てた公園の現実を受け入れなければならない心の準備の他に、長期間顧みられなかったために自然へ還ろうとする力に引きずられて公園全体が容易に人を寄せ付けない環境に置かれていたからだ。
このたび一年を通じてもっとも藪の勢いが弱まる時の潮に助けを借り、当時現地にあったすべての遊具を確認することができた。

それでは現地へお連れしよう…

---

上の地図を元に誰でも現地へ赴こうと思うなら、善和交差点を過ぎて国道490号を北側へ100m程度進んだところにアメリカフーの並ぶ植樹帯があり、車を停めることができる。
実際営業サボりの車などがしばしばここに停まって休んでいる
最近できたので航空映像には反映されていないが、このすぐ山手に消防器具庫があり、国道よりも一段高くなっている。

消防帰庫を背にして一段高い平地を歩いている。
前方遠くに見えている青看の先に善和交差点がある。
これから先善和交差点近辺の風景は大きく塗り替えられるだろう


やがて草地から低い笹の群生に変わる部分へ差し掛かる。
かつてこの辺りに公園の入口があった…と言っても殆ど分からないだろう。


ここが公園の端になるのだが…
笹藪が物凄い。公園だった頃はむしろ最も草が生えていない場所で、真砂土というか粘土質の地面が剥き出しになっている広場だった。
現状は笹が背丈以上に伸びている上にぎっちり密に植わっていて進攻どころか視界すら利かない。


農作業の行き来に困るからか、畑の上段にあたるこの端だけ草刈りされていた。
公園があった時代ではむしろここは草むらだったのだが、取りあえずそこを進む。


刈られた土手に助けられて歩くと、公園の端にたどり着く。遊具は長方形をした広場の一番奥に設置されていた。
既に遊具の一部が見えかけているが、写真から探すのはちょっとしたパズルだろう。


笹藪の奥に錆びまくった遊具が見えている。
上の写真では右端上部に金具がちょっと写っている。


ズームすることによって漸く滑り台ではなかろうかと分かるレベルだ。
真っ茶色になった部材が経年変化を物語っている。


振り返って撮影。ここは遊園地の南の端になる。
木の背後に斜めの板が見えかけていることで、この遊具の正体が滑り台だという確証を得る。


国道や植樹帯との位置関係。
植樹帯から山手に伸びる道を進み、消防器具庫のところから歩いてきている。
アメリカフーの並ぶ植樹帯は国道拡幅工事にかかり撤去される模様


広葉樹をかわして滑り台に接近する。
廃物件を嗜む向きにはなかなか良い廃の色が出ていると思えるだろう。


登る梯子が一ヶ所に滑り降りる斜路が2ヶ所という構成だった。


笹藪をバサバサ漕いで更に接近する。
滑り降りる部分は一枚板ではなくパイプを並べて拵えてある。
見た目は塩ビ管のように見えるが鉄管のようだ


滑り台にここまで接近できたこと自体、既に大きな収穫だった。
以下の4枚は一昨年の年明けに撮影された写真である。


このときは畑の土手上の最小限幅しか草刈りされていなかった。


確認できたのは滑り台だけで、しかも外側からカメラを掲げての撮影だった。


滑り台の斜路がある側には全く接近できなかった。


どういう訳か、今回訪れたときには本来行き先のないその他の遊具の方まで草が刈られていた。
今まで何度か訪れたものの、いずれも公園の外側から滑り台と認識するのがやっとで、現在居る場所ですら到達不可能だった。
このお陰で今まで近づくことすら出来なかったその他の遊具を初めて確認できたのだ。

滑り台から少し離れたところに鉄棒がある。
鉄棒の存在も当初から分かってはいた。しかしここまで踏み込めたのは初めてだった。
草が刈られているのは鉄棒の少し手前までで、その先は完全に笹藪である。


衣服の上からでも刺さりまくって攻撃してくるイバラとは違い、笹は服を着ていればその中を歩いても大丈夫だ。しかし葉の外側が意外に鋭利になっていて肌を引っかかれると切り傷を作ってしまう。カメラを持った手が笹の葉の洗礼を受けないようなるべく高く挙げて進攻する。

鉄棒は構造が単純なせいか錆び以外は殆ど変形が見られなかった。


まだ基礎は確りしているようで、支柱なども押してもぐらつくことはなかった。
しかしさすがに鉄棒へぶら下がることは自重しておいた。


鉄棒は高さの異なるものが2連か3連の構成だったらしい。鉄棒ではあまり遊んだ記憶がないので詳しくは覚えていない。


そして鉄棒の横に遊具の代表格、ブランコがあったのだが…
既にブランコ上部の鉄柱を覆い隠すまでに周囲の木々が伸び、接近は酷く困難だ。


しかし私の中でブランコは3つの中で最も思い入れのある遊具だった。
いくら状況が酷かろうが、今が一番容易に接近できる時期だ。この機会に困難を押してでも自分の目で確かめ、手で触れ、そして記録を遺すために近くまで行こうと思った。

(「善和児童公園【2】」へ続く)

ホームに戻る