埴生口峠【1】

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現地踏査日:2011/11/16
記事公開日:2011/11/18
埴生口(はぶぐち)峠は県道260号宇賀山陽線にある峠の一つで、下関市菊川町と山陽小野田市埴生の市境付近に位置する。
県道自体はマイナーであり、Wikipediaにも利用価値が低いとの記述がある。しかし埴生と菊川を連絡する経路としては第一選択であり、この区間は交通量も結構多い。
「Wikipedia - 山口県道260号宇賀山陽線」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E9%81%93260%E5%8F%B7%E5%AE%87%E8%B3%80%E5%B1%B1%E9%99%BD%E7%B7%9A

国土地理院の地図で眺めてみよう。
十字カーソルでポイントされた付近が峠になる。


峠名が記載されているものの、一般の山口県人にとって知名度はそれほど高くない。峠の標高も精々90m程度である。もっとも本州の尻尾に位置する山口県であり、県西部は1,000mを越える山がないせいか、標高が100m以下でも明確な名前を持つ峠は意外に多い。

埴生口峠を通るのは今回が初めてではない。湯の原ダムを観に行ったときに通っているし、幼い頃親父の運転する車でも経験している。やや離れたところに中国縦貫自動車道が通っているのが見えるということ以外、当時から特筆する眺めもない峠だった。
後で言う”正体が気になる物件”に気付いたのもごく最近のことだった

11月17日のこと、私は久し振りに埴生方面で仕事する機会があった。この日は朝から好天で、仕事の始まる夕方までの時間、菊川にある歌野川ダムを観に行く計画をたてた。行きも帰りもこの峠を通過するので、時間があれば近くに車を停めて峠付近を撮影する積もりでいた。
往路では峠付近に車を留め置ける場所を見つけられず、そのまま通過した。復路ではせめて峠付近の映像だけでも持って帰ろうと思い、カメラを固定して以下の3枚を撮影した:

下関市吉田から走っている。西日をバックに白い切り通しのようになっている地点が峠である。車を運転していても縦断勾配がきついことが体感される。


そして市境標識が現れ…


最高地点を通過する。


下り坂に差し掛かった後、路肩がやや広くどうにか車を停められそうな場所を見つけた。
可能な限り車を車道外に寄せ、ハザードを出して車から離れた。


車から降りてまで写真撮影するのは、単に峠の写真を精密にコレクションするためだけではない。後で明かすように、この近くにとても気になる物件があり、正体を調べたかったからである。
その調査は最後に行うとして、まずは写真を撮りに峠の方へ歩いた。

車を停めた位置から下関側を撮影。
カメラは水平に構えているから、縦断勾配のきつさが分かるだろう。


最高地点付近まで田畑が広がっている。
どうやって水をあてていたのだろうか…


峠を前にして、歩道の位置が左右付け替わっている。
子どもたちの通学路なら、このような場所には押しボタン式信号が設置されるのが通例だ。しかしモータリゼーション隆盛期にあってお座なりに造りましたと言わんばかりの自歩道なせいか、端点を示す標示板しかない。
もっともこんな場所に押しボタン信号など造っても誰も利用しないだろう


最高地点からは東側に伸びる枝道がある。恐らく地区道だろう。


枝道は並走している中国縦貫道の下をボックスカルバートで潜っている。

かつては今よりも縦貫道の防護壁がここから見えていたと思うのだが、ツタ類の侵食が著しく今は高速道路の存在すら分かりにくい状況だ。

最高地点はこの付近だ。
名前の付いた峠でありながら、峠の名前や標高を示す標示板は存在しない。
昔からそうだった


最高地点を過ぎるとただちに同程度のきつい下り坂になる。
下り始めた途中に市境の標識が見えてくる。


下関市を示す市境標識。
市町村合併がある前から変更がないので、標識は当初からの古いままだ。


更に坂を下った先にようこそ下関への歓迎看板がある。
そこまで歩くのは大儀だから、ズーム撮影している。

正式名称は分からないが、このような歓迎看板は交通量の多い国道・県道の境界付近によく見かける。歓迎の文言と共にその地方の特産物やマスコットがあしらっていることが多く、ドライブする人々のランドマーク的役割を果たしている。
A市とB市の中間に立てられた看板なら、両方とも「A市へようこそ」「B市へようこそ」となるのだが、完全に一方の市側に建てられた看板なら「おいでませ」「またどうぞ」のようになっていたりする。観光アピールの熱の入れようが分かる象徴でもある。もっとも最近は新規にはあまり造られなくなった感がある。

ここで反対側へ移動し、引き返すことに。


こちら側は山陽小野田市の標識になる。
平成の市町村合併で山陽小野田市になったから、以前は下関の市境標識と同じサイズで”山陽町”とだけ書かれていたはずだ。
地方部の地名標示板もローマ字併記されるようになったのは平成に入ってからかも…


市境標識を過ぎてもまだ同じ登り坂が続く。即ち峠となる最高地点は完全に山陽小野田市側に属していることになる。


最高地点付近から埴生側を撮影。
埴生口峠という名前ながら、まだこの場所から埴生の街並みは見えない。
埴生口という集落名が下関市側にある…埴生へ向かう人々が休息する要地だったのかも


つづら折れありの標識が警戒を促すように、峠を越えてから縦断勾配がかなりきつい。しかも半径の小さなカーブが2つ連続している。


西日が眩しいので、歩道側へ移動した。
写真に入らないよう意図的に避けているだけであって、上下線とも車の通りはそれなりに多い。


さて…
もう一つの気になる物件について調査してみようか…


それは一体、何なのか?

ここまでの撮影でも私のカメラは常に”それ”を意識していた。
既にお気づきの方もあるだろう。しかしそれがどういう理由で”気になる物件”なのかは…
峠や道路関連のレポートからは些か逸脱するのだが…

(「埴生口峠【2】」に続く)

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