サヤノ峠【3】

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(「サヤノ峠【2】」の続き)

たまたま畑仕事に出てこられた地元の方にサヤノ峠の行き方を教授頂き、古道との確信を持って自転車を押し歩きしていたときのことだった。


自分の中で勝手に決めつけていた”忘れられた古道”の呼称を返上するもう一つの出来事があった。
前方からまた別の誰かが歩いて来た。
最初この道へ踏み込むときは生い茂る雑草に行き止まりの不安を感じさせられた状況だった。ましてサクラもツツジも観られない今の時期、この山道で誰かに出くわすことなど思いも染めなかった。
前方から歩いていらしたのは、見たところ60代前後の男性だった。

場所柄、山歩きのときと同様に挨拶し、私は自分の目的に触れ、この峠についてあれこれと尋ねることになった。

=== 再び若干の会話… ===

恐らくこの男性も地元の方で、この道が昔から阿知須と宇部市中心部との往来に使われていたという歴史を再確認することができた。しかし峠の名前についてご存じなかったらしく、サヤノ峠という名前は初めて聞いたと話された。
反対側から歩いていらした位だから聞くだけ野暮だったが、この先は問題なく進めるか尋ねてみた。

「このまま抜けられるよ。峠を越えた先は急な階段になっちょって、
自転車は押して歩くようになるけどね。」
それから来るときちょっと迷いかけたあの分岐で右に行く道についても尋ねてみた。
「あの先は…何処に出るんじゃったろうか。
確か途中で崩れちょったような気がする…」
道があること自体は知ってらっしゃるようだったが、古道は全く無関係で何処へ出るやらも不明なようだった。まあ…帰りに余裕があったら寄ってみよう。
「それでは道中、お気をつけて。」
「ありがとうございます。」
いやはや…
全く飛び入りで現地へやって来た自転車隊、地元のお二方から峠に関する有用な情報を頂けるとは…
ますます、何としてでも峠を究めて写真付きレポートを遺さねばなるまいという気になった。
充分遠くまで歩いて行かれたところで振り返って撮影している


大丈夫…必ず誰もが観られる形の記事にするからさ。

馬車くらいなら通れそうな規模の古道は、ほぼ真っ直ぐ坂を登っていた。やがて前方が明るくなってきた。
どうやら峠が近いようだ。


視界が開け、左側に空が見えるようになった。周囲は松の木が目立ち、何だか時代劇に出てきそうな風景だ。
それはいいとして、ちょっとこの景色は変ではないだろうか…


視界は開けたものの、そこは最高地点ではなくまだ坂道が続いていた。

峠を迎えるパターンとしては、坂を登り切り、前方に視界が開けて遠くの景色が見え始めてから一路下り坂に向かう…というのが典型例である。
だけどここはちょっと様子が変なのだ。

明らかに古道の左側が低い。
しかしそこへ向けて下っていく様子などなく、更に登り坂が続いていた。


眼下には、すぐ足元を走る県道山口阿知須宇部線、更にその向こうには国道190号が見えていた。


眺めは確かに良い。しかし…これって峠の越え方として状況がおかしい。
今、峠に向かっているんだよね?
登山道じゃないよね?
見下ろせる場所が他にいくらでもあるというのに、その低い場所を避けてわざわざ山の高い部分を目指して峠に向かっていることになる。
何故だ?

その答のヒントは、峠の少し手前から現れていた。

最高地点の少し手前には、およそ古道にはふさわしくないコンクリートの残骸が道の左端に転がっていた。
一体これは…


その正体は、割れたコンクリート片の転がる傍まで行って気が付いた。
一歩踏み出せば、そこは…
物凄い急斜面!!


写真は分かりづらいので補足すると、足元から一歩先は45度の角度で削り取られた急斜面になっていた。この斜面は目測で20m程度ある高低差を埋めるまで続き、斜面の一部は土砂が崩れないようにコンクリートで固められていた。
足元に転がっていた破片は、急斜面を保護するコンクリートの一部だったのだ。

斜面を下りきった先は真砂土剥き出しの平場になっていて、木々が疎らにしか生えていない広場になっていた。
何が起きたか、すぐに想像がついた。
ここは土取り場だったんだ…
古道と県道の間の山地が民間の所有地になっていて、良質の真砂土が産出していたようだ。山を切り崩し、県道レベル付近まで真砂土を採取し続けた結果、現在の地形に改変されてしまったらしい。

古道が山の中腹の高い場所を通っているようにみえる理由が分かった。
わざわざ高い場所を選んで古道を通したのではなく、
真砂土が採取されて山が削られた結果、
古道が崖っぷちの上部に取り残されてしまった。
そのため、現在サヤノ峠を訪れれば、古道は低い場所がありながらわざわざ高いところを選んで越えているように見える。昔はこうではなかったのだろう。このあたりの事情は、後から宅地造成して土地が削られたため、高い場所に取り残されてしまった市道西山線と事情が同じようだ。
お陰で今でこそ峠からの眺めは利くものの、古道に人が行き交う時代にはこれとは全く異なる景色だったはずだ。
詳しいことは次章で検証する

今度こそ、紛れもなく古道の最高地点に到達した。
これが現在のサヤノ峠の風景である。


最高地点にはコンクリートで造られた長方形の桝らしき遺構があり、その先には酷く錆び付いた鋳鉄蓋があった。


鋳鉄蓋は水道に関連するもので、阿知須側にいくつか並んでいた。古道の下に配管されているようだ。


上水道と陽刻された鋳鉄蓋。
もう一つある鋳鉄蓋の方は銘板部分が削り取られて全く分からなかった。


長方形の桝の素性が気になり、そこから下側の崖を覗いてみた。
コンクリートで保護された斜面に、それらしき鋳鉄管が飛び出ていた。恐らく土取り場に給水するための設備だろう。
元々は鋳鉄管の先に地山があったのだが、真砂土を採取しつつ地山をどんどん掘り下げた結果、空中に取り残されてしまったようだ。
この場所に土取り場の詰め所があったのは確実…これも後で検証する


サヤノ峠からの眺め。
峠を越えた前方ではなく、横に景色が広がっているというのが何とも奇妙だ。拡大対象画像です。
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先をズーム撮影してみる。
丘陵部には郊外デパート群が見えていた。平成の時代に入って造成された場所である。


峠から道中を振り返って撮影。
視界が開けてからは、ゆるやかな勾配で直線的に峠へ続いていた。確かに山道にしては幅が広く、よく整備されている。
左側に見える3本の立木は古道の時代にはなかったはず…拡大対象画像です。
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サヤノ峠を極めることができた。
しかし現地には古道の峠であったことを伝える石碑や看板などは全くなく、あらかじめ調べていなければ、名前のある峠とは分からないような場所だった。

木々の合間からパノラマ動画撮影をやってみた。
[再生時間: 21秒]


現地の自転車隊は、峠より眼下に広がる景色を眺めて昔に思いを馳せていたが、この眺めも昔からのものではなく平成時代以降に造られたものだろう。

これは航空映像で観たサヤノ峠である。

Yahoo!地図の航空映像モードは、宇部市内近辺撮影部にあっては現在より10年以上遅延していることが知られている。航空映像によれば、まだ現地では真砂土採取が行われていることが窺える。しかしこの時点で既に古道より県道側はバッサリ切り取られている。これが平成10年代初頭の状況なら、平成初期はまだ今のような崖はなかっただろう。

大きくえぐり取られた県道側に目を瞑れば、サヤノ峠自体は辛うじてその最高地点と上り下りの様子をそのまま遺していたのだった。拡大対象画像です。
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古道およびサヤノ峠を訪ねるレポートとしては、もしかするとここで幕引きにした方が幸せかも知れない。
それと言うのも確かに古道は峠を越えて阿知須側へ続いてはいたが、先に出会った方からも聞かされていた通り、この先はかなりがっかりするような状況になっていたからである。

いや、中途半端はよろしくない。
どういう状況になっているのか、何が起きたのか、自転車隊の想うところを最後まで報告せねばなるまいな…

(「サヤノ峠【4】」に続く)

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