サヤノ峠【2】

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直前に通った市道洲角サヤノ峠線を経て、私は市道の名称、過去に図書館で手にした書物から得た記述、そして地図を眺めて想定される情報だけを頼りにサヤノ峠と呼ばれる場所を訪れようとしていた。

私は市道岐波門前線へ移り、阿知須側に向かって自転車を進めた。私の手元にはサヤノ峠と推定される場所の候補をいくつか挙げたマップがあり、そのいずれもがこの方向だったからだ。
そして門前自治会館の横に古道を匂わせる古い石碑と道を見つけたのだが…


その道は行き止まりで、突き当たりの家の番犬に吠え立てられすごすごと退散することになった。
何しろ初めて訪れる場所であり、多少の試行錯誤は覚悟していた。

更に阿知須方面へ向かうと、正面に溜め池の見える場所に出てきた。市道は溜め池の外周に沿ってカーブしていおり、その奥に右へ入る道が見えかけていた。
カーブミラーの右にあるのは旧阿知須町営・日ノ山ポンプ場


ポンプ室の横から溜め池越しに撮影している。
この市道を外れて右に向かう未舗装路があり、階段で山腹に登っているようだ。 あそこだろうか…


分岐を少し進んだところに、また曰くありげな石碑が立っていた。


この場所を地図でポイントしてみた。
こうして地図で眺めればかなり明白なのだが現地ではメモ書きしか手元にない状況なのである

古い道路標かも…と思い、石碑に近づいてみた。しかし…

正直、詳しく調べようという気にならなかった。あまりに古くて表面が全く読み取れないし、無縁仏の墓石のようにも思われたからだ。
賽銭が置いてあるところからして、これは道路標ではなくお地蔵様かお墓の部類だろう。


未舗装路は、そこから少し山側へ進んだところで更に分岐していた。左側の道には階段らしきものが見え、右側の道は平坦なまま藪の中へ伸びている。さて、どっちが古道だろう…


左側の道。
初っ端から急な坂なせいか石の階段になっていた。案外、通る人があるようで単管パイプで拵えた即興の手摺りがあった。
古道と言うよりは何だかお宮の参道っぽい感じがする。


ここはお遍路さんの東岐波版だろうか…八十八箇所巡りのちょうど中間点、第44番となっていた。
札所を示す石碑の脇から池に沿って伸びる右の道は鬱蒼と生い茂る藪の奥へ続いていた。


このお札が掛かっている石材を横から撮影している。
単管バリケードの手すりが邪魔で撮影にかなり苦労した
明治32年などと陰刻されており、恐ろしく古い石碑だ。古道の存在を裏付けるに相応しい史跡だが、あいにく道路標ではないために古道に関する情報は与えてくれない。
反対側の面には「門前村若連中」となっていた


これが手元に準備していたマップだ。
岐波から山を越えて阿知須へ至る道で、現在車が通らない峠らしき道となればこの経路が最もその可能性が高い。
その入口は名前が分からない小さな溜め池と市道との分岐にあるから、今から進攻しようとしている先にあるのは間違いない。


手書きのメモによれば、この石段の道がサヤノ峠に至る古道ということになる。しかし現地を見た限り、多分右だろうと感じた。左に分岐する石段の道は単にお宮へ通じる参道で、いくら峠越えと言ってもいきなりこんな急坂で始まるとは思えなかったからだ。

しかし行商人が行き交っていた…という書物による情報を得ているだけで、古道がどんな道かの予備知識は皆無だった。「石段の道ではない」という確証が持てなかったことと、後で述べるような理由あって、まずは左側の石階段を進んでみることにした。
石段を自転車抱えて登るメリットがないので、施錠して留守番させて歩いた。

石段の途中から撮影。
かなり急な石段の一番奥に、お宮らしきものが見え始めた時点で”古道ではない”という確信が高まった。


それでも一応、奥のお宮まで行ってきた。古道が参道の一部を兼ねていて、途中から峠を目指しているケースが考えられるからだ。

見た目も新しい立派なお堂だ。
寺院関連は踏査の対象外なので詳細な写真は掲載しないが、御大師様御堂という呼称で、平成21年前半に建て替えられたもののようだ。
銅製の銘板が内部に取り付けられていた


それからお堂の横から背面から丹念に調べたのだが、どの方向にも踏み跡らしきものは全くみられなかった。


やはりこの石段は単純な参道で、古道とは直接の関連性はないようだった。
ある程度予想はしていたものの、否定的な回答と共に再び石段を下りるのは結構な重労働だった。


この時点でかなり言えそうなことは、
やはり、さっき進行するのを遠慮した右側が古道だろう…
という推測だった。
薄々そう感じてはいたものの、いきなりそこへ踏み込まず敬遠したのには理由があった。
この道って、本当に大丈夫なんだろうか…


いや、イノシシや熊が出るのが心配というワケではなくって…
見たところ古道と言うよりは、日ノ山に向かう登山道のような感じがする。踏み跡は明らかなものの明らかに幅が狭い。辿ってしまえば山中の何処かで消滅してしまいそうでちょっと信頼が持てなかった。

5月になれば草木が勢いを取り戻し、道は元より周囲の景色を覆い隠し始める。見通しが利きづらい山の中へ不用意に踏み込めば道に迷う心配がある。特に自転車を持ち込んで行動している以上、行き止まりや藪漕ぎは体力的にも厳しい。
冬場なら手当たり次第、何処でも山道へ乗り込むけど、今の時期は山で迷いたくない…気温も高いから体力消耗をなるべく避けたかった。
先の御堂巡りで石段の道を往復してそれなりに疲労を感じていたのもあった

下手に推測して歩き回るよりは、地元の人に尋ねた方がいいかも知れない。
そうは言うものの、昔のことをご存じな地元の古老に「渡りに船」とばかり簡単に出会えるはずもなく…

そこへまさに絵に描いたようなタイミングだったのだが、
まさに「渡ろうとしている」ところに「船」が…
石段の道を往復して疲れ、自転車の元で小休止していたとき、一人の老婦が近くの畑へ向かって歩いて来られたのだ。
先ほどお墓だろうかと眺めた石碑にすぐ隣接して畑があり、そこがご自身の畑らしかった。

日頃はシャイで話しかけることも躊躇する自転車隊なのだが(?)ここは思い切って地元の方の教えを請うことにした。
「すみませんが…」

=== ここで数分間の会話があった… ===


恐らく80歳は超えていらっしゃろうかという方だった。思いがけない場所でいきなり話しかけられ最初はかなり戸惑っていらしたようだが、昔の道を探していること、サヤノ峠という名の峠が近くにあると聞いて探しているのですが…等の話を出すと、途端に表情を緩めて語り始められた。
今まで幾度となく地元聞き取りを行ったけど地域に関心を持たれて話し渋る方はいない…どなたも得々として詳細を話して頂けている
最も知りたい核心部分の質問に対して肯定的な回答を頂けた。
「ああ、この道をずーっと進んだ先さ。
”昔はこの道しかなかった”ってうちの母が言いよった…
昔の人らーが通りよったそね。」
峠の名前についてもご存じで、呼び方もそのまま「サヤノ峠(とうげ)」と明確に答えられた。
県内では「峠」を「たお」と読む峠や地名が多い…しかし宇部市内や近辺ではそのまま「とうげ」と読むのが普通

”昔はこの道しかなかった”というのが、ご本人ではなく母からの伝承ということなので、今から100年以上昔のことのようだ。峠に至る道の通り抜けは今も可能で、その代わり阿知須側が最近住宅地になったために一部がなくなっているという話を聞いた。
この状況は地図上でも確認していた
ちなみに、サヤノ峠という名前の由来については分からないということだった。

自分自身で多分この先だろうと推測していても、やはり地元の方からハッキリ教えて頂ければ進行するにも勇気百倍である。お礼の言葉と共に改めて周囲を撮影した。その方は私との話が終わると、恐らく日常生活の一部になっているのだろうか…そのまま畑仕事を始められた。

市道からの入口の様子。
古道は結局、ここから真っ直ぐ雑木林の中へ進む方らしい。


鬱蒼としているものの、坂はそれほどなく自転車に乗って進めそうだ。
行ってみよう。

ところが…
数十メートルも行かないうちに、迷う分岐点へさしかかることに。

その分岐点に自転車を横向きに停めている。
右の分岐は平坦なまま、左の分岐は坂が始まっている。この分岐についてまでは予想外で、どっちへ行くのか伺っていなかった。


右の道。
野草が咲いていて、比較的光の射し込む道である。シングルトラックはまだ明瞭で、それなりに人が歩くようだ。


左の道。
竹藪のトンネルをくぐるような道でちょっと暗いが道幅はこちらの方が広い。


現在ならこの幅の道に軽トラを乗り入れるなど無謀だ。しかし古道ならこれは街道としても通用する規格だ。
右へ向かう道の行方が気にはなったが、ここは左の分岐に間違いないと思った。古道に相応しい程度の道幅があるし、明らかに山腹を目指す兆候が見られたからだ。
「右の分岐は何処へ?」って気になる方…いらっしゃらないでしょうね^^;

同じ場所から振り返っている。
元々は真っ直ぐな坂を伴うゆるやかな分岐になっていたらしく、池の奥へ向かう平坦な道から段差を乗り越える踏み跡がついていた。


大丈夫…行ってみよう。

古道は意外に広く、道の両脇はキッチリ草刈りされていた。幅が狭く雑草が生い茂っていたのは入口とはかなり印象が異なっている。
左端下の削られて出来た直線状の部分は昔からのものだろうか…


ともあれ、よかった…
道に迷うことなく峠を究められそうだということと、荒れていたのが入口だけだったということ。
実際、古道ながらよく整備された感じで藪漕ぎはもちろん、雑草の中を歩く心配も不要だった。勾配も穏やかでその気になれば自転車をローギアに切り替えて乗って進むこともできそうだった。
しかし先を急ぐ必要などなく、何よりもじっくり対話するよう進むに相応しい道に思えたので、自転車を降りて押し歩きした。

足元は自然の土と、軽くその上を覆う落ち葉のじゅうたん…何の飾り気もなく、普通の登山道を広くした感じだ。
周囲の眺めは利かなかったが、鬱陶しく垂れ下がるツタや木の枝も殆どなく、今の時期ながら快適に歩けた。もしかして”忘れられた古道”などと勝手に考えていたのは私くらいかも知れず、雑草に侵食されていない道の状況を思えば、丁寧に普請されている印象を受けた。

そして…
”忘れられた古道”の呼称を返上するもう一つの出来事があった。

またしても予想外の展開が…

(「サヤノ峠【3】」に続く)

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