栄ヶ迫池

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記事作成日:2013/2/22
最終編集日:2019/12/13
栄ヶ迫(えいがさこ)池は、上条にある3連続の堤からなる溜め池である。
写真は市道藤曲門前線から写した中堤。


下の地図は、中堤の堰堤部をポイントしている。中堤から用水を取り出す樋門もここにある。


地図では栄ヶ迫池と記載されているが、地元在住者からは専ら三段池と呼ばれる。書籍によっては三段堤とも表記され、それぞれの池を区別するときには上堤・中堤・下堤と呼ばれる。多段造りの溜め池は市内で他にもみられるが、近接した三段の溜め池としては市内最大でもっとも著名である。
《 歴史 》
旧藤山村の江内開作故地開作の灌漑用水不足を賄うために造られた人工の溜め池である。水不足による稲の不作による農民の困窮を受けて庄屋名和田与三右衛門と畔頭岡井市太夫が造ったとされ、完成は文化三年(1806年)である。[1]

谷地の一番低い場所を高く締め切るのではなく、上堤・中堤・下堤と呼ばれる高さの異なる3つの溜め池に分割している。大きな堰堤を築くことなく効率的に灌漑用水を貯められるよう工夫されている。後年、更に上流の門前にある馬の背池から水路により灌漑用水を導いていたようだが、この水路の築造時期などは未だ充分に調べられていない。。
《 特徴 》
3つの溜め池に共通する事項をここでまとめている。個別の溜め池の記述内容が増えたら分割する。

字北迫の壮大な沢地を異なる高さの堰堤で区切ってすべてを湛水領域としているため、流入河川は存在しない。貯留された用水はすべて下位の溜め池へ順次流される構造で、堰堤から別の場所に向かう灌漑用水路はない。
【 下堤 】
三段の池の一番下流側にあたる。
写真は市道寺山2号線からの撮影。


長方形の中央部で南北にやや引き延ばしたような歪な形をしている。これは深く切れ込む沢地のためである。堰堤の両側の地形は高くなっているため、物理的には更に高い堰堤を築くことで貯水量を増やせた筈である。大量の築堤材料と強固な堰堤を築く技術を要するため現在の高さに落ち着いたものと思われる。

堰堤の上に通路はない。市道側のガードレールが切られていて以前は樋門の栓を操作するための踏み跡があった。現在は後述する改修で樋門自体が撤去されたので草刈りがされなくなり、藪の繁茂が著しく安泰に歩ける状況にない。

下堤の堰堤は昭和中期に改修されており、堰堤の中央部に改修記念碑が据えられている。
写真は工事終了後の藪化が始まる前の撮影


旺盛な住宅地需要を受けて、市内に未だ遺る溜め池のすぐ下までが住宅地となっている。下堤は現役時代は相応な量の水を溜めていたため、豪雨時の安全対策として後年堰堤の高さが切り下げられている。
【 中堤 】
三段池の中核部であり、現在のところ最も多くの用水を貯留している。堰堤上を市道藤曲門前線が通っているため、三段堤のうちでは最もアクセスが良い。
堰堤部はかつて今よりずっと狭かったが、道を拡げると共に樋門をバルブ式に改修している。

釣りは特に禁止されておらず、市道も駐車禁止ではないため天気の良い休日には市道に車を停めて釣り糸を垂れる愛好家が多い。


昭和中期頃は学童の格好の水遊び場だったようで、水難事故も起きている。[2]現在では中堤に限らずすべての溜め池での遊泳が禁止されている。

かつて中堤の上を宇部興産(株)窒素工場向けの特別高圧線が通っていた。
この特別高圧線は2013年7月までに送電停止され、中国電力への売電に転換することによりすべて撤去されている。
2回線鉄塔の手前にある小さな1回線鉄塔


堰堤の両側より上流部方向に里道が伸びている。南側の道は未舗装路で了善河内墓地に、北側の道は舗装路で地元在住者の生活道路(行き止まり)となっている。
【 上堤 】
中堤に隠れて分かりづらいが、それより上流側に上堤が存在する。
写真は2013年接近時の撮影。


現在の三段堤の形になる以前は、この上堤に相当する溜め池だけだったと言われる。[1]したがって中堤・下堤よりも歴史は古い。

上堤に接近するには了善河内墓地から降りるか、市道藤曲門前線の未舗装路区間から鉄塔点検通路を歩く以外にない。小振りな溜め池のようであるが周辺は樹木の繁茂が酷く未だ上堤全体を撮影した画像が得られていない。馬の背池から用水を送って一旦上堤に溜めていたことが分かっているが、用水路の一部経路は判明しているだけで上堤への注ぎ口の場所は特定できていない。

地図では堰堤の北側端に余水吐が描かれているが、下堤よりも数年早く堰堤を切り下げる工事を行い、中央部からスパイラル管で水を排出するように変更されている。
下堤のすぐ近くまでが新興住宅地となっている。灌漑用水需要が増える見込みがないこと、溜め池に大量の用水を貯留すると大雨のとき万が一破堤すれば下流部の住宅に被害が及ぶことから、下堤の堰堤中央部を切り下げる改修工事が行われた。

改修工事前の余水吐付近。
中央にコンクリート製の斜樋が見えていて中央部の堰堤が高い。2010年撮影。


改修工事後の余水吐付近。
雑草が伸びて分かりづらくなっているが、堰堤の中央をV字型に切り下げ満水時の水位を低くしている。


下堤からの排水は、コンクリート製の斜樋があった先端部に正方形の桝を設けて天端より越流した余剰水が中へ流れ込み排出する方式に変更されている。
写真は工事後から日が浅く安泰に接近できていた2013年時の撮影。


樋門は下部を残して除却されている。このため下堤では溜め池の水をコントロールしながら流す機能はなくなった。

この総括記事を作成する現時点では下堤へ向かう経路入口にはロープが張られているものの立入禁止とはなっていない。ただし改修工事後は堰堤の草刈りがまったく行われなくなったため接近困難である。


入口付近からほいとの一種であるコセンダングサが繁茂している。怪我を負うことはないが不用意に進行すると衣服が大変に残念なことになってしまうだろう。
このため排出桝や改修記念碑の撮り直しができていない
1.「なつかしい藤山」(田中信久)p.17, p95

2.「FBページ|2016/5/27の投稿とコメント
《 個人的関わり 》
存在を認識したのは市内の地図を閲覧し始めた頃と思われる。幼少期から現在にかけてまで特段の個人的関わりはない。

初めて溜め池を訪れたのは2009年であった。
このときの撮影では市道から眺めたとき上堤にある排水管が見えていた。現在は周辺の草が伸びて見えない。


同時期に堰堤上を通る市道藤曲門前線の全線踏査を行っている。
《 地名としての栄ヶ迫について 》
溜め池にある栄ヶ迫(えいがさこ)という名称の由来はよく分かっていない。しかし公的には三段堤ではなく栄ヶ迫池と呼ばれている。
写真は藤山15区自治会案内図にみられる栄ヶ迫下堤の記載。


溜め池のある場所の小字名は北迫であり栄ヶ迫という字名は存在しない。溜め池の完成によって地元民が繁栄することを願って与えられた文化地名的呼称の可能性もある。現在のところ下堤の北側高台にある認定市道の路線名(市道栄ヶ迫線)に名称の使用が確認されている。

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