今では読み方を覚えたもののまだ古原田に「ふらんだ」の読みを記載した公的文書に出会えていない。市の管理する溜め池なら、当然管理部署には名前付きの溜め池全図がある筈だ。そこには期待した通りの読みが書かれているのだろうか…
上古原田池を訪れたのは、東岐波方面のメイン物件を撮影した帰りだった。場所を知らないまま訪れたら上池の方で、そこから坂を再び下って下池へ行く元気と時間がなかったので次回送りになっていた。
今回も時系列に沿って記述してみた。
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5月11日の午後、この日は妙に風が強かった。行きが向かい風なので、山口宇部道路経由でサッと宇部東I.C.まで自転車を走らせ[1]、平成初期に道路改良された市道古殿王子線を経て丸尾方面に向かっていた。
丸尾はよく知っている地名なものの、周辺地域の道路や細かな小字などは自分の中では開拓途上である。市道の路線名も確実には把握できていないので、この日訪れる予定の主要地をメモ書きした紙を持っていた。
溜め池に向かおうとしているのだから、下流側から攻めていけば何処かで流出する川を渡る。宇部東I.C.から市道へ移り、豪快な下り坂を転がり降りる途中で五反田川を渡った。写真は省略するが、多口田橋となっていた。
ここから五反田川に沿って遡行すれば下池まで行き着く筈だ。
なるほど…水路のような五反田川に沿って伸びる道を進んでいると、先の方に溜め池の堰堤が見えてきた。
しかし何故か道は川沿いに進まずあらぬ方向へ曲がっている。
この直角カーブ部分は地図ではこの場所になる。
水路沿いに進めば下池の堰堤の真下まで到達できることは目視でも確認できた。しかしあぜ道にしては狭いし途中には柵が立っているようにも見える。ここは大人しく道なりに進んだ。
堰堤が目の前に見えていながらこの道(市道多口田線)は屈曲して遠ざかるどころか、きつい坂道になった。低い沢地はすべて田畑に充てて居住区域は丘の高台に集中しているからである。なかなかに労力が要った。そして集落内を過ぎると今度は下池に向かって下り坂になった。稼いだ高度を吐き出されて何だか損したような気も…^^;
さて、下池が見えてきた。堰堤上は四輪も通れる幅の舗装路(市道横尾山線)となっている。
ガードレールはあるがネットフェンスは先の方の途中から始まっていた。
フェンスに邪魔されず岸辺を観察できる。
道路から離れている場所はコンクリート護岸ではなく自然の岸辺だった。綿帽子を被っているような棒状のものはガマの穂が弾けた後だろうか。
水面を撮影。水深は浅く夥しい水生植物が繁茂している。
自然の景観とは言ってもちょっとおどろおどろしい。
コンクリート護岸が始まる辺りからガードレールの外側にネットフェンスが並び始めた。
上池と同様に有刺鉄線が巡らされていて立入禁止になっている。
市道が堰堤に沿って軽くカーブする場所に余水吐があった。そのすぐ横、フェンスの内側に石碑が建っていた。
石碑は管理用のネットフェンス内側にあるので近くでは観られない。
しかし網目越しでも充分に撮影できた。
観るからに新しい。つい最近行った築堤改修の記念碑だった。
側面には平成5年3月31日の竣工年月日が彫られていた。このときに張りブロックや余水吐、フェンスを整備したのだろう。
(池に面している側は何も彫られていないようだ)
水位は上限一杯で、余水吐の縁から少しずつ流れ出ていた。
断面が扇形をした副ダムのような造りは昭和後期以降の溜め池でほぼ共通している。
(余水吐の袖部分のネットフェンスは不必要だったのでは…)
例によってフェンスの網目からカメラを差し出し5分割して撮影した。
地図通り全体的に整った三日月型をしていて、尾根部分には民家も数軒みられる。
上池の堰堤とその先にある中央病院の建物が僅かに見えていた。
樋門小屋はなく、代わりに堰堤の中央部に樋門操作用の鉄棒が見えていた。
樋門を動かす棒はそのまま現地に設置し、ハンドル部分のみ外して別の場所で管理している。
最近の溜め池にみられる方式で、なかなかインテリジェンスな考えである。
溜め池管理者にとって通常起こり得る最大の脅威は、勝手に樋門を操作され用水を流出させられてしまうことだ。灌漑用水需要期に溜め池が空っぽでは、農家は生活が脅かされる。樋門を操作できるハンドルが付属していれば、施錠していても断ち切って操作してしまえる。しかし鍵の役割を果たすハンドルが別の場所に管理されていればその心配はない。
そもそも樋門をただちに全開しなければならない緊急事態は殆ど起こり得ない。溜まり過ぎれば余水吐から自然流出するので、いずれ樋門小屋方式の溜め池は減っていくだろう。
(それよりも灌漑用水の利用者がなくなる方が先だろうか…)
三日月状の北側の端は湿地帯のようになっていた。
上池とは異なり下池のフェンスには綻び箇所はまったくなかった。
堰堤の反対側から撮影している。
張りブロックの隙間から草が生えまくっていた。
堰堤の横から下って多口田橋まで戻れそうな道があった。思うに余水吐の流出路を撮っていなかったが、また反対側まで引き返し、再び多口田の集落を通るために坂を登り直すのが大儀で、ここから下ってしまった。
充分に離れたところから堰堤を撮影している。
上池の堰堤よりはずっと低い。
五反田川に沿って下るあぜ道は…やはりあの場所が通れなくなっていた。申し訳ないが自転車を抱えて反対側へ移動し、護岸の上を押し歩きした。どうしても一旦古殿王子線の方へ出たかった。そこから近いところにもう一つどんなものか観ておきたい溜め池があったからだ。
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上池に続いて訪れてはみたもののそれほど特徴のある溜め池でもなかった。アジトからは遠いし個人的関わりもないので、続編が作成されることはまずないだろう。
出典および編集追記:
1. 宇部南I.C.〜宇部東I.C.は一般県道の扱いで自転車のような軽車両も通行可能となっている。
1. 宇部南I.C.〜宇部東I.C.は一般県道の扱いで自転車のような軽車両も通行可能となっている。