上古原田池

インデックスに戻る

現地撮影日:2014/5/6
記事作成日:2014/5/8
東岐波の丸尾あたりに、相当奇妙な形をした溜め池がある。
そのことは現地へ行く前からネットで地図をぐりぐりと動かしていた時期から知っていた。ざっと位置を説明するなら中央病院の国道190号を挟んで北西側である。

中域表示に設定した地図でその溜め池を表示させている。


地図で眺めてもその形状を何かに喩えるのが難しいほど奇妙だ。無理やり言えば荷物を背負ったラクダのシルエットみたいな形である。細長い沢地をいくつか取り込んだ溜め池というのがその形状の理由らしい。
溜め池の名称は国土地理院の地図には記載されていないが、かつて道路河川管理課で市道を調べるためにゼンリン© 地図を閲覧していて、上古原田池と記載されているのを見つけている。すぐ下流側にもう少し整った形の溜め池が下古原田池と記載されていた。名称が判明した時点で「宇部東部の溜め池」に記載している。(電子国土の廃止により上載せ情報が表示されなくなったので溜め池一覧は取り下げられています)

一連の溜め池は国道から離れているため車窓からは見えない。この方面に来たことと言えば、十数年前に仕事の絡みで訪れたような気もする。そう言われてみれば溜め池のようなものがあったかも知れないという程度の朧気な記憶だけだ。実質的に初めての訪問であり何度も訪れることはなさそうなので、久し振り時系列に沿った記述にしてみた。
辞典的な書き方の方が分かりやすいけどそればっかりじゃ面白くないよね

---

時刻は午後4時を少し回っていた。ここからアジトへ帰るなら車でも15分くらいかかる距離なので、日の短い秋や冬場なら当然帰宅を考える時刻である。しかし5月ともなれば日が長い。主要な物件の撮影を終えての帰路なものの、国道からそれほど離れていない場所の道草なら充分に可能だ。青空が広がり写真映えも良いコンディションなので、撮れるものは可能な限り撮っておきたい。

中央病院の近くに古原田池という奇妙な形の溜め池があることは予備知識にあった。国道をそれて何処から入るかは…十数年前に訪れたかも知れない道の記憶を頼る以外なかった。多分この辺りだろう…という勘を頼りに細い道へ自転車を乗り入れた。
認定市道でないことだけは分かっていた

確実にこの先にあると知ってはいなかったので、国道入口などでの撮影はしていない。
自転車を停めて初めて撮影したのは、大津出町内会による案内板に出会ったときだった。
看板の背後に僅かばかりモータース店の看板が見えている


作成されてかなり年数が経っているらしくペイントがかなり色褪せている。それでも上原田池・下原田池というキーワードが見えた。
この案内図がある現在地は国道をモータース店から入った先の三差路である。


案内図によれば、道なりに走るだけで上池の方に到達できるらしかった。看板は国道を背にして立っていたので、このまま右(西)の方へ進めば良い。
ああ、やっぱりこの道でいいんだな…
単純にそれだけ確認し再び自転車に跨った。このときは地図に重要な情報が書かれていたことに気付いていなかった。
見えてはいたが正しく認識していなかった…理由は後述

道は上池に向かって下っているので自転車に跨っているだけで距離を稼ぐことができた。
やがて上池の堰堤が見えてきた。


面白いことに堰堤上を通るのはあぜ道で、車が走るのは堰堤下になっている。
堰堤上に車が通れるほどの幅がなかったことと、住宅地は堰堤よりも低い場所にあるからだ。


草地のところで自転車を降りフェンスに近づいた。既に太陽がかなり傾きかけていて西日がまぶしい。

コンクリート平板ブロックで固められた護岸で、水位はかなり高かった。
フェンスには有刺鉄線が張られ柵の中へ入らないよう立て札が出ていた。


有刺鉄線が張られている位だから侵入阻止の本気度は高い。まあ…確かにそうだろう。護岸のブロックは人が歩けるようになっていないし、何よりも自転車を停める前に堰堤の高さを見ている。最大で堰堤の高さほどの水深がある筈で、規模からすれば小さなダムクラスだ。

よほどのっぴきならない理由でもあれば別として、柵内に入ってはいけないという看板が出ていながら中へ侵入するなんて行儀の悪いことはしない。フェンスの網目は充分に粗くカメラのレンズを押し込めば撮影できる。あるいはフェンスの上からカメラを構えられる。もっとも西日のきつさは如何ともし難かった。

ん?
誰か柵の中に入っているようだけど?

実はフェンスに近づいた時点で少し離れた護岸に人影が見えていた。まあ逆光で個人が特定できはしないからズームで写したけど、わざわざ中へ入るのは釣り目的の人以外有り得まい。

もし自分が地区の自治会長だったら危ないから出なさい位は責任上言わなければなるまい。しかし…私は部外者だし、まして21世紀は自己責任の時代だ。本人も危険を承服して釣りしている筈なのだから余計な干渉は無用である。その代わり足を滑らせて転落しても笑うだけで同情はしない。まあ溺れれば助けには行くが…自己責任とはそういう世界である。立入禁止ではなくても自分だって今まで自己責任で幾度となく危険な場所を訪れてきたわけだし…

ともあれ、この場所は逆光で望み通りの写真が撮れないので堰堤の反対側へ移動することにした。

サッと自転車を乗り付け堰堤の反対側へ移動している。今度は順光なので映りが良い。
長椅子が置かれている部分が余水吐の真上になる。


溜め池の堰堤だからこの場所は公地である。しかし上の写真を撮った場所は生活道の末端部で、その先は民家だった。カメラを構える挙動から溜め池の写真を撮りに来ていることは客観的に分かるにしても、民家が近すぎてあまり居心地が良くない場所だ。

余水吐のすぐ横はフェンスが切れていて網が張られていた。その網も破れてしまい役目を果たしていない。
なるほど…ここからフェンスの内側へ侵入したわけか。


それでは自分も…ではなく、カメラだけ網の外に差し出して撮影。
堰堤は直線ではなく僅かながら湾曲している。
ここから入ったとなるとあの余水吐の上を通らなければならない筈なんだが…


護岸は張りブロックだから恐らく昭和後期か平成初期の改修だろう。前もって入手していた昭和中期の小字絵図を見てもこの場所は溜め池となっていたので、張りブロック以前の盛土による堰堤の時期があった筈だ。これほど長い堰堤なら膨大な土量で、大工事だったのではないかと思う。

ワンショットでは全容が入りきらないので3分割して撮影した。


この次のワンショットは逆光がきつ過ぎて映像を結ばなかった。
入り江部分は水深が浅いせいか水草が沢山生えていた。

余水吐の反対側の走水路。
一応転落防止の柵が設置されている。もっともここを通るのは一番奥にある民家だけなので柵も簡素だ。


走水路はかなり深い。既に満水位状態らしくちろちろと水が流出していた。


進入路は民家の庭先で行き止まりなので、ここからは池の汀に沿って移動する術はない。まあ、どんな溜め池が大体が分かれば良しとしていたので深入りすることもないだろう。

中央病院が正面に来るアングルで撮影。
空が青く澄んでいると何を撮ってもそれなりの写真になるようだ。


帰りは下のアスファルト路ではなく堰堤上を通ることにした。
堰堤との高低差が大きく坂がきついからだ。まだここからアジトまで漕いで帰らなければならないのだから余力を蓄えておかねばならない。


堰堤部が湾曲しているせいでしばし歩くと余水吐が見えるようになった。
振り返って撮影しておいた。


堰堤上から下池が見えかけている。
下のアスファルト路を通って行けそうでもある。しかしちょっと遠い。


ズームで撮影。
堰堤はここから見て反対側にあるらしく白いガードレールが見えている。
空の灰色部分はカメラ内部のゴミ…ズーム撮影すると現れるようになってしまった


自転車で一漕ぎだから時間的には問題ないが、眼下に見えているということは行きは良くても帰りはまた坂を登って来なければならない。
それで欲張らず下池は次回送りにした。

堰堤上のあぜ道を歩きながら時折フェンスの網目より池を眺めた。
岸辺のラインを眺めているうちにある一つのイメージが脳裏で結び付いた。[1]


常盤池のミニチュア版だ♪
大きさはもちろん比べものには成らないが、入り江や半島部分の形状が常盤池を思わせる。特に常盤池北側にある金吹・高畑・土取という3つの入り江の形状とそっくりなのだ。
地図で見比べても3つの入り江を持つ点で共通しているのだから似た眺めになるのも自然だろう。
比較には石炭記念館から撮影した常盤池の入り江の写真を参照

上の写真を撮影後、押し歩きをやめて自転車に跨った。例の場所で少年が釣りをしていたので余計なプレッシャーを与えないためにも素早く通り過ぎた。そのまま来たときの道を引き返し、最後に再び大津出町内会の案内図を眺めた。次に下池を訪れるときどの道を通れば良いかの確認もあった。

このとき立ち止まって一瞥を加えていなければ、この溜め池に関する重要な情報について気付くのがもう少し遅れていただろう。

フランダってこの池の名前なん?


来るときにこの案内図を撮影している。のみならず「上古原田池」という表示を見てこの道で間違いないと確信した。それほど地図を注視していながらそのすぐ上に書かれていた「フランダ」は無関係な情報と映っていた。カタカナで表記されているし、古原田池は「ふるはらだいけ」以外のどうにも読みようがないと決めつけていたからである。池の畔にあるマンションの名前か何かだろう位に思っていたし、同じ案内図中にグランドと記載されていたのでグランドのことかと勝手に同一視していた。
聞いてないよ。
古原田池って「ふるはらだいけ」じゃなかったの?
今まで見てきた地図ではゼンリン© のように古原田池という名前を記載したものもあった。しかしどの地図にも読み方は記載されていない。もしかすると「ふらんだ」は地元特有の読み方で、一般には素直に「ふるはらだ」と読まれている可能性はある。市内の溜め池で他にもそのような事例があるからだ。[2]

古原田を「ふらんだ」って読むとすれば…「ふるはらだ」の「ふるは」って部分が訛って「ふら」、「はらだ」の部分が思い切り短く詰まって「んだ」ってなったのだろうか?
無理やり説明すればそんな塩梅になるにしても何だか日本古来の地名らしくなく、余計な妄想がわんさか湧いてきてしまった。
妄想1:
「フランダ」=「フランス」+「オランダ」
これは単純に「ふらんだ」という読みを耳にした人なら想像し得る妄想だろう。フランス風とオランダ風をミックスすれば如何にも発生しそうな造語である。もちろん古原田池はその両方ともにまったく関係はないのだが…

想像力逞しい私は、更に些か古き地名の古原田には失礼かも知れない妄想を産み出してしまっていた。
妄想2:
上池と下池を合わせて「フランダースの池」と命名する!
理由は簡単。古原田に上池と下池の複数あるから、ふらんだに複数形の s を加えてフランダース♪
こうしてフランダースの池と命名すれば、幼少期誰もがテレビで視て感動に涙したあの有名な作品に重ね合わせられるではないか…

実のところどうしてこの名前になったのかは一人で思案していても始まらない。一旦データを持ち帰り、うちのメンバーに尋ねてみよう…
再び国道まで戻り、なお数ヶ所途中で寄り道しながらもアジトへ帰った次第だ。

---

帰宅後、古原田池の写真を掲載しそれとなくメンバーに尋ねてみたところ古原田池をご存じの方がいらした。そして惑うことなく「ふらんだ」というキーワードを提示されたのであった。[3]

地図に振り仮名付きで記載されているのだから、フランダの読みは少なくとも大津出町内会においてはまったく自然に受け入れられている。そして恐らく東岐波区においても同様だろう。真にそうであるかはこの溜め池名を提示して返ってくる読み方の検証を要する。どうしてこのような読みになったのか、何の由来があるのかも明らかになるかも知れない。
この地名の由来について勝手に推測してみた。詳細は総括記事を参照。
派生記事: 古原田について
出典および編集追記:

1. 写真の中央下方の上空に見えている小さな物体は山口宇部空港を飛び立った飛行機である。いわゆるUFOではない…^^;

2. 中山にある面河内池は、最初地元住民に尋ねたとき面河内の読みを「おもぐち」と回答された。

3.「Facebook|5月6日投稿分」による。(ログイン必要)
なお、FBページで東岐波校区のホームページを参照した上で「”ふらんだ”は古原田池を呼ぶ方言」という指摘もあった。「ふるあんだ」とも呼ばれている模様。

ホームに戻る