上下抜地池

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記事作成日:2019/5/17
最終編集日:2019/5/18
上下抜地(じょうげぬけぢ[1])池は、厚南区の黒石にある溜め池である。
写真は堰堤からの撮影。


余水吐の位置を中心にポイントした位置図。


地図のように溜め池は長靴のような形をしている。奇妙に思える上下抜地池という名称は、溜め池のあった字名である上抜地・下抜地によるものか、かつて別々の溜め池があったものを統合したためと思われる。詳細は分からない。

前面道路の市道中野開作黒石目出線の歩道に面して出入口がある。
車が乗り入れないようにバリカーが設置されているが、立入禁止にはなっていない。


余水吐は溜め池の(上流に背を向けたときの)右岸側にある。
堰堤下は企業の作業所となっている。


溜め池までの作業道を進むと、正面に2基の石碑が見えてくる。


古い方の石碑には抜地溜池水路と刻まれ、昭和14年12月起工、同16年4月竣工となっている。
裏側の面には世話人の名称が列記されていた


抜地溜池と表記されていることから、かつて2つの溜め池があったとしても昭和14年の改修工事までには一つの溜め池になっていたことが窺える。
「並びに水路」と併記されていることから、この時期に灌漑用水路も改修したことが分かる。いずれも皇紀二千六百年記念事業とあるので、溜め池自体は当然ながらそれ以前から存在していたことになる。

新しい方の石碑は、平成17〜19年に行われた溜め池改修工事において据え付けられている。
この石碑には、現在の溜め池名である上下抜地池と刻まれている。
裏側の面に総工費や管理者が刻まれている


現在の溜め池は堰堤が高く、下側は練積ブロックで補強されている。池の内側には県仕様の平ブロックが貼られている。[1]によれば、老朽化からか改修要望が出ており市の溜め池ハザードマップにも危険溜め池として掲載されていた。[2]

余水吐を背にして堰堤を撮影。


地図で見ると溜め池は奥の方で曲がっているのだが、堰堤からは見えない。


樋門は先ほどの石碑の後ろ側にある。


余水吐の上を跨ぐ橋と樋門の後ろより先には里道があったかも知れないが十分には調べていない。

退出時に撮影。
市道を挟んだ反対側左にやや高い堰堤が見えているのは、この溜め池よりもずっと大きい平尾池である。


なお、溜め池とは無関係だが、この出入口の山側に地山が露出していて容易に観察できる部分がある。見たところ丸っこい礫石を含んだ地山で、堆積性を思わせる地質だった。
出典および編集追記:
1. NPO法人防災ネットワークうべの記事の「抜地」の読みと地名明細書に収録された表記に合わせている。

2.「宇部市|溜め池ハザードマップ」には31箇所の溜め池が記載されている。
旧来の総括記事。時系列的内容を含むので、総括的内容のみを本ファイルへ移動した上で時系列記事に降格した。
水位の低い時期に訪ねており、通常水位時では水没しているバルブが確認できる。
時系列記事: 上下抜地池【1】
なお、ファイル名は(他ファイルからのリンクの互換性維持のため)当初の誤っていたと思われる読みのままにしている。
《 個人的関わり 》
・初めて訪れたのは2013年9月である。市内の溜め池を撮影して回っていた時期で、溜め池の名称は防災マップで知っていた。時系列記事にあるように、この溜め池の撮影の後続けて平尾池を訪れている。

・2019年5月に写真の撮り直しで再訪した。水位が通常レベルに戻っていた以外特に変化はない。
《 地名としての抜地について 》
抜地(ぬけぢ)はこの溜め池のある地を代表する小字名である。小字絵図では上抜地下抜地の派生小字が記載されている。


地名明細書では東須恵村に属し、黒石小村の小字である平尾配下にある4つの小名のうちの一つに抜地(ぬけぢ)の表記と読みで収録されている。小字絵図の上抜地・下抜地は後年の分化であろうか。現地の溜め池堰堤にある古い方の石碑は抜地溜池と刻まれており、この時から一つの溜め池であったことが窺える。現在の溜め池名である上下抜地池は2つの字名を合わせたものだろう。

抜地という特異な名称の由来は恐らく記録されていない。「ぬき」の音をもつ地名では沖宇部村の常盤池付近にある切貫(きりぬき)を始めいくつかが知られる。切貫は明確に灌漑用水を通すための隧道をくり貫いたことに由来している。したがって抜地もそうであるように思われる。ただし抜の読みが「ぬけ」であることから、現代語の「抜ける」に由来するものも考えられる。例えば検知にあたって何かの事情で(意図的に)抜かされた地という理由付けである。

今のところ「ぬけ」の音および「抜」の漢字表記を含む字名は市内では他に知られていない。

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