靴を汚すことなく木の枝桟橋の助けを経て無事上陸を果たし、周辺の踏査や撮影を一通り終えた。
砂州を経てこの島へ上陸するには常盤池の水位に依存する。そして水位が何処まで下がるかは不確定要素が多い。雨が降らなければどんどん水位が低下するように思えて、必ずしもそう言い切れない。常盤池の水源の殆どが常盤用水路を経て供給される厚東川の水だからだ。
常盤池は自然の流入河川が少なく、造られた当時から用水確保に苦しめられてきた。そのため灌漑用水の安定供給と市東部にある工業用水の確保を目的として常盤用水路が造られ、現在も使われている。このため用水需要期は概ね水位が高く、秋口以降は低い。
(もっとも白鳥を飼育していた頃は水質悪化を避けるために水位は今よりも高めだったと思う)
しかし極度に水位が下がった場合は、常盤用水路を介して供給することが可能である。実際、不定期に給水されているようで雨が降らないのに水位が上昇していることがある。いつでもこの場所に来られる保証はない。
この場所に到達できた足跡を明確な形で遺すことができるなら…と感じる中で目に付いたのは、当然ながら島でもっとも目立つこの枯れ木の根だった。
踏査で気に入った場所に到達したときよくやることだが、一通りの写真を撮り終えた後、私はショルダーバッグを降ろしてしばしこの場所に身を置いていた。持参してきたペットボトルのお茶を飲み、次に足跡を遺す手段を考えた。
元からそういう考えをもって踏査に臨んでおり、バッグの中には赤色の油性マジックを持参していた。
最初考えたのは、この埋没林みたいな枯れ木の根にステートナンバーを記載する方法だった。別に天然記念物ではないし、そもそも存在すら認識されていない木の根である。一年の大半は常盤池の水に没しているはずで、実際着手しようかと思ってマジックを取り出していた。
しかし程なくして軌道修正した
いや…それは野蛮な行為だ。
もしこの埋没した木の根が江戸期の貴重なものだったとしら、自分のしていることは破壊行為だ。その可能性が低いにしても、今なら誰でもこの場所に到達できる。他の「同業者」がここを訪れたとき、木の根という自然物に赤いマジックで描かれた状態を見たら決して良い気はしないだろう。何よりも木の根ではなく真似をして現役構造物などに同じことをされては困る。ホームページでそんな方法を指南はできない。その存在が好ましくないなら、いつでも現状復帰できる方法で行うべきだと考えた。そこで荷物はそこへ置いたままで再び汀まで別の木の枝を取りに行った。
その枝に赤マジックでステートナンバーを書き込み、地面に突き刺した。
これなら一定期間はここに在り続けるが、問題があるならいつでも除去して現状復帰できる。そのことに異論はないだろう。
しかし到達サインである以上、少しの期間は遺っておいて欲しい。単に置かれているだけなら水位が上がれば浮き上がって移動してしまう。
それで水位上昇程度では抜けてしまわないようある程度深く差し込むことにした。
改めて木の枝を押し込んでいて、副次的に興味深いデータが得られた。
限りなく深く突き刺さっていく。
直径数センチの何処にでもある木の枝を折れないよう注意深く押し込んでいた。それはズブズブと何処までも深く刺さっていくようなのである。この深さを検証してみた。
今の状態は、私の体重で押し込んでこれ以上深く刺さらないという限界である。
島の地面に接している部分に手を当てて枝をそっと引き抜いてみた。
握りしめている部分から下側すべてが地中に押し込まれていた。目測でも40cm程度刺さっていたことになる。
普通の地面ではまずあり得ないことだ。ここに到達する汀や海の砂浜でさえもある程度締まっていてそんなに深く刺さるものではない。それが木の枝に体重をかけるだけでこれほど深くはまりこむとは…
私がこの場所で安泰に立っていられるのは、接地面積がそれなりにある靴を履いているからだ。もし靴が泥濘にはまるのを避けるために例えば竹馬でこの島に上陸を試みていたなら、この場所で竹馬が引き抜けなくなっていたかも知れない。
この場所は上に水を被るだけなので、永い年月を経て堆積したシルトも水圧以上には締め固められない。下の方になっているシルトは、何十年も昔に運ばれ堆積した砂で有り得るだろう。
こうしてステートナンバーを伴った木の枝が島に刺さった。
(旗とか…そんな目立つものは着けないよ^^;)
先端は周囲の地面より50cmくらい突出している。これは元からあった古い木の根と同等程度の高さだ。
島の突端から撮影。
簡単に倒れてしまわないよう最後に補強しておいた。
ローアングルで撮影。
木の枝の根入れは40cm程度なので、水位が上がる過程で波風にジャブジャブ洗われたら倒れるかも知れない。
陸繋島征服!!
はしたないので滅多にやらないのだが…影によるピースサインだ^^;(サムアップでは影を撮ってもよく分からなかったので…)
さて、帰ろうか。
砂州には3条の足跡…1往復半した自分の足跡だけだ。
枝桟橋を渡り終えて振り返って撮影。
木の枝が自然にこう並ぶ筈もないので、誰かが見たら足場を作ったことに気付くだろう。
なお、小枝桟橋は誰かが島に上陸するときのためにそのまま遺しておいた。
環境破壊と言われれば否定はできまいが、元から汀に打ち寄せられていた自然の枝だ。水位が上がれば浮き上がってまた岸辺に押し寄せられるだろう。
再び「本土」に戻るとき、汀部分の土砂が波に洗われて大きく抉れていることに気が付いた。
岸辺に立っていたときには気付かなかった。
この場所は今年の3月、水位が高すぎて木の根の一部が水上に見えるだけで為す術がないと知ったとき、島を眺めた場所だ。
あの時は深く考えず本土の先端まで立って島を観察していたのだが、今から思えばちょっとした危険が潜んでいたのを見落としていたことになる。
真下の映像だ。
もっとも深い場所で3mくらい本土側が抉れていたのだ。
この場所がよく分かるように動画撮影しておいた。
[再生時間: 15秒]
このようになっているのは常盤池のこの場所に限らないかも知れない。海ほど波がなさそうな溜め池でも、汀付近の岸辺はこんな具合になっている可能性がある。水位の高いとき、写真を撮ろうとして岸辺に接近するのは要注意だ。乗った場所の強度と撮影者の体重(?)によってはドサッと崩れてしまうだろう。
別の場所から岬に上がり、岸辺へ寄りすぎないよう注意して同じ場所から島を撮影した。
いつまでもこの姿を見せてくれるわけではないだけに名残惜しい。
ズーム撮影。
島に立てたステートナンバー付きの枝が見えている。
一連の成果を編集して記事にし、この世に送り出さなければならない…
その前に小さな試練があった。
彼は遠目にも昼寝(時間からすればもう夕寝w)しているようで、私の接近に気付いていない様子だった。
遠巻きに撮影する。
名前の分からない柴犬君は、こっちに背を向けて寝ていた。
目を覚まさせるとまた厄介なことになりそうなので、足音を立てずに迂回して自転車の元へ戻った。
古地図にもある陸繋島は、島と言うよりは確かに浅瀬だった。しかし島の最も高い地表部分は300年以上常盤池の水に洗われ、陸地には見られない奇妙な形状を呈していた。
この景観がただちに失われることはないと思われるが、例えば白鳥の飼育が再開されるなどして水質維持の観点から高水位を保つよう変更されるかも知れない。そうなればここまでの写真で提示した光景は当分の間、観られなくなるかも知れないだろう。
終