山陽本線・厚東川橋りょう【1】

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(「厚東川橋りょう」の続き)

ガード下をくぐって線路敷近くまで上がる踏み跡があった。
下り線側から撮影。山陽新幹線の田の小野橋りょうが見えている。


まずは一枚撮影。
撮影位置は順光にはなるがカーブの内側からなので線形が分かりづらいだろう。


ついでながら視座がまだ低く、橋の袂が盛大な藪になっているせいで橋りょうと川面を一緒に写し混むことができなかった。

ギリギリのところまで橋台の端まで寄る。
足元の台座には施工業者名と竣工年月が記録されていたらしい。削り取られた一部が遺っていた。


右岸側からの厚東川橋りょう。
川の流れまで入れたアングルはこれが限界だった。


下り線側の点検通路に「スキマ」のように読み取れるペイントが見える。
補修箇所をチェックしたときのものだろうか…


ある程度の長さを持つ鉄道の橋りょうでは、線路とは別に大抵このような点検用通路が備わっている。網目模様の鋼板が敷かれて手摺りも備わっているので歩行に危険はない。
しかしこれは保守作業用の通路であって一般人が通行できるようにはなっていない。厚東川橋りょうはその前後に道がないのでさすがに今では渡ろうという人も居ないのか、渡橋禁止の立て札などは出ていなかった。
小野田線の厚東川橋りょうには設置されている

ここを渡れば橋から厚東川を見下ろしたり左岸側からの橋の撮影も可能だが、当然ながら実行しなかった。
厚東川橋りょうはこの近辺で最大の鉄道橋ではあるが、実はこの日の踏査のメインではなく一部に過ぎなかったからだ。元は踏切や橋りょうに遺る昔の地名を探り出すのが主眼で、ここから厚東駅寄りにある橋りょうをまだ調べていなかったのである。
橋がいくつかあるらしいことは前もって航空映像で確認できていた。しかしそこへ車で到達できる道が分からないので、厚東川橋りょうを撮影するとき線路に沿って歩いて調べておこうと企てていた。

== 約20分が経過… ==

明専寺の裏手あたりまで歩き、そこまでに存在する橋りょう3箇所を撮影してきた。農道の上を通る部分は名称が判明した(落合橋りょう)が、廃道部分と小さな水路を跨ぐ2つのカルバートには名前がなかった。
これらの記事化は今のところ考えていない

再び厚東川橋りょうの右岸へ戻り、架線部分をズーム撮影。
橋りょう区間だけ架線の支持はコンクリート柱ではなく鉄骨造りになっていた。


橋を写すために踏み跡を上がってきたときからちょっと気になるものが見えていた。
上り車線側に放置されたプレハブ小屋だ。


橋の見張り小屋だろうか…しかし造りは建設会社のユニットハウスに似ていて割と最近のものらしい。


この辺りは上下線とも通過列車はもの凄くスピードを上げている。直接横断するなど危険極まりないので、一旦踏み跡を降りて橋の下をくぐった。

ガードの下をくぐるときから踏み跡の存在は確認していた。
下からハウスが見えるし、その手前にはごつい鉄塔が建っていた。


これも橋に関係する構造物だろうか。妙に頑丈な鉄骨である。
斜交いの入った鉄骨は、去年の夏に廃止された窒素線の鉄塔を想起させた。


プレハブ小屋の周囲は枯れ草だらけで最近まったく接近した様子がなかった。
枯れ草を漕げば容易に接近できるとはいえ、なるべくそうしたくはなかった。
ズボンに「ほいと」がくっつくと後で取り去るのがとっても面倒…最近やっと危険な枯れ草を覚えた


ユニットハウスが出回り始めたのは昭和末期か平成期に入ってからと思う。アルミ扉なのでそれほど古いものではない。しかしここへ置かれて相応な年数が経つらしく列車のフランジが削る鉄粉を浴びて薄茶色くなっていた。


どのみち扉は施錠されているだろうから窓から中を覗き込む。
窓そのものが薄汚れている上に西日が反射していて殆ど見えない。

ガラス窓にカメラのレンズを押し付け、左手で反射を遮って撮影してみた。
仮眠用ベッドのような台座が見える。本当に昔の「橋の守り」みたいな小屋だったのだろうか…壁に木の板が見えるのでユニットハウスではなく自前で製作したようだ。


反対側にも小窓があるのでそちらに移動すればもう少し頑張って撮影はできた。しかし周囲の藪が酷くズボンが被害に遭いそうなので、それ以上は追求しなかった。

上り線側から橋りょうを撮影。
やはりこちら側からの方が線形がよく現れている。


橋の右岸取り付け部に建築ブロックのようなものが遺っていた。一部は点検用通路にかかっている。
これが何であるかはちょっと想像がつかない。


上り線側にも作業用の通路が設置されていた。こちらは縞鋼板仕様だ。
電化前は通路の外側に建つ送電用の門型鉄骨柱と共に存在しなかった筈だ。


電化時代以前はローカル線の橋りょうと同じく枕木とレールのみ表に出ている状態だったのだろう。


厚東川橋りょうの区間を含めた前後は大きなカーブになっている。詳細な標示まで観ていないが、地図で判断しても半径およそ400m程度のカーブで進行方向を90度変えている。

厚東本由良間は駅間が開いており、間に焼野の峠越えがある。厚東駅を出た列車は長い登り坂を前に加速するし、厚東駅へ向かう列車は惰力でスピードを出している。半径が小さいカーブを高速で通過するせいか、厚東川橋りょう付近の走行時には床下でフランジがレール縁を擦る金属音が聞こえる。
キーキーとかなり耳障りなのだがそれがまた良いという人もいる

若干ズーム気味に撮影すると、レールの片勾配が観察できる。
実際には目で視るだけでもかなり傾いているのが分かる程度だ。


ここまでで撮影を終えて斜路を降りた。
車に戻るとき、藪をかき分けて何とか橋の横を撮影できないかと思った。橋脚に奇妙なペイントが見えかけていたからだ。

カメラを藪の中へ突っ込んで撮影。
本当にもう一歩も前へ進めない。落っこちてしまう。


白いペイントに黒の網目模様みたいなものが見える。
上の方には青・黄・赤の帯が塗られていた。恐らく厚東川の警戒水位をあらわすものだろう。


右岸側に関してはこれで橋に関するものは一通り撮影した。左岸側からや河川敷に降りての撮影は予定していない。もし別便で近くを訪れることがあって容易に実行できたなら続編を作成するだろう。
その場合の続編は【2】として一般公開記事とされる

しかし…
続編とは別に厚東川橋りょうに関しては些かプライベートな内容を含んでいながら遺しておきたい記録がある。殆ど写真を要さず私に伝承された情報のみで書けるので、既に記述は半分以上終えている。事実確認と詳細の追記、掲載についての承諾とその方法を考えているところである。
ここでは詳細は述べることができないが、私には直接関わりがなく若干名の登場人物による「厚東川橋りょうを舞台にした昔のある事件」だ。
登場人物の実名はもちろん記載しないが詳細に調べれば恐らく特定可能である。このため記事を掲載するにしても限定公開を予定している。最終的にどのように扱うかは本記事へ追記することで代えようと思う。[要追記]
出典および編集追記:

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