西河内第1踏切跡

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記事作成日:2023/12/9
最終編集日:2023/12/10
西河内(にしごうち)第1踏切は、JR宇部線にかつて存在していた第4種踏切で、草江3丁目と草江4丁目の間に存在していた。
写真はこの総括記事が作成された現時点での現地の状況。


踏切が存在していた位置を中央にポイントした Google マップ。


通路部分の両側にネットフェンスが設置されている。ただし里道としては未だ現存しているからか完全な形で塞がれてはいない。


とまれみよ等の踏切関連の掲示は、コンクリート基礎のみ残して除去されている。


この変化は2023年11月にたまたま近くまで来たとき踏切が無くなっていることで判明した。[1]したがって踏切が廃止された正確な時期は分からない。

踏切の北側は数年前より休耕田が宅地整備されて新興住宅地となった。子育て世帯が多いことが想像され、親が目を離したすきに踏切の方へ歩いて行ってしまうリスクもあることから踏切廃用の要望があったのかも知れない。

旧踏切の新興住宅地側は通路部分に砂利が敷かれ、通路の外側にフェンスが張られて踏切に向かう部分はフェンス門扉になっている。


しかしフェンス門扉は施錠されておらず通行可能である。それよりも細い側溝を隔てて踏切側にはフェンスがなく容易に通行可能である。


大人なら側溝を一跨ぎできてもよちよち歩きの幼児なら、この程度の溝でも先には進めないだろう。乳幼児の線路立ち入りを防ぐための安全対策かも知れない。言うまでもなく里道を塞ぐことは認められていないので、フェンス門扉を開けて通ることは可能である。そのことを見越してか、踏切関連設備はすべて除去されていながらフェンスの横をすり抜けて渡ることが可能だし、他の場所にはありがちな「危険」や「線路内に立ち入らないでください」の立て札がない。この措置は既に廃止された芝中第3踏切跡も同様である。

なお、この踏切の南側にあったレンガ造りの堆肥小屋のようなものは2023年11月時点でまだ遺っている。
《 踏切だった時期 》
第4種踏切だった時期の写真が採取されている。
写真は2020年3月の撮影。


第4種踏切には簡素な名称板のみで距離は記載されていない。
現役時代は西河内(にしごうち)第1踏切だったことが分かる。


列車の運転手に踏切名を知らせる表示板が架線柱に取り付けられていた。


初めてここを訪れたときの撮影。2013年11月のことであった。


第4種踏切は列車の接近に気付かないまま線路敷に立ち入ってしまう問題が起こりやすく、対処が以前から表明されていた。近年の傾向として、通行実態が殆どなかったり地元からの要望があった第4種踏切は撤去され、往来需要が相応にある場合は踏切の前後に手動のゲートを設置する変化が起きている。この総括記事の作成現時点では宇部線と小野田線にその変化がみられる。山陽本線ではまだ観察されていない。
《 地名としての西河内について 》
西河内とは、大字沖宇部に存在していた小字である。現在はこの周辺は住居表示エリアであり字名として遺っている場所は殆どない。
小字使用時代の字西河内およびその周辺の小字図を示す。[2]


地名明細書を参照すると、沖宇部村の草江小村に西河内(にしがわち)という独立した小字として存在していたことが分かる。


「河内」もしくはそれを含む地名は極めて多い。沢地を表す典型的な言葉であり、姓としても一般的である。そして河内さんという姓の読みは「こうちさん」であることが多い。カワ(kawa)の読みがコウ(kou)に転訛するのは他にも東岐波地区の越川(こえこう)のような例がある。

小字絵図には見られないが地名明細書には南河内という小字が存在し、配下にいくつかの小名を持っていた。それらが小字絵図にない代わりに別の小字がみられることから、明治期かそれ以降の何処かで他の小字に分化か統合されたのかも知れない。
出典および編集追記:

1. 以前よりどういう訳か地理院地図の画像出力機能が Microsoft Edge で動作しなくなっている。画面上部にある「共有・保存」のボタンを押してもまったく反応しない。Google Chrome では正しく動作する。

2.「FBページ|2023/11/9の投稿

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