徳佐川橋りょう

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記事作成日:2023/11/27
最終編集日:2023/11/28
徳佐川橋りょうは、JR山口線の徳佐〜船平山間に架かる極めて稀少な橋りょうである。
写真は線路と阿武川の間にある田園地帯からの撮影。


位置図を示す。


全国でも3箇所しか現存していないラティスガーダーとして知られる。ラティス(lattice)とは格子を意味し、そのまま橋の側面の格子状補強材から見てとれる。Google マップでもピンが打たれ多くの訪問者によってレビューが記載されている。

近接撮影。


側面をズーム撮影。
格子状に取り付けられた部材がリベット留めされている。


塗装履歴のプレートから橋の諸元が分かる。


橋を下流側から撮影。
川は阿武川の支流にあたる沖田川である。


したがって徳佐川橋りょうという名称は、建設当時は徳佐川と呼ばれていたか、あるいは鉄道構造物の橋りょう命名規則として「地域名+川+橋梁」という与え方があったからかも知れない。[1]

船平山駅方向を撮影。
手前の白いプレートは距離標で、50K400Mを表している。


「はいってはいけません」の古めかしい立て札があることから、この場所は里道が通っているかも知れない。


【 反対側からの撮影 】
ここまでの画像は、2023年11月25日に実施された山口線構造物ツアーの過程で撮影されたものである。初めての訪問は、鍋倉橋りょうなどと同じ2022年12月27日だった。他の写真でも分かるようにこの日は大雪で接近がかなり困難だった。更に防寒用の手袋をはめたままカメラを扱っていたためレンズが曇り、それを知らずに撮影して殆どの写真が使い物にならない品位になってしまっていた。

画質が劣るが初めて訪れたとき沖田川の上流側から撮影した画像がある。
以下の画像は良好な画像が採取され次第差し替える

山口市道の昭和橋上からの撮影。


船平山駅側の橋台にプレートが取り付けられている。


土木学会のプレート。
2012年に土木学会選奨土木遺産として指定されている。[2]


後述する理由で、このプレートへの近接撮影は極めて困難である。
【 客観資料による考察 】
津和野線線路図では、他の橋りょうと同様に徳佐川橋梁と記しているだけであり、構造については何も記載されていない。
画像は同上資料の接写画像


山口線において徳佐川橋りょうのみこの特殊な構造が採用されたかまだ調べていないが、[2]によれば大型鋼板の入手が困難だった時代背景に考案されたとある。他の橋りょうを順次架けていくときの資材の入手性にも一因があったのかも知れない。
《 現地へのアクセス 》
道路から眺めるだけであれば沖田川上流側を通っている昭和橋から観察できる。
以下に Google sv の該当ショットを載せる。


この画像では右側の橋台に先述の土木学会プレートがみられる。道路の交通量は少なく離合可能なので、短時間であれば車を停めて橋の上から眺められる。

ここからの接近は刈り払い機具がない限り不可能である。直線距離で10m程度だが、その間にはクズなどのツル系植物がマント群落となって蔓延っており、地面がまったく見えない。この状況での強行は踏み抜きを誘発しかねず危険過ぎる。接近するには非常な遠回りとなるが、橋を渡って大きく対岸へ回り込んで適宜車を停めて護岸を歩くこととなる。
出典および編集追記:

1. JR宇部線は神原踏切の東で塩田川を横切る。他の資料でも塩田川以外の呼称が知られていないにもかかわらず、この橋の名称が神原川橋りょうとなっていることが理由である。

2.「徳佐川橋梁|土木学会選奨土木遺産

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