市道清水川恩田線

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記事作成日:2025/6/22
最終編集日:2025/6/29
市道恩田清水川(おんだ・しみずがわ)線は、国道190号恩田交差点の若干西側から北へ進み、恩田河内神社前で清水川交差点に到達する認定市道である。
写真は道中に象徴的だった長いコンクリートレンガの塀。
取り壊され既に存在しない


現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。は起点、矢印は終点を表している。
経路のGeoJSONデータは こちら


名称からは清水川が起点となりそうだが、かつて閲覧した市道路課の路線図では恩田側が起点となっていたこと、恩田在住ということもあり清水川に下っていく通行が多かったことから、この総括記事でも以下は恩田側からたどる形で解説している。[1]
《 経路の概要 》
恩田交差点の西側角に接した建物の裏に起点がある。


病院の前を過ぎるとすぐに狭隘区間となる。
大きくカーブした内側は2m程度低い田となっている。


これより再び狭い直線路を経て市道恩田則貞線にでてくる。恩田則貞線側は接続点に隅切りがされておらず、四輪が通行しようとすると側面を擦るかも知れない。
注意喚起のロードペイントがされているだけで規制標識は出ていない

市道恩田則貞線接続部を反対側から撮影。
若干捻れたクランク状に接続されている。


何処が本線か分かりづらい経路を進むと、かつて長いセメントレンガ塀の続く古民家が左手に見えていた。現在は塀が一掃され新興住宅地となり景観がまるで変わっている。

新興住宅地の入口部分となる場所で市道恩田3号線が接続する。市道恩田線に繋がっており、新興住宅地の出入りはこの道がメインとなる。宅地整備に伴って恩田3号線も終点の接続点付近が舗装し直された。

近年宅地整備された住宅地を過ぎると、進行方向右側のブロック塀に沿って一個の間知石が置かれている。
終点側から撮影。


この道自体が字中野原と字影堀(かげぼり)の境であるが、石材は他の小字境界とは無縁な位置であり、恐らく官民境界として置かれていた名残りだろう。

境界石のある付近が本路線の最高地点で、これより緩やかな下り坂となる。
清水川交差点が見えてくる辺りから、左側に恩田河内神社が現れる。


恩田河内神社は恩田地区にある数少ない神社の一つであり、境内には長澤炭坑が寄進した石灯籠などがある。別項でも書いたように、恩田地区には神社や寺、道路に面した場所のお地蔵様が極めて少ない。特に庚申塚は一つも知られていない。各家に私設の祠が若干みられるのみである。これは恩田地区在住者の信仰心が薄かったからではなく、この地に住み着き始めてからの歴史が他地区よりも浅いことに依ると推測している。各戸の水源は井戸に依存できるが、田畑が広がり本格的に人々が移り住み始めるには、常盤池の築堤と東西の幹線用水路の整備を待たねばならないからである。

市道神原町草江線の清水川交差点少し手前で交わり終点となる。
終点側から撮影。


古道としては、清水川交差点の東側を掠めるように横切って梶返方面へ続いている。この路線は市道清水川梶返線となる。
《 成り立ち 》
恩田に人々が住み着き始めた最初期の道の一つである。この経路は恩田山を北へ下り、清水川の低湿地を経て梶返村に向かう重要な経路だったと考えられる。
画像は昭和初期制作のスタンフォード地図。


恩田の集落から北へ下り、途中で渡る小川が塩田川である。現在の神原町草江線はこの道が塩田川を横切る手前を通っている。

恩田を東西に横切っている道は当時の府県道小郡宇部線で、現在の市道恩田則貞線の経路である。実際には本路線はこれより南側の国道に繋がっているのだが、その経路は上記地図には見られない。当初は一続きの路線ではなく、狭い道を四輪が通れる程度に拡げた後で経路に編入されたのかも知れない。
《 Google ストリートビュー 》
全体的に狭い道のため、終点側からの一部しか収録されていない。
映像は終点側である。


終点側から辿ると、途中で地区道に入って市道恩田則貞線の南側に出て来る。
《 記事公開後の変化 》
沿線の古い個人宅の解体や新興住宅地の整備など、終点側の変化が著しい。その中から比較的大規模なものや経路に関する変化を記録している。

・2020年頃、国道190号側の起点と市道恩田則貞線との接続点に「この先とおり抜け困難」のロードペイントが施された。


この区間は特に狭く軽四でも通り抜けが非常に困難である。両側に塀が迫っている場所(市道恩田則貞線側)やS字カーブでガードレールがなく田に転落しかねない場所(起点側)がある。外部からわざわざ乗り付けて車で通行しようと試みるドライバーは無いだろうが、接続点に規制標識は出ていない。知らずに通って田に転落したり塀に擦ったなどの報告があって追加ペイントしたのかも知れない。

・2024年5月までに冒頭に掲載したセメントレンガ塀の土地建物が売却され、民家の取り壊しが始まった。


この時点でまだ塀が遺っていた。敷地はかなり広大であり、新興住宅地として整備されると予想し、周辺の景観や路地が変わると判断して継続観察対象とし定期的に訪れて現地の記録を開始した。

・5月中旬までにセメントレンガ塀がすべて撤去された。


・2025年1月頃に本路線と接続する市道恩田3号線の幅が拡がり側溝と舗装が整備された。
地区道を挟んで隣接する区画も整備され宅地分譲が始まっている。


・同年6月末までに分譲地の案内看板が設置され、フォレストリータウン恩田2丁目と命名された。


本路線を進めば清水川交差点に出られるが、接続点が交差点の停止線真正面で、信号待ちをしている場合に合流が難しいためかあまり見られない。市道恩田3号線を経て市道恩田線に出ているものと思われる。
《 個人的関わり 》
まったくの個人的な理由で通ったことが殆どない。神原方面に向かうにも当時の自宅の位置からして遠回りになるからである。恩田小学校からだとこの道は第一選択となり、この用途での通行がもっとも多い。

恐らく同小学校卒業生なら理解して頂けそうなのは、恩田小学校からの霜降山に向かう鍛錬遠足の経路である。当時の5・6年生の鍛錬遠足は霜降山で、学校からの経路として常に歩かれていた道だった。清水川交差点に出て梶返天満宮で小休憩し、琴崎八幡宮の前を通って男山畜肉センター横を通るルートだった。

初めて撮影用に自転車で通ったのが2012年頃であり、この時点で小学校時代にあった脳裏の記憶から景色が大きく変化していることに驚いた。当時はまったく迷う余地がない一本道だったのに、路線沿いに多くの民家が建ち並び、枝道も多くなっていてどれが元の道か分からなくなった程だった。経路途中にある傾きかけた長いセメントレンガ塀は本路線の象徴的存在だったが、2024年に民家ごと取り壊され更に景観が大きく変化した。
出典および編集追記:

1. 現在はネット上の「うべマップ」で閲覧可能で、認定市道の経路と名称が案内されるだけで起点・終点の記載がない。
《 清水川について 》
清水川(しみずがわ)は恩田町2・3丁目、東梶返2・3丁目にまたがって存在していた小字である。
写真は市道神原町草江線にある清水川バス停。


バス停名として現存しているため、小字として清水川が用いられることはないものの知名度は高い。公称ではないが神原町草江線と東新川恩田線の捻れた十字路は清水川交差点と呼ばれる。恩田地区在住者やバス利用者なら、清水川だけで何処にあるかは恐らく理解されるだろう。

地名に含まれる「清水」とは、清水川交差点より梶返方面に向かう道の途中で渡る塩田川の上流を指すかも知れない。梶返寄りの高台は清水崎と呼ばれ、清水川の北側にはそのまま北清水という小字があった。

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