市道宇部新川駅浜通り線・横話

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ここでは、市道宇部新川駅浜通り線の派生記事をまとめて収録している。
《 水害の鎮魂地蔵 》
現地撮影日:2016/5/14
記事作成日:2016/6/3
情報この記事に登場する物件は暫定的に与えられた呼称です。正式名称が判明次第、修正し本タグを除去します。

本路線の終点から50m程度手前、進行方向の左側に古めかしい祠が設置されている。


本路線の両側は民家や店舗などがみっちりと並ぶ中、ここだけは少しばかり自然の土が見えている。祠は起点から来たとき背中を向けているので、失礼ながら犬小屋かと見間違えて通り過ぎてしまうかも知れない。

この祠の場所をポイントした地図である。


反対側から撮影。
木製の祠は斜面に寄せるように設置されていて、車がぶつけないようにとの目印かセフティコーンが置かれていた。


この場所は相応に車は通るものの歩道を通る人はあまり見かけない。祠は幅広の歩道の外側に置かれているしすぐ近くには車も停まっているので、私有地ではないかと思われた。それ故に祠の存在には早くから気がついていながら接近するのが躊躇われていた。

今回初めてカメラを構えて接近してみた。
お地蔵様が祀られているらしいことは以前から分かっていたから私有地であっても近づくくらい別に問題はないだろう。


綺麗に片付いてはいるが、それほど頻繁に人が訪れている形跡は感じられない。
扉がないせいか往来の車が埃をたててそれを被っているようだ。


石仏である。
台座には四十一番と右書きされていた。制作時期などは分からない。


通し番号があることから、地区で設置した八十八箇所のようなものだろうと推測した。市内では中山観音にあるものや旧藤山村内に設置されている新四国八十八箇所がよく知られる。そして同様のものは(あまり目立たないだけで)市街部でも見かけられる。
現地ではここまでを撮影した後そのまま立ち去っていた。少し気になっていたから立ち寄って撮っただけであり、別にこの時点では記事化まで考えていなかったからである。ところがFB側のページでこの道路に関する別件のネタを投稿したところ、たまたまこの祠についてご存じな方から詳細を知ることができた。

この祠は、昭和17年の大洪水で被害に遭った人たちを弔うために造られたものだそうである。昭和17年8月27日における猛台風で厚東川の堤防が決壊し、河川に近い藤山村は壊滅的な被害を受けた。この近辺は低地であるが故に濁流が押し寄せ、かなりの遺体が流れ着いたという。また、本路線の海側は高くなっているが、この辺りがやや緩やかな斜面になっているのは、当時の濁流の勢いで削られたためとされる。[1]

本路線の一本海側に上町通りが存在する。起点の宇部新川駅近辺では双方の道がほぼ同レベルだが、上町通りがフラットであるのに対し本路線は終点に向かって緩やかな下り勾配となっている。このため上町通りのある南側との高低差が少しずつ開き、終点において最大となる。実際、終点で接続される市道浜通り線は上町通りを横切る場所でもっとも高くなり、そこから北へ向かってかなりの下り坂となっている。
海岸線が離れていてしかも上町通りの砂州を一つ隔てているので体感しづらいが、本路線の終点から近い浜通り踏切付近は干拓地ではないながら海水面が近い程度の標高しかない。現代は防災の技術や予報という手段があるだけで、海水面は昭和初期とそう大きく変わってはいない。この祠は現代においても海洋の潮や気象状況によっては、まったく過去の出来事だと片付けられないかも知れない教訓を提示してくれている。
出典および編集追記:

1.「FBページ|2016/5/31投稿」に対する読者コメントによる。(要ログイン)

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