市道丸尾大津出線・横話

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ここでは、市道丸尾大津出線の派生記事をまとめて収録している。
《 畑田の私設道標 》
現地撮影日:2015/4/29
記事作成日:2015/7/23
本路線から水路沿いの道を進んだところに古い私設と思われる道標が見つかっている。
写真は市道を外れた道を進んで東を向いて撮影している。


道標のある位置を地図で示す。


本路線は宇部線の丸尾第1踏切を渡って軽い折れ点に差し掛かる。その道を直進した先にある。

道標のある十字路から振り返って撮影。
この直線路を進むと本路線まで出る。水路はこの細い道を通っている。


灌漑用水路が通っているので恐らくこちら側が昔の道だろう。現在の本路線が通る部分は浅くえぐれているので水路は等高線をなぞるように迂回している。

小字絵図ではこの辺りは畑田となっている。北側には屋八田溜め池がある。
自転車を置いている道を進むと溜め池の近くに出て来る


さて、時系列では屋八田溜め池の方から自転車を押し歩きしてここへ出てきた。上の写真で溜め池へ降りる道のカーブを過ぎるとき石像がいくつか格納された祠があった。もっともそれほど興味を呼ぶものではなく撮影せずに素通りしてきた。時間と自分の疲労度を勘案してそろそろ帰らねば…という頃合いだったのである。
しかし自分の通ってきた足取りを見直せるよう記録することと、近くの家に興味深いものを見つけた[1]ために、分かる場所まで出てきたここで自転車を停めて周囲を撮影していた。この過程で十字路に石碑らしきものがあることに気づいたのだった。

最初、何だか変わった形の石だなーと思って見ていた。
そしてよく見ると何か文字らしきものが刻まれていることに気づいた。


自然石かある程度切り欠いたのだろうか…四角柱に近い形をした平面部分に名前のような文字が刻まれている。


さて…これをどう読むだろうか…


縦書きで2列あるうちの右側は設置者の名前のように思える。左側の方は…「心出シ」のように読めるがそれで正しいかどうか分からないし意味も読み取れない。

その隣りの面にも文字が刻まれていた。しかもその方はある程度推測ができる内容だった。


一番上に「西」の文字。
その下にはやはり2列で右側は「トコナ(ミ)」、左側は「新川ミチ」だろう。


この面を調べることで石碑は古い道標として設置されたことが推察された。そして最初にみた面に人の名前らしきものがあったことから、この道標は個人の厚意により設置されたものと思われた。
その他の面には何も刻まれておらず、この道標の設置時期は分からなかった。ただし今まで見てきた道標の状態や文字の刻まれ方から推測すると、昭和初期以前であることはほぼ確実と思われる。

西岐波・東岐波に関する手元の郷土マップを参照したがこの石碑については記載されていなかった。
出典および編集追記:

* この記事は OneDrive にアップロードされた画像を参照して作成されている。記事公開日が OneDrive のリンク不備問題 を起こした後なのに正常閲覧できるのは、不具合を起こす前に画像のみ先行アップロードしリンクも作成済みだったからである。

1. 自転車を置いている横の家(3枚目のショット)に汲み取り依頼を示す黄色い旗が出ていた。いずれ文化セクションで昔の便所について記述するとき必要と思って撮影していた。
自転車の左側に竿の部分が僅かながら写っている…ここには掲載しないがアップの写真も撮った

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