市道川津線・横話

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現地踏査日:2014/3/12
記事公開日:2014/3/15
この記事は市道川津線に関する派生的話題を収録している。
《 川添ポンプ場 》
市道川津線に沿って進むと、真締川を渡る前に工業用水管のような配管の目立つ建屋に出会う。


あるいは市道真締川西通り2号線からだとこのようなパイプが護岸に突き出ているのを観ることができる。


地図で位置を示す。


真締川に排出用の配管が出ていることから推察されるように、川添地区の排水ポンプ場である。平成期に入って主に川添地区の水害を回避する目的で造られた。

この近辺では真締川の河床は両岸の田とあまり変わらない。昔から川の流量が増えるたびに上流から土砂が運ばれるため、両護岸を高めに造らなければならなかった。そのためかつては集中豪雨があるたびに川添地区は床下浸水の危機に脅かされていた。実際、床上まで浸かるほどの被害もあったと思う。
平成期に治水を主な目的とした真締川ダムが造られてからは流水量の急変動が幾分抑えられ、併せてこのポンプ場で低地の排水機能が強化されたことで以前ほどの被害はなくなった。

川津橋の左岸側にポンプ場の入口がある。
一般人には無縁な設備なので有刺鉄線付きフェンス門扉が設置され立入禁止になっている。


雨水の強制排除に使われるポンプ。
汲み上げた雨水は2本の鋼管によって真締川へ導かれる。


鋼管は市道の浅い場所を横切って真締川に開口部を出していた。


真締川が増水しても排水口が塞がれることのない高さに設置されている。
管の先端がラッパのように拡がっている形状が面白い。


川津橋を撮影したとき下から写した排出口。
満ち潮と雨天時が重なったときなどにここから排水されている。もちろん私自身は作動時を見たことがない。


この付近は真締川の支流の一つである時雨川と落ち合う地点である。現在の時雨川は護岸で固められていて、その内側に一段低い排水路があった。
ポンプ場まで続いているようだ。


排水路のところでガードレールの隙間があったので、そこから水路沿いに入ってみた。

護岸の天端を歩けるようになっていた。通路のようになっているものの関係者用のものらしく門扉は施錠されている。


いや…中に侵入してやろうなどとは思っていない。周囲がフェンスなので、網目に邪魔されないショットが撮れればと思っただけだ。

排出口には堰板を差し込むための固定部分が造られていた。しかし堰板自体は周囲には見当たらない。
これは何のためのものか想像がつかない。ここまで逆流するほど水位が上昇したとき、堰板で仕切ってポンプ場が水浸しにならないよう防ぐためだろうか。


頻繁に水が入れ替わる場所でもないので、水路には泥が溜まっている。身を乗り出して落下でもしたらかなり悲惨なことになるので、程ほどに身を乗り出して撮影を試みた。
開口部にはスクリーンが設置されている…ということはここからポンプ場へ取り込んで先の鋼管から強制排出するのだろう。


自転車の元へ戻った後、そこまで苦労しなくとも市道川津線より真正面から観た映像を撮影できた。


あまり綺麗とも言えない場所だが、普段は存在を自己主張せず、大雨など特殊な条件においてのみ活躍する地味だが重要な設備なのであった。

《 川津橋 》
本路線が終点手前で真締川を渡る。その橋は川津橋という名である。
写真は下流側から撮影している。


一つ下流にある御手洗橋と同様、この橋も親柱など橋の素性を伝えるものに欠けている。
目に着かない袖壁の外側にプレートが設置されているだけだ。


架橋年月は2001年10月となっていた。
ほんの十数年前に架けられたばかりだ。


橋の中央から上流側を撮影。
川津橋から上流は市道真締川西通り2号線と共に直線的に伸びている。


下流側を撮影。
この先に堅い岩盤があったらしく真締川は大きく右に屈曲している。左側から時雨川が合流している。


排水ポンプ場の鋼管を下から撮影したときに川津橋も撮影しておいた。


市道川津線の終点側からの撮影。
欄干部分は白いガードレールのみのまったく機能一辺倒な橋であった。


平成期に入って今の橋が架かっているので、それ以前はどんな橋だったのだろうか。
昭和49年度の国土画像情報を閲覧すると、狭いながら既にコンクリート橋らしきものが架かっているのが見える。[1]以前の橋より幅を拡げただけで橋の形状としては期待していたほど大きな変化はなかったのかも知れない。

上流の橋 上流側に架かる橋に移動 下流側に架かる橋に移動 下流の橋
石田橋御手洗橋

《 川津について 》
川津(かわづ)は大字中宇部に存在する小字で、真締川の左岸側の一角になる。真締川の右岸側は沖田で、北側は川添に接し、南方では腰本および時雨川という小字に隣接する。

川津という地名の由来はおよそ想像がつく通り、川であり津(海)でもある場所によるものだろう。現在では潮が遡行するのは西の宮付近と思われるが、かつては琴崎付近まで小舟が遡行していたという記録がある。今より川幅があり砂も堆積する以前は相応な水深があったのだろう。
川添3丁目に編入されているものの今なお川津という地名は健在である。橋や市道名は元より、石碑などにもその名が現れる。今まで調べた限りでは市内に同名の小字は存在しない。
出典および編集追記:

1. 川津橋付近の航空映像

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