市道藤曲門前線・横話【5】

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《 道ではないと判断された経路 》
現地踏査日:2014/1/11
記事公開日:2014/2/8
本路線が市道崩金山線へ出てくる場所とそこまでの経路は判明したものの、そこから先は何処を通るのか暫くの間確証が持てなかった。
一番最初に考えたのは、市道崩金山線へ出てきた場所から10m程度山側へ登ったところから電波塔の横を通る山道だった。そして本路線をトレースした初期もそこから撮影を再開している。

その後、手元のメモによれば本路線が市道崩金山線との重用区間を持たないことから、実は真っ直ぐ横切るのが正しい経路ではないかと考え直した。その考えの元で市道崩金山線へ出てきた場所から直進する経路を検証してきた。

真っ直ぐ横切るとしたら、本路線の続きはここから藪の中へ入ることになる。
踏み跡はまったく見当たらなかった。しかしそれだけでは否定材料にならないのは今までの観察から明らかだった。


再び強引に藪の中へ突入した。
入った地点の藪は段差がついており、どちらが道の痕跡なのか分からない。


下へ降りる方を選択している。上の部分はすぐ左側へ見えていた。
即ち段々畑の下の段を通っているような感じである。


道の痕跡だと言われれば否定はできない。一定の幅を持つ平面的な地面が先の方まで続いている。
しかし畑ではないかという疑念があったし、実際そっちの方が強かった。


畑か道か分からないこの領域は無秩序に低木が育ち、進攻するには何度もそれらを跨がなければならなかった。そして先へ進むにつれて日照が得られるからか、足元の雑草が生い茂り始めた。道と言うよりは畑だったのではという判断に傾いていった。肯定も否定もできない状況で進まざるを得なかった。

実際、上の撮影場所で引き返したのではなく更に数十メートル先まで藪を漕いで歩いていた。最後に酷いイバラの野に出くわしたのでそこで進攻を諦め引き返した。

これは道ではない、畑の一部だという判断を下した決定的要素は、この先に見えた中電の「3連鉄塔」との位置関係にあった。


手元のメモ書きによれば、本路線を進むと3連鉄塔を右に見なければならない。しかるにこのまま経路を大きく変化させることなく進んでも鉄塔を右に見るようにはならない。ずっと左側へ見えているのだった。

引き返すとき念のために一段上の畑地部分も歩いてみた。
それでもなお携帯会社の電波塔が山側に見えているから、高度を変えず歩いたとしても3連鉄塔が見える位置は変わらないだろう。


そうなれば上の段の畑地も道ではない。正確な本路線の経路はもっと山側に存在すべきだということになる。

市道崩金山線へ出てくる直前の本路線部分である。
若干山側へ向いて撮影した位置に電波塔が見える。


現在ではこのとき入り込んだ場所は昔の畑地で、道路ではなかったと結論付けている。
かつてはここで若干進路を山側へ振り、下からの市道崩金山線と標高差がなくなる位置まで曲がっていたのだろう。頻繁に通行されていた古道同士の交点に1mもの段差が遺っている筈がない。即ちやはり当初のトレース通りが正しく、電波塔の前を通って中国電力の索道を兼ねていることがほぼ確定している。

《 経路未確定区間の検証 》
ここまでの走破レポートでは先々の経路を明らかにしていなかった。言うまでもなく市道路河川管理課で経路メモは採取しているから、地図上でのルートは判明している。「ここまで判った」と「この部分が未解決」を明らかにするために、勿体ぶらずそのデータを明らかにしておこう。

下図は、特に分かりづらい桃山配水池付近の変則分岐から終点までを含めた地図への書き込みである。赤のラインが本路線だ。


参考情報として市道崩金山線の経路を桃色で示している。その他更に細い茶色のラインなどは実際に現地を辿ろうとして経路を逸脱したと思われる部分だ。いずれも詳細な経路は地図でも描きようがないので、適当に直線で引っ張っている。

視覚的に分かると思うがA地点は中山浄水場の押し上げ埋設管と重用する場所、B地点はアスファルト舗装路を外れて山の中へ入っていく開始地点、P地点がピラカンサ分岐だ。
前編ではピラカンサ分岐で地元住民からこの道で良いとの情報を頂き、畑の端を通って途中は藪漕ぎ状態ながら市道崩金山線との交点となるC地点へ到達することができた。畑を通った部分は市道経路を迂回しているので、この10m程度は厳密には正確にトレースしていない。
ところがC地点から先は更に深刻だ。この部分で本路線がどのように横切っているか分かっていない。真の十字路になっているのか、それともある程度の重用区間を持っているのか…感じとしては若干重用しているように思える。ここから市道崩金山線を進み、携帯の電波塔がある場所で道が分岐しているからだ。

この分岐は早くから分かっていた…初めて市道崩金山線のトレースを敢行した4年前、元地元在住民の話を聞いた後、立ち去って行かれた方の道だ。あのときは中電の索道だという説明を受けたし、最初はその道を進んでまったく予期しない方へ向かっているように思えて引き返した経緯があった。
もしかするとその経路も索道ではなく本路線なのではないか…という感じがした。

先々の方の結論から言えば、D地点から先は完全に把握できている。D〜E間は後の聞き取り情報でも現れるように「大八車も通せた道」であったし、E地点を過ぎてからは民家が現れアスファルト舗装路が復活する。F地点はこの記事をかく現時点で店舗向けの造成工事が進められている横の県道接続部だ。

時系列ではこの後、D地点への到達を試みているが、残念ながら到達できず完全に道を喪った。その後、市道の向かっていると思われる方へ山道を歩き回った挙げ句D〜E地点の途中へ出てきた。E〜Fは同じ日にトレース完遂し、そのまま引き返す折に正規と思われる経路を辿ることでD地点も確定した。しかしC〜D区間は何処を通っているのか、道がどういう状況かはまったく分かっていない。昭和40年代後半の航空映像では明瞭に見えているものの現地はまったく道の跡がなく、完全に喪われているものと思われる。

別の日に撮影してきた東桃山区の住居案内図である。


「東桃山」の赤字で”山”の字の上に描かれた細い黒線が市道藤曲門前線で、南北に交わる破線が市道崩金山線である。


この地図では交点は十字形ではなく若干捻れているように見える。これが若干の重用区間を含むことを意図しているのであれば、4年前に出会った元現地在住民が去っていった中電の索道に一致するかも知れない。

D地点付近の地図。
班の区域を示すピンク色の太いラインの北側を通る線が本路線の経路だ。
そのまま東へ伸びているアスファルト舗装路とは十字路の形ではなく若干北側へずれた場所で接続されているように見える。


去年の秋頃から国土地理院地図の拡大モードがワンランク上がり、地域によっては古い山道レベルの道も表示できるようになった。
下図は市道崩金山線交点付近から古道の主要部分の地図に重ね書きした地図である。


送電鉄塔が3基建ち並ぶ場所で先の道を喪った。そこで適当に枝道を見つけて中山の方へ降りる道を進み、再び古道と思われる道にぶつかった。
その道も国土地理院の最大拡大モード地図で記載されていた。C'地点からD'地点までの道であろう。確かに途中には小さな溜め池の堰堤を横切る場所があったからだ。

この接続場所も今まで2度訪れたがまったく寄り付きならない酷い藪である上に、すぐ近くまで民家が建っている。その民家にどうしようもなくしつこく吠えまくる番犬が居て調査どころではなくなっているのが現状だ。

2015年の2月末に桃山配水池を訪れて展望台見学を行い、このとき鍵を管理なさっている地元在住民からの聞き取りで、以前は自治会長さんが開立地区を通って中山観音に出るまでの道をきちんと整備して参拝道にしたいという意向を持っていらしたそうだ。常々そのことを言われていたまま実現することなくお亡くなりになり、通行需要もないために道普請されることもなく藪へ返ってしまっているのが現状のようである。[2]

《 県道琴芝際波線への地区道 》
現地踏査日:2013/11/30
記事公開日:2014/1/27
既に今までの記事で明らかにしたように、本路線のC〜D区間は半分くらいが廃道状態であり未だ経路に沿ってD地点に到達できていない。
ただしD地点が何処になるかの特定は早くからできていた。初回トレース時では道に迷った挙げ句に本路線と思われる中途地点に到達し、引き返し時に正規と思われる道を逆から辿ることでD地点に到達できた。

未だ通ったことはないものの県道からD地点までは車でも通れそうな道がついている。その分岐点はこの場所だ。


これは地元管理の道で、ここから西へ向かって登る道を進み、地図上で道の表示が切れている場所が目的地だ。その場所で市道藤曲門前線は一瞬、この地区道に接して左へ直角に折れる線形となっている。




猛烈な坂だ。















出典および編集追記:

1.「FB|2015/3/5のタイムライン」を参照。(要ログイン)

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