市道崩金山線・横話【1】

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ここでは市道崩金山線の派生的な記事をまとめて収録する。

《 村境の石柱? 》
現地踏査日:2013/11/16
記事公開日:2013/12/28
起点から50m程度本路線を進んだ右側の空き地に未知の石碑が遺っている。
写真は起点側から撮影している。


市道からやや離れた農道の途中に立っているように思える。


幟を立てるときに使われる石柱と同じ形で全体的にやや太い。


側面には正方形の穴があいていた。
文字などは何も刻まれていなかった。


この石碑は起点からではなく、終点側から辿ったこの最近になって見つけた。
最初に撮った一枚はこれである。


石柱に穴が空いているのは祭りのときなどに幟を固定するためのものだろう。この種の石碑は村境によく見られる。村境で考えられそうなのは、かつての宇部村と藤山村の境だ。

このすぐ近くに藤山八十八ヶ所の巡礼地の一つである第77番が存在する。藤山八十八ヶ所はかつての藤山村にのみ設置されたと考えられているので、この石碑より北側が藤山村とするなら一応辻褄は合う。
他方、村境は峠のような最高地点に設けられるのが普通である。石碑の位置は峠よりも南に下った場所であり、村境とするには不自然な気もする。

《 藤山八十八ヶ所・第77番 》
現地踏査日:2013/11/23
記事公開日:2013/12/29
本路線の起点から80m程度進んだ道の左側に藤山八十八ヶ所の第77番の祠が存在する。
概ね以下の場所になる。


本路線が車も入らないきつい坂の始まる場所にある。
ここから左へ曲がった側は民家の敷地だ。


この祠の存在は初回踏査のときから気付いていた。しかし当時は白岩公園との関連性を(と言うか白岩公園の存在自体さえも)まったく知らず、寺院・仏閣関連の設置物は物件の対象外という方針に従って顧みられずにいた。

祠のサイズは通常のものより小さい。
雨風を凌げるように木製の扉が付属している。


藤山八十八箇所の御堂や祠の多くが私有地の中に置かれており、設置されたものも多くが私有物だ。この御堂も市道から外れた場所にあり、木製の扉は閉じられていた。勝手に開いて写真を撮って良いものだろうかとちょっと躊躇われた。

民家の庭の中で奥の方に在ったり門を開けて入って行かなければならない設置場所なら、黙って入り込むのはちょっと問題があるだろう。ただ、藤山八十八箇所は元々が不特定多数の方によって参拝される対象である。庭の中にあるなら、御堂や祠を管理する人も誰かが拝みに来ることを想定しているものである。お家の方が庭先に出ていらして声を掛けられるならベストだが、まさか写真を撮りたいがために玄関の呼び鈴を押すのも気が引けるものである。どのように振る舞うかはケースバイケースと言えるかも知れない。
私なら犬が吠えていたら「帰れ!」コールと解釈し無条件で撤収する…^^;

扉を開いたところ。
扉自体は木製でガラス入りである。風で開閉しないようにキッチリと閉まるようになっていた。


内部は簡素だが新しい花が供えてあってローソクも最近据えた形跡がある。お大師様は帽子と服を召していた。
近くに看る方がいらっしゃるのは間違いない。


台座の下には七十七番の文字。


薬師如来の台座部分。
サイコロ形の石に番号とお寺の名が刻まれているのは共通する仕様のようだ。


屋根部分の造り。
祠の内部も滑らかだったのでレンガ積みではなく全体がコンクリート造りである。


77番のこの祠は藤山から中山観音へ向かう古道よりも南側の低い位置にあり、藤山村に属していたものかやや疑問が残る。詳しいことは藤山村時代の地図を検証する作業が必要だ。

《 祠の痕跡かも知れないもの 》
これは現地の探索的要素を含むので、横話記事というよりは時系列の続きと言えるかも知れない。ある一つの可能性を除外すれば、今のところ他の記事リストから参照される予定はない。

市道を終点側から辿り、民家がなくなって竹藪へ突入した後、分岐路の奥にコンクリートブロックのような囲いを見つけた。


普通ならこんなものにいちいち頓着しない。伐採した木々などを処分する目的で誰かが設置した焼却炉か何かだろう…で片付ける。そうとも言えなかったのは、終点から辿る今回のトレースでは、道中で見落としていた藤山八十八箇所を拾い上げることもタスクに入っていたからだ。そして現に初回トレースでは見落としていた祠や御堂を4つも見つけている。

それはまったく人気のない場所にぽつんと取り残されていた。民家など痕跡もなかったが、かつては存在していたと説明されるなら納得のいくような敷地でもあった。

ブロックは市道側に背を向けていた。
その中がどうなっているか分からないまま接近するというのも気持ちのいいものではない。


枝道としてはこの場所で終わっているようであり、家があったとすれば敷地らしき平場はいくつも繋がっているように思われた。また、意外に周囲は投棄ゴミが目立った。周辺が私有地で土地の所有者が処分品を搬入していたのだろうか。

何だか気持ち悪い。変なものを目撃してしまわなければいいのだが…


コの字型5段に積まれた建築ブロックの内側は…何もなさそうだった。
周囲から降りしきる笹の葉が大量に詰まっていた。周囲にはガラス瓶などの近代ゴミもみられる。


このコンクリート囲いの存在意義が分からない。ゴミ棄て場にしては変だ。焼却炉なら建築ブロックの内側に煤が多少なりともこびりついているものである。しかし建築ブロックの内側は新品同様に綺麗だった。
燃やすことを前提にしないゴミステーションだろうか…それならわざわざこんな奥まった場所ではなく、市道に面した場所に造るものである。

正体を明かしそうなものが見当たらずただひたすら薄気味悪いだけである。徹底的に追求したくなる程のモチベーションをかき立てられない。「これはかつて個人が設置した物置の跡だ」で片付けようか…とも思いかけた。

笹の葉が積もった下に何か台座のようなものが見える。
その上には古びたゴム長靴が載っていた。


座布団のような形をしたコンクリートの台座にあるものがダブった。
弘法大師を据えていた台座では…
藤山八十八箇所の御堂の跡だったのでは…という仮説に結びつけたくなっていた。屋根がないのが如何にも不自然だが、全体の大きさは確かに祠や御堂に近かった。
しかしこれがもし台座の跡だとすると…いや、台座ならもうちょっと厚みがあると思う。正確にどの程度の台座なのかは積もっている葉などを払いのけないと分からない。

それで台座らしきものの正体だけでも把握しようと、その上に載っている朽ちた竹を取り除こうとした。
実はそこにトラップが隠されていた。
うわっ…sweat


竹を取り除いた途端、台座の上に載っていた古い長靴が支えを失って倒れた。自然と上向きに置かれていた長靴には中にたっぷり雨水を蓄えていて、こともあろうに私の靴の上へ垂れ掛かって「洪水被害」を受けた。

冷たい…と言うか、気持ち悪い。
いつから長靴の中に蓄えられていたか知れない溜まり水である。汚いったらありゃしない。


本当はもうそれだけでほぼ完全に探索モチベーションを削がれ、さっさと退散したかったのだが、ここまで着手したからには…台座の上を全部払いのけた。

で、肝心の台座の方は…
結局正体が分からなかった。やはり四角い座布団のようなコンクリートというだけだった。少なくとも弘法大師の下に据えられているあの台座とは全然違う。


まだこれから難関の峠越えが控えているというのに靴下びっしゃ…もしかすると如何にも私が興味ありげに調べに来ることを見越して「長靴トラップ」を台座の上に仕掛けておいたとか…^^;

現時点ではこれが藤山八十八箇所の元御堂の一つかも知れないという仮説は根拠の薄い推測に過ぎないと考えている。かつては今ほど荒れた道ではなく人の往来も相応にあったようだから、昭和後期あたりに誰かが造った何かだという程度のことだろう。

進攻ついでにこの先を少し偵察した。殆ど何も得るものはなく、壊れかけた農機具小屋や棄てられた機材など実に壮大なゴミ捨て場のようになっていた。もしかすると私有地かも知れない。

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