写真は起点付近。
現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。●は起点、矢印は終点を表している。
(経路のGeoJSONデータは こちら
)
本路線は千林尼の石畳道へ至る道であり、旧楠町境までの一部の峠越え道は一致している。[1]
《 経路の概要 》
犀川に沿って北上し、棚井下集会所前を通過して川を横切る。ここで市道野田線を横切る。この道はかつて山陽小野田市有帆に抜ける道であったが、現在は道が殆ど自然消滅しており何処にも抜けられない。
(2018年11月に調査済み…記事化の予定はない)
これより登り勾配が少しずつきつくなる。
坂の途中で千林尼石畳道を含む分岐点に出会う。
道なりでは直進で、これとは別に左側へ登り勾配がきつい分岐がある。市道の経路となる千林尼石畳道に通じる本路線の経路はそのどちらでもなく、左側分岐の更に左にある未舗装路である。したがってこれより本路線は未舗装路となる。
千林尼の石畳道を含む本路線の区間については、別途記事を作成する予定。
《 Googleストリートビュー 》
起点から千林尼石畳道の入口までは採取されている。下図は起点の映像。
これより先は上流部にある集落への地区道と、溜め池に向かう管理道が採取されている。
《 個人的関わり 》
千林尼の石畳道を訪れるときに本路線を通ったのが初回である。それ以前は犀川に沿う市道棚井線へも入ったことはなかった。最初の総括記事を作成するまでの訪問回数は3度で、すべて自転車であった。
うべマップの道路情報
で本路線の経路を再確認したところ、初期に市道路課の台帳を閲覧したときとは異なり、千林尼の石畳道の経路そのものが該当することが判明した。最初の総括記事を作成した時点では、石畳道入口から舗装路を直進して途中から山道に入る経路として記載されていた。しかし(前述の通り)最新のうべマップでは当初の認識通り石畳道を含むのが本路線の経路と判明したため、総括記事を作り直した。、 (経路のGeoJSONデータは こちら
)
この経路は、前掲の Google sv が採取しているものに一致する。このため地区道を採取していた写真などを削除し、うべマップにある最新の情報に更新し総括記事を作成し直した。
《 関連記事リンク 》
出典および編集追記:
1. 道路課で初めて本路線を調べた十数年前は、本路線の経路は千林尼の石畳道に一致するものと思っていた。その後台帳で経路を確認したところ犀川に沿う本路線、お駒堤に向かう管理道、そして千林尼の石畳道がすべて独立していることが判明した。
1. 道路課で初めて本路線を調べた十数年前は、本路線の経路は千林尼の石畳道に一致するものと思っていた。その後台帳で経路を確認したところ犀川に沿う本路線、お駒堤に向かう管理道、そして千林尼の石畳道がすべて独立していることが判明した。
《 切塞について 》
切塞(きりふさぎ)は厚東区にある小字で、本路線の起点から犀川に沿って遡行する谷地一帯に存在する。派生的小字として東切塞、上切塞がある。お駒堤のある谷地の方が上切塞である。お駒堤は小字絵図でも溜め池として記述されているが、同領域には白竹の文字があり、お駒堤は後世による命名かも知れない。後年作成された絵図では上切塞を含む領域が板ヶ迫となっている。また、東切塞の北側にある溜め池までの間は西ノ谷という小字がみられる。
切塞は現行使用されている小字であるが、実際の住居表示は宇部市棚井の後ろに地番を添える形式のため他の小字と同様殆ど目にすることがない。今のところ本路線名以外に切塞という小字が現れる構造物などは知られていない。
本路線に属する千林尼石畳道は棚井から山田を経由して船木の勘場へ向かうかつての主要路であることから、切塞という地名の由来に塞の神を連想してしまう。ムラ境の峠は昔から疫病など悪しきものが集落へ至る入口と考えられており、それらを塞ぎ停める意を込めて道祖神を祀った。実際、道祖峠に至るまでに庚申塚を含めて数ヶ所観察される。
他に切塞という地名を特色付ける何かの伝承や昔話があるのかも知れないが、並行して流れる川が犀(さい)川であることも踏まえて切塞という地名の由来は塞の神に由来するのではないかと考えている。