市道切塞線

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現地撮影日:2014/9/7
記事公開日:2016/7/2
市道切塞(きりふさぎ)線は棚井下集会所付近から犀川に沿って北上し旧楠町境に至る道である。

起点をポイントした地図。
ここから北上する部分が本路線で、県道より北上している市道棚井線はここで右折する。


本路線は千林尼の石畳道へ至る道であり、旧楠町境までの一部の峠越え道は一致している。しかし石畳道を案内する標識がある県道からの分岐点と上記ポイント地点までは市道棚井線であり、石畳道の案内板がある場所から先は本路線は犀川に沿う別の経路を辿っている。[1]

起点の状況。
犀川に沿って直進する黄色いガードレールの見える道が本路線である。


道中にある集会所を過ぎたところで犀川との位置関係を変える。
川を渡った先に再び石畳道の案内標識がある。


千林尼石畳道の開始地点。
しかし本路線の経路としては高度の上げ方がもっとも緩い一番右の道となる。


中央の道は恐らく後年お駒堤に至る管理道として造られた道で、石畳道は一番左の山道である。
総括記事: 千林尼の棚井山田石畳道
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

道なりに進むと最後の事業所を見送ってこのような右折点に出会う。


本路線は軽トラが停まっている場所から直進する経路である。右へ折れる舗装路は先にある西ノ谷池(名称確認中)への管理道である。
それぞれの道筋の位置関係を下に示す。


直進は酷い藪状態で道が存在しない。恐らく初期は犀川に沿った本路線からもお駒堤へ上がる道があったものと思われるが、千林尼の整備した石畳道と溜め池への管理道が存在するため、通行されなくなり廃道化したものと推察される。故に本路線については上記写真からお駒堤までは廃道化、お駒堤より先は石畳道に一致すると考えられる。お駒堤より先の重複部分は千林尼の石畳道の記事で記述する。
出典および編集追記:

1. 当初、市道路課で初めて本路線を調べた数年前は千林尼の石畳道に一致するものと思っていた。その後経路を再確認したところ犀川に沿う本路線、お駒堤に向かう管理道、そして千林尼の石畳道がすべて独立していることが判明した。
《 Googleストリートビュー 》
起点から上記の通行不能区間まで採取されている。
下図は起点の映像。


千林尼の石畳道は採取されていないが、お駒堤までの管理道は入り込んでいる。この途中で石畳道が横切る場所が採取されている。
《 個人的関わり 》
千林尼の石畳道を訪れるときに本路線を通ったのが初回である。それ以前は犀川に沿う市道棚井線へも入ったことはない。
この総括記事を作成する現時点での通行回数は3度ですべて自転車であった。
《 切塞について 》
切塞(きりふさぎ)は厚東区にある小字で、本路線の起点から犀川に沿って遡行する谷地一帯に存在する。派生的小字として東切塞上切塞がある。お駒堤のある谷地の方が上切塞である。
お駒堤は小字絵図でも溜め池として記述されているが、同領域には白竹の文字があり、お駒堤は後世による命名かも知れない。後年作成された絵図では上切塞を含む領域が板ヶ迫となっている。また、東切塞の北側にある溜め池までの間は西ノ谷という小字がみられる。

切塞は現行使用されている小字であるが、実際の住居表示は宇部市棚井の後ろに地番を添える形式のため他の小字と同様殆ど目にすることがない。今のところ本路線名以外に切塞という小字が現れる構造物などは知られていない。

本路線に属する千林尼石畳道は棚井から山田を経由して船木の勘場へ向かうかつての主要路であることから、切塞という地名の由来に塞の神を連想してしまう。ムラ境の峠は昔から疫病など悪しきものが集落へ至る入口と考えられており、それらを塞ぎ停める意を込めて道祖神を祀った。実際、道祖峠に至るまでに庚申塚を含めて数ヶ所観察される。
他に切塞という地名を特色付ける何かの伝承や昔話があるのかも知れないが、並行して流れる川が犀(さい)川であることも踏まえて切塞という地名の由来は塞の神に由来するのではないかと考えている。

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