市道上条2号線

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現地踏査日:2011/11/23
記事公開日:2011/11/24
直近に公開した市道藤曲門前線では、その路線の複雑性が起点直後から早々に勃発していた。その最初の難関がこの場所だった。まだ覚えていらっしゃる方もあるだろう。
右、左、どっち?
写真は天気の良い日に撮った昔のものを流用しています


この場所の拡大地図である。


このときトレースしていた藤曲門前線は見かけに反して左の狭い方の分岐に向かうのだった。
軽く見送っていたここを起点とする別路線、市道上条2号線も追跡しておいた。

別路線がスタートするのに、交通の流れとしてはそのまま本線である。
道路幅などの規格もまったく今までの流れだ。


普通車でもそれほどストレス無く離合できる幅で緩やかに右カーブする。
早めに登りへ入っていた左分岐の市道藤曲門前線とは対照的に殆ど勾配のない道だ。


カーブ終わりの左側目立つ場所に建築ブロックで造られた祠が存在する。


藤山地区を散策すると至る所で目につき、最近丁寧に追跡している八十八ヶ所である。
本来、市道沿いに存在する小物件は横話ファイルにまとめるところだが、本路線は短く記述項目が少ないので本記事の末尾に掲載している。
派生記事: 藤山八十八ヶ所・第62番
祠を過ぎると軽く左へカーブして既に終着地点が見えている。


別の道へT字路として接続し本路線は終点となる。


接続されるのは市道藤曲上条線で、この路線は浜バイパス付近から向山の山沿いを進み、市道藤曲門前線に合流している。


終点から振り返って撮影。
中ほどでカーブしているので起点も祠も見えない。
速度制限の標示板がエラくきしゃないなー^^;


これ以上、どれほど丁寧に撮影しても掘り起こせそうなネタもない短い路線だった。
個人的な関わりも特にない。藤曲地区は高校時代の自転車通学で3年間通ったものの、北条方面は家から遠ざかる方向であり一度も通ったことはなかった。
強いて言えば市内のとりわけ市道を調べて自転車で走破して回る最近の取り組みで、当初はこの路線が藤曲門前線だと疑いもせず写真を撮影していた位のものだ。
そのため市道レポート向けに撮影する以前からの写真が数枚存在していた

市道の経路図である。辛うじて記載されていたという感じだ。


昭和49年度の国土画像情報システムで閲覧すると、この道は既に出来上がっている。現況の道も終点に向かって緩やかな坂になっているだけで道を通すのに特別困難はなさそうだ。
しかし本路線に与えられた整理番号は本来北条近辺に存在する500番台よりは随分と離れている。元は地元管理道だったものが市道編入された後に整備されたのだろうか。

また、上の国土地理院地図では本路線と藤曲門前線に挟まれた領域に小さな溜め池が記載されている。この溜め池は先の国土画像情報にも明瞭に映っている。もちろん名前は分からない。現地は既に住宅地となっていて溜め池の痕跡もないことから、昭和後期あたりに埋め立てられたように思われる。

【路線データ】

名称市道上条2号線
路線番号899
起点市道藤曲門前線・分岐点
終点市道藤曲上条線・分岐点
延長約100m
通行制限特になし。
備考

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
《 藤山八十八ヶ所・第62番 》
本路線をスタートして路傍左側に建築ブロック造りの祠がある。
八十八ヶ所の祠の造りは場所によって様々なスタイルがあるが、設置場所や大きさは概ね同等なのでおよその推測がつく。

位置的には個人の敷地内か公道の領域か微妙なところだ。


トタンの平らな三角屋根で、建築ブロックは新しそうだ。
雨風が吹き込まないようにするためかカーテンが設置されているのは珍しい。


このままでは手を合わせられないが、カーテンはちゃんと左右に引けるようになっていた。
ちょっと失敬…


弘法大師の台座は六十二番となっていた。


薬師如来と共に帽子やおべべを着せてもらっている。
花やお水も供えられ、近くに看ておられる方があるようだ。


祠の造りからして設置された当初からのものではなく改修されたのだろう。もっともオリジナルを特に追跡しているのでもなく、八十八ヶ所の一員として保存されることに意義がある。様々な造りのものがあることで最後の補修年代が推測されて面白いのではないだろうか。

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